037 勝者に黄金を。敗者に血を。(後編)
「フレイヤ!!」
エミリアの思考は、コウスケの言葉によって中断された。コウスケはフレイヤの顔の前に手を出し、彼女の顔面に向かって投げられたものを素手でつかみ取った。
「なっ──!」
エミリアは驚愕し、怒りに身を震わせる。
フレイヤに向かって投げられたのは、ナイフだった。彼女の傍を飛んだ一羽の鳥を狙った、情け容赦のない投擲だった。それは鳥ごと壁をぶち抜く剛速球。鳥に当たらなくとも、間違いなくフレイヤの命を奪う凶器だった。
「おい。」
図太い声が、静まり返った会場に響く。狙われた小鳥は怯えるように小さく鳴き、逃げるようにフレイヤの胸に飛び込んだ。
「なに邪魔してくれてんだ、テメェ。その鳥は、最後の一羽なんだよ。」
メルセナリオは額に血管を浮き上がらせながら、リングの上からコウスケを見下ろす。そして男はナイフを引き抜き、小鳥に向かって構えを取った。
「どけ。」
「断る。」
会場がざわついた。
Oはともかく、メルセナリオはこの街で知らぬ者はいない荒くれもの。歯向かってただで済む相手ではない。その男に一切のためらいも見せることなく、フードの男は真っ向から立ちふさがったのだ。これから起きるであろう出来事に、彼らは肝を冷やした。
「分かっているのか?この俺の勝利を邪魔することが、何を意味するのか。」
「ああ。分かっているとも。」
とばされたナイフを握り直し、コウスケは自分より一回りも大きな男を睨み返す。彼の手のひらには血が滲み、その血が床に滴り落ちる音が、静かに響く。
「……ほぅ、いい度胸だな。」
メルセナリオはニタリと嗤い、声を張り上げる。
「司会者!!悪いが相手変更だ。」
「おい。ふざけんじゃねぇぞ。」
メルセナリオに向かって悪態をついたのは、赤いマフラーを巻いた少年だった。
「貴様の対戦相手はこの俺だ。試合はまだ終わってない。」
「はぁ……」
メルセナリオはうんざりしたような大きなため息を漏らし、相手を馬鹿にする醜い笑みを浮かべた。
「はっ!何俺様と張り合えるつもりでいるんだ?ちょっと手加減してやってるからって、調子に乗るなよ?貴様みたいなモヤシ小僧、いつでも捻りつぶせる。」
「それはこちらの台詞だ。
あの小鳥は俺のものだ。
勝利の邪魔している?笑わせないでくれよ、メルセナリオ。俺の勝利の邪魔をしているのは、貴様だろ?」
「なんだと?」
巨漢の男の瞳から、笑みが失せる。
「対戦相手を変えるだって?さては俺と戦うことに怖気づいたな?
なんせ20対19。お前、1羽足りていないもんな?」
「ははは──何言ってんだこのくそ野郎。」
「負けるのが怖いから適当な理由をつけて試合を中止しようとしてるんだろって、言ってんのさ。」
「てめぇ、死にてぇのか!?」
メルセナリオは首の関節を鳴らしながら、少年に歩み寄る。すると少年はわざとらしく首を傾げて見せた。
「どうしたんだ、メルセナリオ?体の重心が2cm左に寄っているぞ?」
「何を言って──」
「ああ、右肩を少し痛めたのか。そこの女にわざと当たるように、無理にナイフを放っていたもんな、お前。」
「あ?」
「適当な理由をつくる……お前の投擲を防げる実力者がいるということは見抜けているくせに、人に投げつけて”投擲が防がれた~”なんて理由しか思いつかないなんて──はっ!茶番もいいところだ。お頭が足りないぜ?スキンヘッドのおっさんよ。」
「戯言も大概にしておけよ、小僧。なんなら、貴様を的にしてナイフを投げてやろうか?
なぁ、皆もこいつの頭が吹き飛ぶところ、みたいだろぉう!?」
メルセナリオの言葉に、少年はマフラーの中で不敵に笑う。
「いいぜ。望むところだ。だが──」
「だが、なんだってんだよ。」
「あのお前のナイフは、鳥に当たらない。
それを司会者が、気が付かないとでも思っていんのか?」
メルセナリオは背後を振り返った。
気配など、一切しなかった。その赤紫色のシルクハットをかぶった男は、音もなく巨漢の男の眼前に立っていた。
「チェ──」
「敗者に血を」
細い糸が、空を切った。
釣り糸のように細い、白く透明な一本の糸。
それが男の親指を、切り落とした。
「ああああああああ!!俺の指が!俺の指がああああああ!!」
男は泣き叫び、リングの上で悶え苦しんだ。その様をさげすむように見届けてから、司会者は声を張り上げる。
「試合終了!勝者は、O───!!」
「……」
喚声とブーイングの荒しが巻き起こる中、コウスケはじっと少年を見つめていた。
彼はただ者ではない。
ハチドリの動きをする鳥を正確に打ち抜くその技術。相手の動き一つ一つを見逃さないその観察眼、強者に対して立ち回るそのやり口。彼は弱者ではなく、間違いなく“歴戦の強者”の部類に入るものだった。
メルセナリオもまた強者だが、であるが故に巨漢の男は少年の恐ろしさを悟ってしまった。「真っ向勝負では勝ち目がない」そう、メルセナリオは分かってしまった。少年の投擲には余裕があった。右に左に身体を機敏に動かすその様は、完全なるパフォーマンスだった。いつでも、もっと速く的を仕留められると、そう伝える動きだった。そんなものを見せつけられて、焦らないはずがなかった。だからメルセナリオは試合を中断する手段を考え、実行に移したのである。
そんな少年の視線の先を見て、コウスケは彼を警戒した。
なぜなら、彼が見つめているのは観客でもなければメルセナリオでもない。彼が見ていたのは、一人の少女だったのだ。
「──これで金貨は20、か。ひとつ、足りねーな。」
少年は小さく鼻を鳴らし、自分の見つめる先にあるものを見て笑みをこぼした。
「勝者に黄金を。……最後の1つは、後でいただくとしよう。」
彼が見ていたのは、ガラスの小鳥。
その透けた小鳥を通して垣間見えた、フレイヤの首飾りだった。




