035 賭博
「そこだ!右だ右!」
「次は上だ!外すんじゃねぇぞ馬鹿野郎!!」
「お前に全部賭けてんだ、負けたらぶっ殺すぞ!!」
その会場は街のどんな酒場よりも騒々しく、荒々しかった。大人が百人は余裕で入れそうな広さだが、歩く隙間などないほどに人でごった返している。そしてその皆が何かの札を手に、会場の中央に向かって殴りかかりそうな勢いで叫んでいる。
「ええと、一体なにが起こっているの?」
フレイヤは力の限りエミリアに叫んだが、その声すらかき消されるほどの怒号と喚声が、会場全体に鳴り響く。
「あれはプレイヤー二人で競うナイフ投げだよ。動いている的にナイフを投げつけ、どっちが多く的に当てられるかってゲームさ。ここにきている奴らは、どっちが勝つか賭けてんのさ。今ちょうど一試合終わったところらしい。前に行こうか。」
エミリアに連れられて、フレイヤは会場の前の席へと移動する。そしてその後ろを守るように、ぴったりとコウスケがついていく。
「ん?……妙だな。」
最前列にたどり着いたエミリアが、眼前の四角いリングを見て言葉を漏らす。その言葉を、コウスケは聞き逃さなかった。
「どうかしたのか?」
「ああ、いや大した事ではないんだが……。以前あたしが来たときは向こうの壁に的があった。回転する木の板だ。けど、それがない。それどころか、“的”らしきものが見当たらない。さっきの試合の時も的が見えていなかったんだが……」
「ルールが変わったのか?」
「それだけならいいが……」
エミリアは異常な熱気に包まれている周囲を、目でぐるりと見渡した。そして会場のあちらこちらに熱気に包まれていながらも冷静に──いや、冷酷な瞳を持ったままじっと佇む者たちを見止めた。
「……昔と変わらずクズばかりなのは変わらないが……このゲーム、どうも嫌な予感がする。」
「……エミリア。どうやら、ちょうど新しい試合が始まるようだぞ。」
エミリアがリングを見ると、そこには二人の男が立っていた。
一人は顔面に斜め傷のある男。その黒光りする肌に鍛え抜かれた肉体は、彼が戦い慣れた戦士であることを物語っている。
「え──?」
対するもう一人を見て、フレイヤは思わず息をのんだ。
そこにいたのは15歳になるかどうかという少年だった。彼は薄汚れた灰色のシャツと黒いズボンを履き、口元を真っ赤なマフラーで覆っている。
素の腕力は明らかに対戦相手に劣っている。しかし彼の目は得物を見つめる鷹のようで、その佇まいは対戦相手にも引けを取らない堂々としたものだった。
「さあ、本日第5試合目を開催しましょう!まずは挑戦者のご紹介です!」
突如としてリングの真ん中に、赤紫色の奇抜なシルクハットをかぶった男が現れる。
「まずはこの人!名前を聞けば誰もが恐れるこの男!3年前の13人殺しの犯人にして、対戦相手はことごとく血祭りにあげてきた非道の男!【掃溜めの街】随一の剛腕傭兵、メルセナ────リオ!」
常軌を逸した紹介をされても、観客は一切眉を顰めることも恐れることもなく、会場は歓声で沸き上がった。
「おおお!メルセナリオ!今日もテメーに賭けてるぜ!!」
「そこのモヤシ小僧の血反吐を見せてくれ!!」
歓声に恐怖を覚えたのはフレイヤだった。彼女はエミリアの袖を引っ張り、怯えるように尋ねた。
「こ、これ、本当にただの賭け事なの!?」
「あー、いや、まぁ、そのはずなんだが……それ以外にも楽しみを見出す奴らが多くてね、この街は……」
「ど、どう考えても命の危険がありそうだわ!?あの男の子は大丈夫なのかしら!?」
フレイヤの心配したその少年は、相手の紹介を聞いても一切臆することは無かった。それどころか、逆に相手を射竦めるかのようにじっと対戦者を睨みつけていた。
「それでは、その最恐の男に挑む無謀な少年をご紹介しましょう!
しかし彼もまたこの街では有名人!誰もが嫌う小悪党!気が付けば金目のものが体から消えている!【掃溜めの街】屈指の盗人、スラム街のO!!」
彼の紹介に、今度は一斉にブーイングが湧き上がる。ゴミや飲みかけの酒瓶が投げつけられ、白いリングは瞬く間に汚れていった。
「テメーなんか死じまえ!この盗人やろう!」
「今日はお前の最期を見届けに来たんだ!楽しませてくれよぉおお!!」
「こないだ俺から盗んだ金歯返しやがれ!!」
「はっ!これでも食ってろ乞食野郎!!」
そういって誰かが食べかけのハンバーガーを投げつける。
が、それは少年ではなく、司会者の肩へと当たった。べっとりとした茶色のソースが赤紫色のスーツにつき、その染みが広がっていく。
と──
「フレイヤ、見るな!!」
突如、コウスケがフレイヤの目を覆う。
そしてそれと同時に、会場に血飛沫が上がった。真っ赤な鮮血が霧吹きのようにリングに吹き付けられ、場は一気に静まり返る。
何かが転がる音が静かな会場に反響し、続いて悲鳴を上げる男の首がリングの上に現れた。
「このゲームに、的に当てられない奴が出しゃばってくんじゃねーよ。」
嫌悪感をむき出しにしたどす黒い声を発して、司会者はその指先から出した透明な糸をするすると手繰り寄せる。
「さぁ、とんだクソ雑魚が出しゃばってきたが、余興はここまで!
さあ、試合を始めよう!お前たち、準備はいいかぁ!!」
司会者の言葉に合わせ、観客が一斉に湧き上がる。先ほどの目を疑うような一件などまるでなかったかのように、彼らはこれから始まるゲームに目をぎらつかせていた。
「──これ、大丈夫じゃないわ……」
フレイヤの顔は真っ青になり、体を震わせる。
だがそれとは対照的にそこにいる者たちは熱狂的に拳を振り上げ、雄叫びを上げている。
──【掃溜めの街】。
それは秩序のない無法地帯。
力と金が全ての非道の地。
そこでの彼らの初日が、始まった。




