012 ヴァルキリーズ(後編)
※2022/05/04 改稿済み
「ではモルス卿、失礼して。」
彼は持っていた紙筒の紐をほどき、勢いよくテーブルに広げた。それは巨大な羊皮紙に描かれた地図で、彼はその一端を指さしながら報告を始めた。
「僕とウィオレンティアは10日前の夜暦2027年9月28日、オクルスの逃走先である【イヴィング】郊外にて強襲を仕掛けました。彼の隠れ家も突き止めていましたが、その結果は失敗に終わりました。ウィオレンティアの部下11名を失い、オクルスは逃走。奪われた国宝魔術『ビフレスト』も奪還できませんでした。
また彼は現在、ニョルズの娘フレイヤと逃走中です。以上です。」
「ニョルズの娘と、だと?」
「はい。」
「むぅ。」
ルーフスは唸り、額に手を当てる。
「そうなってしまったか……
やはり我々は、ニョルズの娘も追わねばならんということか。あの時、処刑を免れた彼女を。」
「そうなりますね。」
端的に返答したフラーテルを、ルーフスは訝し気に眉をひそめた。
「……フラーテル、お前は──」
「何か?」
「……いや。気にするな。」
涼しい顔をするフラーテルに、ルーフスは言葉をつづけるのを止めた。
そしてルーフスの後に、ウォルプタースが疑問を投げる。
「ところで、何故『ビフレスト』などという使えぬ”魔法術式”を盗んだんでしょうかねぇ、彼は。モルス卿、それについて話していただけると。」
「……使えぬ、というのは正確ではない。」
「というと?」
「正しい使い方が分からぬ、というだけだ。現に、奴を召喚したのは、あの魔術だからな。」
「おお!そうでしたか!
いや、そうでしたそうでした!私としたことが、すっかり忘れていました!」
モルスの言葉にウォルプタースは目を見開き、道化のように驚いて見せる。
「『ビフレスト』!
千年前、プリームスという希代の魔術師が創りあげたという”魔法術式”。
おとぎ話の『虹の橋』!
いやあ、面白いですねえ。自分がこの世界に来た魔術を持って、さあ、彼は一体何をしようとしているのでしょうか!!」
「うるさいぞ、おっさん。」
ウィオレンティアは彼の態度に辟易し、頬杖をついて吐き捨てた。
「そんな使えるんだか使えないんだか分からん魔術なんぞ、どうでもいい。さっさとあいつを殺しに行く。それでいいだろう。この会議をする時間も惜しい。」
「ウィオレンティア、今オクルスはどこに向かっている?」
モルスの言葉に、ウィオレンティアは地図の上にナイフをとばす。
「おそらく、ここだ。」
「……【ユーダリル】か。」
「奴は大陸の北東を縁取る【フヴェルゲルミルの大山脈】を越え、その向こうに広がる大氷河に沿って移動している。……らしい。」
「らしい?」
厳しい眼差しを向けるルーフスに、ウィオレンティアは舌打ちをする。
「尾行していた部下がやられ、最後の伝令が大氷河の追尾で止まっている。」
「なるほど。それで?」
「……だから、【ユーダリル】へ向かうと予想される。」
その言葉に、ルーフスの瞳はさらに細く切れ味を増した。
「……大山脈を超えた大氷河のさらに向こう岸、【二ヴルヘイムの大地】は草木もない毒の大地。耐毒装備を持たぬ隻眼がそこへ向かう理由が見当たらないため、再び山脈を越えて戻ってくる可能性は高い。そして山脈を超える場合、周辺都市村落の状況を鑑みるに、騎士団駐屯地の存在しない【ユーダリル】を通過すると予想される──そう考えているのだな、ウィオレンティア。」
「……ああ。」
「ならばそのように報告せよ。敵の追跡は速度と情報が命だ。推察における根拠が明示されねば、その推察を評価することができぬ。そしてその報告を反芻する時間はロスになる。」
「……チッ」
布が擦れるよりもちいさな舌打ちをした女に、ルーフスの眉間の皺が深くなる。だがそれ以上は無駄と判断したのか、男はそれ以上追求することはなく他の者へ意見を求めた。
「どう思うか、ウォルプタース。」
「そうですねぇ。確かに【イチイの谷】は通りそうですねぇ。
【ニヴルヘイムの大地】に向かわないとなると、隻眼は地理的に山脈をもう一度越えねばならないので、最適なポイントを選ぶはず。彼は魔力量に限りがありますから、極力戦闘を避けるでしょうねぇ。そうなりますと、我々が待ち伏せしやすい平地ではなく、険しい山岳地帯や渓谷などを選ぶはずですからねぇ。」
「僕も同意見ですね。ウォルプタースさんの推論に合致する街は【ユーダリル】しかありませんから。」
「なるほどな。」
「しかし、この推論が正しいとしますとぉ──」
道化の男はニヤリと笑い、報告者に質問する。
「もう今夜か次の夜には隻眼は街に辿り着きそうですが、大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃねえからさっさと終わらせたいと言っているだろう、ウォルプタース!」
「ふふふ。これは失敬。」
ウィオレンティアは黒衣の中から男を睨み、つづけてモルスに言った。
「一応既に部下を向かわせてはいる。だが、あそこには『光の弓』がいるという噂がある。」
モルスのしわがれた顔に、一層しわが増す。
「……それは、やっかいだな。」
「そうだ。奴はテッラ王国聖騎士団だったこともある『魂喰者』。隻眼の【ユーダリル】に向かう理由がヤツと会うためであるならば、隻眼の次の逃亡先は──」
「テッラ王国。」
フラーテルは大きな山脈に隔てられた隣国を見つめる。
「これは困ったことになりそうですね。あちらの国に逃げられては、こちらから手出しはそうそうできない。」
「……それだけではない。あの国には、あの“魔女”がいる。奴の手に『ビフレスト』が渡るのは、何としてでも避けねばならん。」
「“金の魔女”、か。我もあの女は好かないが……モルス卿、宮廷魔術師長であるあなたでも使いこなせなかった魔術を、あの魔女は使えるのですか?」
ルーフスの問いに、モルスは少し間を置いてから答えた。
「さてな。”魔術”は通常の”魔法”とは違い、呪文・呪具・儀式全てを必要とする特殊なものだ。国が違えば言葉と文化が違うように、魔術の形態も異なる。たとえ術式──呪文の書かれた羊皮紙を手に入れたところで、他のものが揃わなければ使うことはできん。
とは言え、だ。奴の魔術がどこまで通用するものかは分からんが、奴は儂を含む現三大魔術師の1人だ。油断はできん。」
「なるほど。しかし、だとすれば魔法の使えない隻眼が術式を盗んだ理由は……?」
「……さぁな。
いずれにしろ、アレは転送魔法の一種。誰であろうと、もし使いこなせる者がいたのだとすれば、指を1つ鳴らすだけでこの首都に大軍を送り込まれる。故に、今の状況は国家の危機に相当する。」
「ふむ……」
ルーフスの疑問を尻目に、モルスは小さくため息をついた。
「……まったく。よもやあの10年前の召喚がこのような事態を招くとは。」
「あの豚女も死んだし、ふんだりけったりってか?」
「ウィオレンティア、そこまでに。」
フラーテルはその緑の瞳をまっすぐ女に向けた。彼の表情は変わってはいなかったが、その瞳は強く、突き刺すような威圧感をウィオレンティアは覚えた。女はその視線に苛立ち、ふんぞり返って彼の忠告を吐き捨てる。
「はいはい。騎士様は本当に美しい女性にお優しいことで。」
「そんなことはありませんよ。僕はたとえ相手が女性であれ、敵であれば手を緩めることはない。知っているでしょう、D……いや、ドルンバと呼んだ方がよいですか?」
「てめぇ……騎士名称で呼べ。本名を出すな。」
「二人とも、話を逸らすな。」
ルーフスの忠告に続いて、モルスは言った。
「騎士名称は選ばれし者にのみ与えられる二つ名。それを剥奪されたくなければ任務を遂行せよ、ウィオレンティア。お前の報告には不確定要素が多すぎる。」
「……は。」
小さく頭を下げた女を見て、モルスはさらにうなる。
「そも、今回の第一目標は『ビフレスト』の奪還、その次に隻眼の抹殺であった。……そして同時進行でニョルズの娘も連行、不可能であれば抹殺せよと伝えたはずなのだが?
それがなぜオクルスと逃亡するという事態になっている。」
「……」
「10年前にも言ったはずだ。あの娘には適性がある、と。
ニョルズの剣、『海剣』を使いこなすという、な。」
「世界最強の一角を担うあの武器を使いこなせる可能性がある、ですか……」
「そうだ、フラーテル。
現状、アレを使える騎士は存在しない。だが、テッラ王国はアクア連邦攻略のために『海剣』を狙っている。もしフレイヤの存在が知れたら、テッラ王国は目の色を変えて彼女に飛びつくだろう。」
「それは困りますねぇ。それではなぜ彼女の存在を世間に隠したか、分からなくなってしまいますからねぇ。ふふふ。これは面白い。」
「面白くはないぞ、ウォルプタース。もし彼女がテッラ王国に渡れば、最悪の場合、我々はベルルム卿と同じ戦闘力を持つ者を敵に回すことになりかねん。」
ルーフスは深紅の顎鬚を撫で、地図の上を険しい顔で眺める。
そして同様に、モルスは額に手を当ててうなった。
「……仕方あるまい。彼女の存在は、『ビフレスト』がテッラ王国に渡ることと同程度もしくはそれ以上に明確な脅威だ。
故に、目標を改める必要がある。
今回は彼女を捕らえるか、必要であれば抹殺するという程度であったが、今後我々の第一目標は『ビフレスト』奪還に加えて、彼女がテッラ王国に渡るその前に、彼女を──」
“殺す”
その声はすべてを凍てつかせる冷酷なものだった。
その太い声は氷山がぶつかり合うような低く暗いもので、聞いた者全ての背筋を凍らせた。今までずっとにやけ顔だったウォルプタースの顔から笑みが消えるほどに、その声の寒々しさは肌を突き刺した。
モルスの右隣。真っ青な鎧に身を包んだ大男。
それまで静観を守っていた彼のその一言に、その場にいた者の呼吸は停止した。
「……グラキエス卿、どうか、されたのですか?」
「……」
ルーフスの問いに、グラキエスは答えなかった。再び鎧の中で瞳を閉じ、岩のように沈黙を守った。
「……まあ、何はともあれ、彼が逃亡してはや3週間。そろそろ捕まえませんと、我々の面目は丸つぶれですからねえ。よろしく頼みましたよ、ウィオレンティア、フラーテル。」
ウォルプタースのいつになく静かな言葉に、ウィオレンティアの毒々しい瞳がぎらついた。
「……ふん。言われるまでもない。我ら騎士隊長は、皆『魂喰者』。騎士名称の名に懸けて、奴の魂、必ずや喰らって見せよう。」
「まあ、とはいっても、隻眼も騎士名称をもつ『魂喰者』です。『魂喰者』同士の戦いは、実力がものを言いますからね。十分注意していきましょうか、ウィオレンティア隊長。」
「──では、私はこれにて。何かあれば連絡を。」
どこか棘のあるフラーテルの言葉を無視し、ウィオレンティアは早々に部屋を後にした。
その姿を厳しい瞳で睨み付けてから、モルスは言った。
「では、目標変更の確認をして本日の騎士団長会議は閉廷とする。
我々の第一目標は“ビフレスト”の奪還と──」
──反逆者ニョルズの娘フレイヤの、抹殺とする。




