038 鍛冶屋の男(前編)
「この街は、なんだか……【イヴィング】とは違う怖さがあるわ……」
フレイヤは怯えた顔をマフラーで隠しながら、周囲を見渡す。薄汚れた街並みにいる人間たちは、誰もかれもが相手の隙を伺うような鋭く怪しげな視線を放っている。
──と、自分と同じようにその視線に震えるちいさな命が、フレイヤの頬に寄り添ってきた。
「……この鳥さん、わたしについてきちゃったけれど、よかった……のよね?」
「ん?ガラス鳥かい?ああ、いいだろうよ。
……少なくとも、あそこにいるよりかは、あんたの腕の中にいる方が……そいつにとっては安全だ。」
エミリアはその小鳥から視線を外した。エミリアはあまりその鳥について感傷的になっていなかった。そしてそれを彼女自身認識していることが、自分がフレイヤと──そして何よりコウスケとも根本的に違う人間だと、それを思い知らされた。
「悪目立ちが過ぎた。ここにはいられない。それに──このゲームは、嫌いだ。」
コウスケは賭場を出る時、そう静かに言った。その言葉はエミリアにその“違い”を認識させ、一方でフレイヤには小さな安堵を与えた。
あの会場にいた人間たちは”生殺与奪”を楽しんでいたが、彼女はそうは思えなかった。しかしあまりに周りが自然と”それ”を楽しむのだから、自分の考えの方こそ“おかしいことなのではないか”という不安がよぎってしまう。“異常”なのは迫害されてきていた自分の方なのではないかと、そう思ってしまうのである。
だが、自分と同じ感性をもった人間が、今傍にいる。それは彼女の考えを、彼女の感性を肯定する要因になっていた。自分の考え方は──自分が抱いている思いは──“異常”ではないのだと、そう、彼女に勇気を与えた。
「……コウスケさん。」
「なんだ、フレイヤ。」
「その、さっきは……ありがとう、ございます。守ってくれて……」
「気にするな。当然のことを……した、までだ……」
「その……左手、大丈夫、なの?」
フレイヤはコウスケの左手を痛々しく見つめる。ナイフを素手で握った傷は深く、包帯を巻いていても赤い血が滲む。
けれどコウスケは「じきに治る。」と嘘をついて歩き出す。
「で、でも、随分いたそうだわ。だから、その……」
「?」
「部屋にもどったら、私がそのケガを治療するわ。」
「いや、そこまで深い傷じゃない。君は、気にしなくても──」
「大丈夫よ!遠慮なさらないで。わたし、ほら、今までずっと一人で生きてきたから、そういうケガだって、ちゃんと治療できるの。お薬を塗って、包帯を巻いて……あ、今は、薬は、ないんだったわ……」
「フレイヤ?」
コウスケは妙にせわしないフレイヤの言動を、最初理解できなかった。彼女が何故そんなことを急に言い出したのか分からなかった。
しかしその理由は、直ぐに彼女の言葉から発せられた。
「はぁ……」
「どうしたんだい?ため息なんてついて。」
エミリアの言葉に、フレイヤは小さく答える。
「エミリアさん、わたし……ふたりの力になりたいの。」
「うん?」
「だって、わたし、ずっと助けてもらってばっかりよ?わたしのせいで、こんなことになっているのに……」
「……フレイヤ。」
エミリアはそっとフレイヤの手を握った。がさついた彼女の肌が、少女の手を温もりで包み込む。
「フレイヤ、あんたは優しい子だ。あたしたちは、その気持ちだけで十分だよ。」
「でも……」
「そうだな、もしそれでも力になりたいのなら……」
エミリアは少し悲しげに笑って言った。
「あたしたちにではなく、いつか友達が出来た時に、その子にその優しさを向けてやってくれ。あたしにとっては……そっちの方が、うれしいからさ。」
「友達……」
フレイヤはよくわからなかった。自分が力になりたいのは今ここにいるコウスケとエミリアであって、友達ではなかった。
もちろん、友達という存在には憧れていた。
けれど、まだ今はその存在はいないものだった。なのにまだいもしない“友達“の力になることを、彼女は“自分に向けられることよりもうれしい”と言った。その理由が、フレイヤには分からなかった。
「──じゃあ、その心優しいお嬢さんよ。俺達の話を聞いてくれないか。」
「!?」
唐突な声に、3人の間に緊張が走る。
気が付けば男が数人、道の真ん中で行く手を遮っていた。その誰もが体に入れ墨を入れた屈強な肉体を持ち、これ見よがしに剣や斧を腰に引っ提げている。
「何の用だ。」
コウスケはフードの奥から、男たちを睨み付ける。その右手は腰に下げた銃に伸び、すぐにでも戦闘になる構えを取っている。
「おいおい、俺達相手に戦う気か?やめとけよ。多勢に無勢だ。」
「そうか?お前たちごとき数秒で片が付きそうだが?」
「……言うねぇ。けどま、争いに来たわけじゃねえ。話があんだよ。」
頬に入れ墨の有る男が、一歩前へ進み出る。
「話?お前たちの中にあたしらのお友達は居なさそうなんだけどな。」
エミリアはフレイヤをかばうように立ち、腰の後ろにあるポーチに手を伸ばす。
(山道で急ごしらえでつくった矢では勝てそうにないな……コイツを使うしかないか──)
「そういうなって。悪い話じゃないと思うぜ?いい金が入る話だ。」
「へぇ、そうかい。けどそんな金持ちには見えないねぇ。どっちかって言うと、ギャンブルで有り金取られた負け犬に見える。」
「テメェ。」
「よせよせ、おめぇら。」
頬に入れ墨のある男は周囲の男達をなだめ、鼻でエミリアを嗤う。
「ふん。そいつぁあんたの目が悪いってだけさ。俺達のことは金の面では信頼していいぜ。なんせ俺たちゃぁ『アンドヴァラホルス』だからな。」
「!」
コウスケとエミリアの顔に緊張が走る。
「あぁ。ようやく状況が分かってきたみたいだな。
『アンドヴァラホルス』はこの街を仕切る組織だ。金を間違いなく持っている組織だ。
で、そんなでけぇ組織が、あんたたちに仕事の依頼をしに来たんだ。悪い話じゃないだろ?」
「仕事?」
警戒を解くこともなく、エミリアは男を睨み付ける。
「ああ。あんたらは見ない顔だ。ってことは最近この街に来たってこと。違うか?」
「……」
「……この街に来る奴らは皆訳アリだ。あの国境を越えたいってやつばかり。
だがあの重い扉を開くには金がいる。しかもそう簡単には手に入らないほどの大金だ。
で、だ。賭場から何も持たず出てきたあんたらは……そんな大金は持っていない。」
「それで?」
「金がほしいだろ?」
男は笑い、真っ白な歯を見せる。
「俺達は『アンドヴァラホルス』。あの国境を超えるだけの金を提供できる。それも一つ仕事をこなしてもらうだけでいい。
……あんた、そう、フードのおっさん。」
「なんだ。」
「メルセナリオのあの投擲を抑えるってのは、そう簡単にできるものじゃねえ。あいつは先の戦争でも一人で数十人をぶっ殺した戦士。その技を初見で見破り、しかも素手で防ぐたぁ恐ろしい実力だ。それこそヴァルキリーズや聖騎士団レベルだ。」
「……」
「だから、チェアーの旦那があんたを指名した。あの人はボスの側近。そんな人のご指名なんだ。これ以上信頼できるものはねーだろ。」
男のその言葉に、コウスケは表情を変えずに言った。
「断る。」
「はぁ?」
「断る、と言っている。」
頬に入れ墨のある男は呆れたように一度その場をぐるりと周り、顎を突き出して威圧する。
「いやいや、あの人のご使命だぞ?それってだけで、この街においてこれ以上の”好条件”な仕事はねーぞ。それに、まだ仕事の中身は話してねーだろ?」
「知るか。俺はそのチェアーって男と知り合いじゃぁない。ただはっきりわかっているのは……」
「分かっているのは?」
「こういう話は、大抵ろくでもないって、相場が決まっているということだけだ。」
「……へぇ。じゃぁ──」
男の言葉が終わらぬうちに、周りの男たちが一斉に武器に手をあてる。
「こういう話は、断った時どうなるかってのも、分かっていんだろうなぁああ!!」
コウスケは瞬時に拳銃を男に向ける。エミリアはポーチから“針”を引き抜き、それを指の間に挟んで迎え撃つ準備を整えた。
しかし男たちはその姿を見ても──コウスケの持つ”見知らぬ武器”を見ても、一切臆することなくにじり寄ってくる。
「さて、どうする?俺達はあのメルセナリオより強いぜ?それでも、やるのか?」
「望むところだ。」
「威勢がイイね。ならば、望みどおりに──」
「邪魔だぞ、小僧ども。」
男の声は、彼らの背後から響くしわがれた声によって遮られた。
「……誰だ、爺さん。」
男はコウスケに背を向け、道の真ん中に佇む老人を睨み付ける。
その老人からは、焼けた鉄の臭いがした。全身を覆う灰色のローブはスス汚れ、あちらこちらがほつれて穴だらけになっている。
だが、その佇まいはベッドに寝込む老躯のそれではない。相手の目をまっすぐに見据え、両の脚で大地に立つ姿はまるで不動の山だった。手に携えた杖は体を支えるのではなく、むしろ威厳の象徴としてそそり立つ大樹のようですらあった。
男はその老人がただ者でないことを瞬時に把握した。そして腰のサーベルに手を伸ばし、いつでも殺せるよう最大限の警戒を備えて老人との距離を詰める。
「……こっちは取り込み中なんだ。悪いがあっちの道へ回ってくれないか?爺さん。」
その場の空気が一瞬にして変わった。
男の声は今まで発した中でもっとも低く、最も静かな声だった。男の瞳は老人の眉間を貫かんとするほどに鋭く、その息は冷たく重圧で、心臓をすくみ上らせる。
だが老人はその空気をものともせず、落ち着いた口調で答えた。
「それは無理な相談だ。儂も、そこにいる3人に用があるのでな。」
「へぇ。それは──」
男の指が、サーベルに触れた。
「──見逃せねぇな!!」
音速を越えた抜刀が、向かいの建物を真っ二つに斬り割いた。
崩れ落ちる屋根。
砕け散る壁。
だが、そこに老人の胴は転がっていない。
「───────」
男は何も言うことが出来なかった。喘ぎ声すら、発することが出来なかった。
音速を越えたその一撃を、老人は躱した。そしてその一瞬の間に男の懐に入り込み、みぞおちに杖を突きあげていた。
「……他に儂と戦いたい者はおるか?」
「…………」
倒れ伏したリーダーを見て、男たちは互いに顔を見合わせる。
「戦いたい者は!いるのかと聞いている!!」
「ヒッ!!」
街中に響き渡るその声に、男たちはすくみ上った。老人の声は岩をも押しつぶすほどの圧と力が込められていた。男たちはその覇気に怖気づき、何も言わずにただ一目散に逃げだした。
「ふむ、他愛もない奴らよな。」
「……何者だ、爺さん。」
エミリアは額に汗を流した。間違いなく老人は強者。しかも、その身のこなしが今まで出会ってきた剣士とは桁違いだった。
(この老人──あたしより間違いなく格上!下手をすればオドアケル将軍といい勝負だぞ!?
そんな人物が、何の目的で自分たちに接触を計った?
いや、どんな目的であろうと、“敵“だったらまずい!
刺し違えてようやくフレイヤを守れるかどうかというレベルだ!)
彼女の警戒を察したのか、老人は小さく笑って言葉を投げた。
「はは。そのように警戒せずともよい。『光の弓』よ。」
「!!あたしの名前を知っているのか!?」
「ああ。その背中の弓を見ればわかる。それに──」
老人はコウスケを見て口角を上げた。
「メルセナリオの投擲を防ぐその腕前。そしてその特徴的な武器。見間違えるはずがなかろう。帝国が探しているお尋ね者よ。」
エミリアは今にも手にもつ“針”を投げつけようと、一歩進み出る。
「だったらなんだ、アタシらを密告しようってのか?」
「ふふ。儂のことなら、そこの隻眼の男が知っていよう。」
「コウスケ?」
老人から目をそらさず、エミリアはただじっとしているコウスケに尋ねた。
コウスケはその老人を見ても微動だにしなかった。それどころか、“ようやく見つけた”と言わんばかりの、小さな安堵の溜息をついた。
「ああ。知っている。“針”を収めてくれ、エミリア。」
コウスケはフードを取り、老人に対峙する。
「まさかこんなところにいたとは。随分と捜したぞ。」
「久しいな。隻眼の。」
「おいおい知り合いか!?誰だこいつは!?」
なおも警戒を解かないエミリアに、コウスケは老人を紹介する。
「この人はヴェルンド。鍛冶職人だ。」
「鍛冶職人!?冗談だろ!?」
「隻眼の言う通りだとも。儂はただの鍛冶職人、名をヴェルンド。
そして──」
驚愕するエミリアに、老人は笑う。
「ソウル・ブレイカーを、つくった男だ。」




