034 宿
※2022/05/26 再投稿
「ったく、ぼったくりもいいところだな。このおんぼろ部屋一泊銀貨20枚だと!【ユーダリル】じゃあそこそこな宿屋に3泊はいけるぞ。」
エミリアは上着を脱ぎ棄て、埃臭いベッドに仰向けに倒れ込む。その勢いにベッドは悲鳴を上げ、隙間だらけの天井から埃が舞い落ちる。
「ケホケホッ!あー、空気は最悪、視界も最悪、臭いも最悪、寝心地最悪。
……一周まわって良品に見えてこないか?無理だな。」
自分の言葉を自分で否定して彼女は起き上がり、隣のベッドに腰を下ろす少女に言った。
「すまないね。こんなところしかなくて。」
「ううん。気にしていないわ。今までずっと野宿だったから、久しぶりにベッドがあるのはうれしいの。」
フレイヤは微笑み、麻でできたザラザラのベッドを愛おしそうにさすった。
「これ、もう少し手入れしたらいいベッドになるのに。もったいないわ。」
「──ふふ。」
「え?何?どうしたの?」
急に笑みをこぼしたエミリアを、フレイヤはきょとんとして首を傾げる。
「いやなに。やっぱり最悪なんてことはないなと思ってさ。」
「?」
エミリアは微笑むばかりで、その理由を言おうとはしなかった。
ただその笑みは面白がっていると言うよりも、安らぎを得たと言いたげなものだった。
「に、しても。」
エミリアは思い出したように声を上げ、フレイヤを真ん中に挟んだ向かいのベッドに座っている男を見る。彼女はニヤリと口元に悪戯な笑みを浮かべると、その男を指さした。
「なーんであんたとおんなじ部屋、なんだよ。せっかくなんだから女子だけの、つもる話もしたいじゃないか。」
「……仕方ないだろ。金はないんだ。というか、これまでの野宿とそう大差ないだろ?」
コウスケは荷物を整理しながら不愛想に答える。それが面白くなかったのか、エミリアはフレイヤの隣に座りなおして彼女を守るように抱きかかえながら言った。
「襲うなよ?」
「するかっ!」
◇
2週間以上ぶりのシャワーであった。あたたかなお湯を頭からかぶるのは気持ちがいい。
フレイヤが最後にシャワーを浴びたのは、エミリアに出会ったとき。あのあたたかな部屋から、もう17の夜を迎えた。冷え切った体が芯から温まっていくのを感じて、フレイヤは盛大に安堵と喜びの溜息をついた。
「あったかい……」
「やっぱ風呂はいいねぇ。部屋の有様はいただけないが、シャワーと湯船がある点だけは褒めねばならないな。しかも大人2人は余裕で入れる大きさだ。」
「ふふ。そうね。とってもいいところだわ。それに……」
彼女はそういって先に入っていたエミリアの湯船に足を入れる。
「わたし、誰かと一緒にお風呂なんて母以外で初めてよ。少し、ドキドキするわ。」
「ほー。そうか。ならこういう定番も未経験だな!」
エミリアは手を組み合わせて、その指の隙間から湯をとばす。
「わっ!何、これ!?」
「湯遊びだ!」
──数分後──
口元まで湯につかりながら、フレイヤは少しふてくされた眼差しをエミリアに向けていた。
「そう怒らないでくれよ、フレイヤ。」
「だって、エミリアさん、全く手加減してくれないんだもの。」
じっと見つめられたエミリアは苦笑して頭を掻く。
「いやぁ、その、的に当てる系の遊びはどうにも負ける気になれなくてねぇ。あっはははは。」
「むぅ。」
なおも湯船に顔を沈める少女を見てエミリアは微笑み、その隣に腰を移す。
「でも、そうか……初めて、なのか。」
「うん。それが、どうかしたの?」
「いや……」
フレイヤは齢14。本来ならば学校に通い、友達をつくり、寝食を共にして勉強したり遊んだり、そういう経験があっていい年頃だ。それなのに彼女は一度も学校に通えず、迫害され、いじめられ、一人の友達も家族もおらず、ただ一人で毎日を10年間送ってきた。それがどれほど心細くどれほど悲しいことなのか、孤児院の寮母であった彼女は身に染みて分かっていた。
故に、彼女は言った。
逃亡生活という過酷な道のりではあるが、その希望は捨ててほしくないと、そう願って。
「じゃあ、これから風呂に入ったら練習しとかないとな!この先友達ができるかもしれないからな!」
「友達……」
少女はそれを聴いて少し身を縮めた。
それは街の路地裏からそっと眺める、ショーウィンドウに入った宝石のような存在だった。そんな存在に、本当に手がとどくのだろうか?そう、彼女は思った。
何しろ、そう思って手を伸ばした先に待っていたのは──
──亡霊ちゃん──
「!」
冷め始めたお湯から逃げるように、彼女は立ち上がる。
「そ、そろそろ出ないと!コウスケさんが入る前に、お湯が冷めてしまうわ!」
「ん?……ああ、そうだな。」
「犯罪者の父」をもつフレイヤがこれまで何を受けてきて、そのせいで今何を考えているのか、エミリアはなんとなく勘づいた。しかし、彼女はそれについて何も言わなかった。他者からの拒絶に対する恐怖は、直ぐには取り除けないものだと知っていたからだ。
「……」
フレイヤの体に、エミリアは視線を移す。
真っ白な肌についた多数の痣と火傷の後。この10年間彼女が一体どれだけ凄惨な日々を送ってきたのかを、その傷が痛々しく物語っている。
「……ひどい、話だ……」
その湯船は、ひどく冷えていた。
◇
「それで、お金を稼ぐって、どうするの?」
次の日。煙草の煙と酒の臭いが漂う街の中、フレイヤはエミリアに尋ねた。するとエミリアの口から想定外の言葉が返ってきた。
「賭博だ。」
「ええっ!?」
フレイヤは目をむき思わず足を止める。
「ちょ、ちょっと、エミリアさん。そんな方法で大丈夫なの!?」
「ん?ああ。大丈夫だ。というか、今のあたしらにはそれしか方法がない。
何しろここは【掃溜めの街】だからね。真っ当な仕事なんてありゃしない。
大金を手に入れたければこの街に隠れているどでかい懸賞金がかかった首を狙うか、賭け事をするしかない。」
「でも、だからって賭け事は……」
「俺達はお尋ね者だ。だからたとえ仕事があってもできないし、首を狩って役所に持っていくなんて絶対に無理だ。それに……」
彼女らの後ろを歩くコウスケが、フード越しに周囲を警戒しながら言う。
「この街はある組織が支配している裏社会の街だ。下手に誰かを“狩れば”、逆にこちらが獲物になりかねない。」
「……」
コウスケの言葉に少女は周りを見渡した。騒々しい街の中、その最も闇の濃い路地裏や物陰から、じっとこちらを伺っている視線がある。
「──っ!」
「フレイヤ?」
「い、いえ、なんでもないわ。」
エミリアの傍にぴったりと寄り添った少女は、恐怖を振り払うように首を振り、即座に話をつなげた。
「そ、それで賭博、なの?」
「ああ。この街には国境を越えたいと思ってやってくる奴らが大勢いる。だから、この街はそういう奴らをターゲットにした賭博がそこかしこに存在している。この街で手っ取り早く大金を手にしたければ賭け事をする以外に方法がない。」
「賭博は……安全なのかしら?」
「……」
コウスケは一瞬口を噤み、それから静かに言った。
「……ここの賭博は街を牛耳る組織が管理していて、だれもその結果には口出しできない状態になっている。“実力”さえあれば確実に金を手に入れられる。
その点で言えば比較的安全な手段だ。
だが……」
再び口を閉ざしたコウスケは、フレイヤを見てはっきりと言った。
「……ここは無法地帯だ。それは変わらない。だから、フレイヤは自分の身を守ることを考えていてくれ。」
「?それって、どういう……?」
首を傾げるフレイヤに、エミリアが親指を立ててニヤリと笑う。
「ま、安心しろって、フレイヤ。あたしが一発ガツンと当ててやるさ!そうすりゃ、何もおきやしない。」
「とっても不安なのだけれど……大丈夫なのかしら?」
「おいおい、そんなに不安がらないでくれ。昨日の風呂でも言ったろ?“的に当てる”系の遊びは、手を抜かないって。」
「どういうこと?」
フレイヤがそう言ったとき、エミリアは足を止めた。そして薄汚れた賭博場の看板を指さしながら、彼女は生き生きとして言った。
「何しろ今回のゲームは、“射的”だからな!」




