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033 掃溜めの街


動いた、か(ゲハンデン)……」


 それは大地にしっかりと根を張る大樹のような、太くおおらかで幽玄な声。聞き入る者すべてを自然と傅かせるような、威厳と尊大さを持ち合わせた声だった。


「どう思われますか?」


 その声の主に、一人の青年が跪く。


「……」


 大聖堂の祭壇で祈りを捧げていた男は、報告者(青年)の声に立ち上がった。

 それは山の如き佇まい。背は高く、腕は太く、両の脚で大地に立つ。顔にある皺の数は戦場を駆けた数を物語り、その瞳は数多の死を見届けた真の強さに満ちている。


「……ここにも放っているのか。」


 大聖堂の端にある窓を一瞥し、男はつぶやく。そして──


指を、動かした。


 それ以外は何も動いてはいない。その動きは指を鳴らす、その程度にも満たない些細な動きだった。だがその動きと同時に、窓際で何かが爆ぜた。


「将軍、今のは……?」

「『黄金虫』だ。」


 報告者の言葉に、男は答える。


「あの魔女の使い魔だ。」

「なんと。このような神聖なる場所にまで使い魔を……気づきませんでした。

 将軍にお手間(・・・)を取らせてしまい、申し訳ありません。」

「よい。気にするな。」


将軍はそういうと顔の輪郭を覆う白銀の髭に手を当て、虫の残骸に鋭い視線を向ける。


「あの魔女は国中にあの虫を放って監視している。あれはどこにでもいる。

 だが、ここは私が治める【ブレイザブリク】その中心部。ここにはあらゆる魔法を無効化する結界が張ってある。それをもかいくぐってまで放ってきたと言うことは……」


将軍は瞳を閉じ、再び開く。


「何か──いや、()()を、探しているな。」


 白銀の将軍は祭壇を下り、報告者の横に立つ。


「イルス。お前に頼みがある。」

「はっ、何なりと。」

「部下数名を連れて、【スルーズヘイム】に向かえ。そこで何がこれから起きるのか、それを見届けてくるのだ。」

「承知いたしました。」



 部下が立ち去った後、将軍は大聖堂の祭壇を見上げた。

 光り輝くステンドグラス。その真ん中には黄金に輝く一人の男の姿が描かれている。将軍は自分を見下ろすその男の瞳に一礼し、踵を返す。


「“黄金の魔女“──たとえ貴様が何をしようとも、このオドアケルの目が黒いうちは──この国を、好きにはさせん。」


 その声は低く、強く、大聖堂に響いた。





「ついたな。」

「まさか、まーたこんなところに来ることになるとはねぇ。」


 コウスケの隣に、フレイヤを挟んでエミリアが立つ。彼らの眼前に、人の明かりの灯った街が広がっている。

 ようやく見えた街の姿に、フレイヤは小さくつぶやいた。


「あれが、【掃溜めの街】──」



 その街は、賑やかというより騒々しかった。聞こえてくるのは華やかな談笑などではなく、罵声と怒号。漂うのは花や土の香りではなく、酒と煙草と焦げ付いた肉の臭い。足元には食べ散らかされた鳥の骨や残飯が、瓦礫やごみと一緒に散乱している。


「な、なんだか随分と変わった街、なのね?」


 フレイヤが酒場の男たちの怒号にびくつきながら、エミリアの隣を歩く。


「あー、まぁ、ここは、な。なんたって【掃溜めの街】だからな。」

「どういうこと?」

「ここは辺境の地なんだ。大陸の端ではないけれど、カエルム帝国の首都【グラズヘイム】からみれば【フヴェルゲルミルの大山脈】の向こう側。しかも最寄りの都市から馬車でも1週間以上はかかる国境の街だ。だから、監視の目が届きにくいんだ。そういう場所だから役人たちの腐敗が横行し、ならず者や訳アリ連中が集まってくるようになってしまったのさ。」


 フレイヤは街の様子を眺めた。街を歩く人々は誰しもがスス汚れた服を身に着け、腕や顔に入れ墨や傷のある者ばかりだった。彼らはひどく疲れた目をしているか、または自分以外の人間すべてを警戒している者しかいない。自分より小さな子供もいたが、彼らですら店の物陰からじっとこちらを伺っているのであった。


「……」


 フレイヤは彼らから目を逸らした。

 彼女はその現実を見て少し恐怖した。

 これから自分が歩む道は、きっと彼らと同じなのだろうと。

 彼女は遅くなった歩みを元に戻し、エミリアとコウスケに尋ねた。


「ねぇ、これからどうするの?」

「国境を超える。」

「国境?」


コウスケの言葉に、フレイヤは視線を上げる。


「国境って、あの山脈にある門のこと?」


 フレイヤは淀んだ街の空気を通してもはっきりと見える、その“門”を指さした。

 【掃溜めの街】は山脈の麓にある街で、その空を突き刺すような山々の間には白い巨大な門があった。その門は固く閉ざされ、ところどころ風化して苔生(こけむ)している。山の中腹に存在するその白い門は、まるで開かずの迷宮のようだった。


「ああ。あれが国境だ。俺達はあの門を超えるために、この街に来たんだ。」

「国境を、超える……」


 フレイヤは思わず背後を振り返った。

 淀んだ空気と家屋に遮られ、これまで通ってきた雪原も山脈ももう見えない。ましてや自分が10年間住んだ家など、見えるはずのないものだった。


「……」


 少女は首を振り、脳裏に浮かんだあたたかな景色を追い出すと、コウスケとエミリアの後に続く。


「じゃあ、すぐにあの門に向かうの?でも、国境を超えるには国の難しい手続きが必要だって、前に本で読んだことがあるわ。わたしたち、ちゃんと国境を越えられるのかしら?」

「ああ。それは問題ない。ここは、正式な手続きは必要ない。」

「どうして?」


エミリアはフレイヤの問いに肩を竦める。


「ここが【掃溜めの街】だからさ。

 ここはヴァルキリーズの目の届かない無法地帯。だからここじゃなんでも(カネ)で解決できる。というか、ここは金がものを言う、金で支配された街だ。国境を超えるだけなら金さえあれば、誰でもできる。

 ただ……」


彼女は苦瓜を口にしたような表情を見せる。


「それこそが厄介でねぇ。」

「どうして?」

「その金額が法外なのさ。無法地帯だからこそ、なんだけどね。」

「……門を通らずに国境は越えられないの?」

「無理だねぇ。この山脈はカエルム帝国(こっち)側もテッラ王国(あっち)側も切り立った崖になっていてよじ登れないし降りられない。

 門を突破するのも無理だ。何しろここで雇われている門番はソウル・ブレイカーを持つ魂喰者(ソウル・イーター)だからね。」

魂喰者(ソウル・イーター)……」


 少女は視線を落とす。

 また、あのウィオレンティアの時のような戦いが待っているかもしれない。

 そう思うと身が震えた。そしてあのような寒々しい光景(さつじん)を見ることになるかもしれないという思いが、彼女の体を凍えさせた。


「あの門番は厄介だ。

 あたしは以前テッラ王国からこっちに来るときに一度会ったことがあるが、最低でもあのウィオレンティアと同等レベルの強さを持っているとみている。だから、極力戦闘にはなりたくない。」

「そう、ね……え?でも、門を超えるにはその人の前に出て行かなければいけないのよね?門番って、お役人の仲間、なんでしょう?そ、そんな人の前に出て行って、私達のことをヴァルキリーズに報告しないかしら?」

「ああ。その可能性も確かにある。そうすれば大金が奴らの懐に入るからな。だが奴は傭兵。ヴァルキリーズのしがらみも何もない。つまり──」

「金で解決できる。」


コウスケが、きっぱりと言い切る。そして、エミリアは頷いて話をつづけた。


「そういうことだ。

 懸賞金以上の代価を払えば、奴らは何も言わないさ。それに、あたしらを突き出したところで逆に”腐敗”をヴァルキリーズに詰問されたら厄介だろうからね。問題にはかかわりたくないだろうよ。」

「そ、そう……なのね。」

「それで話を元に戻すと、そうなっちまうと金が足りないのさ。普通の通行料じゃ全く話にならない。だから、しばらくの間ここで金を稼ぐ必要がある。

 ま、そのための宿代や飯代も馬鹿にならないけどねぇ。ここじゃ何もかもが法外だから。」

「お金……あっ!」


 フレイヤはあることに気が付き、意気揚々として二人に言った。


「エミリアさん、お金なら大丈夫よ!ほら、私の“涙”があれば──」

「やめろ!」


 コウスケの声が、その場に響く。

 騒がしい酒場は静まり返り、道行く人々は皆足を止めてコウスケ達を見つめた。しかしそれもつかの間。彼らは歩き出し、また騒々しい喧嘩が周りで起きる。


 フレイヤはその数秒の静寂の間、彼の瞳に身を縮めると同時に、なにか懐かしいものを感じ取った。


 不思議な、感覚だった。

 その瞳はまっすぐ少女を見下ろし、険しい表情には明らかに“怒り”があった。その瞳にはフレイヤに対して向けられる、不思議な怒りがあったのだ。


 怖かった。

 けれど、それがどこか懐かしかった。

 それが、どこか暖かかった。


 もう記憶にはない。言葉にも絵にもならない、記憶と呼ぶにはおぼろげすぎる景色が脳裏をよぎった。けれど今目にしているものは、その景色に──かつて我が家であったわずかな一時の景色(思い出)に──ひどく似ていると、彼女は感じた。



 フレイヤは目をしっかりと開き、そして静かに尋ねた。



 怖かったからではない。

 驚いたのは事実だが、おびえての言葉ではない。

 ただ、聞いてみたかった。

 目の前の──自分に対して怒りを抱いた人物が、この先何を口にするのかを聞いてみたかった。



「……どうして?私は、二人の役に立ちたいわ。」


 小さいがはっきりとした声で尋ねた少女に、男は彼女の腕へと視線を落とした。


 火傷の跡がはっきりと残っている。

 真っ白な肌に、赤い皮膚が痛々しい皺をつくっている。


 その腕を見つめながら、押し殺すように彼は答えた。



「涙で食う飯が……うまいわけ、ないだろ……」





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