不穏な気配
「あー、眠い……」
「遅い!」
部屋の扉を閉めた同時に、部屋の真ん中で仁王立ちしているアイツが大声を挙げる。
大変ご立腹なのか、オーガを彷彿とさせる形相だ。頭でお湯でも沸かせるかと思える程に、顔が真っ赤になっている。
「今何時だと思ってる!?」
何をイライラしているのかと、時計を見て、
「うん?午後八時だが?」
「午後八時じゃない!何処をほっつき歩いてたんだ!」
答えただけなのに、更に激昂したように、声が大きくなった。だが、その言葉で合点がいき、ため息が出る。
「別に良いだろう?多少おそ」
「四時間だ!それだけ外にいて何かあれば!」
(細かい………)
どうにも、相棒は未だに寄り道が嫌いのようだ。俺は大好きなんだが、相棒は直帰主義らしく、昔からコイツは口を酸っぱくさせる。心配性とは思っていたが、ここまで怒らなくてもいいだろう。何をそんなに神経質になっているかと思えば、もう一つの可能性を忘れていた。
「何だ?何だ?俺の事、心配してくれてんの?嬉しいぜ、相棒」
「違う!お前、自分を誰だが忘れてないだろうな?」
少し揶揄っただけだったが、火に油を注いだらしい。抱きつこうとした瞬間に押し飛ばされる。俺の相棒は連れない。
どうやら、別の事を心配していたようで、すぐに笑いが溢れる。
「大丈夫だって、相棒。バレる訳ないだろ?俺はお前だぜ?」
「それはそうだが、もしバレでもしたら、お前じゃ魔法が使えないだろう?」
「魔法がなくたって戦えるさ。こんな水掛論やめようぜ」
そう言えば、すぐに口を噤む。コイツだって分かってる筈だからだろう。まぁ口を閉ざすくらいには、俺の事も信頼してくれてるのが分かり、つい頬が緩む。
「それになんかあってもお前が助けてくれるんだろう?」
「当たり前だろう?僕達は一心同体だからな」
その言葉が嬉しくて、思わず肩を組む。相変わらず華奢な奴だ。でも、頼もしくもあるのが不思議で堪らない。
「大丈夫さ、相棒。俺もお前がピンチの時は白馬の王子様の如く助けてやるからよ」
カッコつけて言えば、不審者を見るような目をジトリと向けた。まぁ白馬の王子様は言い過ぎたな。すぐに謝ろうと思ったのだが、その前に予想外の言葉が相棒から飛び出した。
「…頼りにしてるよ………」
気恥ずかしそうに頬を掻く相棒が可愛くてつい、頭をわしゃわしゃと撫で回す。自分なのに、これだけ違うとは誰がおもうものだろう。とにかく弟分のようで可愛い。
「やめろよ!…それにしても、その相棒呼び、気色悪いぞ?」
「良いじゃないかよ。俺達は一心同体だろ?なら、相棒って呼んでも不自然じゃないだろう?それに、ここからが本番だからな」
話を切り替えたいのか、相棒呼びに話題が切り替わる。まぁ不自然と言えば、不自然だが、ちょうど良い機会だろう。いつまでも、“アイツ”やら、“ソイツ”呼びはどうかと思っていたのだ。これからに向けて団結しないといけない。
「それはそうだが、うん?……お前まさか………」
(あ、気づかれた………)
神妙そうな顔をして、頷き掛けていた顔が急激に曇り始める。その顔がみるみるオーガへと変わっていく。やはり近づき過ぎたのが原因だろう。
「…お前……また酒を飲んだな?」
「い、良いじゃんかよ…暫く禁酒してたんだからな?」
遅過ぎるが、口を手で隠す。
これでもだいぶ我慢した方なので、褒めて欲しい。でも、仕方ない。あの誘惑を知れば、払いのけるのは無理だ。いつか、相棒も知る筈。
「そこに直れ」
「いや、だってね?」
「直れ」
「はい……」
その後、サンジェスのおっさんが帰るまで延々と説教を受ける羽目になったのは言うまでもない。
「これより職員会議を始めます」
その頃、アドス軍事学校では校舎の一角で、臨時の職員会議が開かれていた。
校長を始め、多くの教官が顔を並べている。校長と一部の教官以外は何故集められたのか、分からないようで顔を見合わせていた。
「では、ブリトン校長様よりお話をどうぞ」
「うむ……」
眼鏡を掛けた教官がブリトン校長へと話を振る。大きく頷き、ブリトン校長は立ち上がる。
「皆が集まってもらったのは他でもない。皆には秘密にしていたが、つい数日前、我が校に賊が入った」
その言葉自体に誰も驚きはしない。この国自体大国であり、賊に入られる事自体珍しい事ではない。何人かは知っているというように、不機嫌そうに顔を顰めた。何故今更その話を出すのかと言うように疑問を浮かべる者もいる。
「何故わざわざ報告する必要があると思うだろうが、今回は特例での。その賊なのだが、取り逃した……」
「何だと!?」
それまで静かに聞いていた教官の一人が勢いよく立ち上がった。他の者も身を乗り出したり、驚きの表情を浮かべたりしている。
その様子を見つつ、ブリトン校長は苦虫を噛み潰したように話を続けた。
「我が校は開校以来、賊に幾度も入られども、取り逃した事は一度とてない。勿論、生かして等尚の事だ」
このアドス軍事学校は国の特別機関であり、国の最高機密をも有する。その警備の厳重性は王城の比ではない。どれだけの者でも忍び込む事は不可能の筈だった。現に数日前まではそうだったのだから。
「……これまで数々の名のある賊を屠ってきたと驕りでもあったんじゃねぇのか?」
「バートル!」
これまで静かに腕を組んで、動揺も見せてない教官の一人が口を開く。それには堪らず、眼鏡をした教官が声を挙げる。
「…何じゃと?」
「だから、お前らのその驕りが今回の事態を生んだんだって言ったんだよ!」
その逆撫でする言葉にブリトン校長がギロリと睨めば、バートル主任教官が負けじと睨み返す。一瞬にして、空気が凍っていく。
「……そもそも貴様ら、平民派が警護を怠ったのが原因!わしらに落ち度などありはしない!」
「さすがは立派な息子がいるブリトン様。仰る言葉の重みが違いますなぁ?」
「貴様、言わせておけば……貴様もアヤツのようにはなりたくあるまい?まだ陽の目は拝みたいだろ?」
「何だと!?」
場が剣呑な空気を満たしていき、一触即発の雰囲気の中、
「そこまでです!!」
眼鏡を掛けた進行役だった教官が大声を挙げた。その声に睨み合っていた両者が止まる。それを合図のように、その場にいた全員が彼へと目を向けた。
「バートル主任教官、少し言い過ぎです。我らが取り逃した事もまた事実。受け入れましょう。」
「……分かってるよ、ニール総教官長……」
バートル主任教官は渋々と言ったように引き下がり、代わりに、ニール総教官長と呼ばれた進行役の教官がブリトン校長へと向き直る。
「ここの警備は確かに我々が担っておりますが、本来であれば貴方方にも責務がございます。これを機に、少しでも譲歩願いたく思います」
「ふん、分かっておるわ。そろそろお前らだけに任せておくのも、癪だと思っていた所だ」
「ありがとうございます」
眼鏡を掛けた教官、ニール総教官長は優雅に一礼する。それに溜飲を下げたのか、ブリトン校長もふんと一息吐いて、椅子に踏ん反り返るに留まった。それを忌々しげにバートル主任教官が見つめるが、口を強く結ぶだけで留める。
「さて、皆様方。説明が途中でしたね」
「何?まだ何かあるのか?」
再び進行しようとすると、一人の教官が口を挟む。これ以上の失態の他に何があるのか、言わんばかりだ。
「ええ。寧ろ、ここからが本題ですね。今回、賊に入られたというのは確かに失態ではありますが、それ以上の問題が御座います」
その言葉に誰もが注目をする。誰もが、口を閉ざして、耳を傾けた。
「今回の賊ですが、我が校内において、その痕跡を見つける事が出来ませんでした。今も随時調査中ですが、今の所何も見つけれません」
その言葉に多くの者が動揺を露わにする。それもその筈だ。
「馬鹿な!魔力の残滓さえ無かったというのか!?」
「全く痕跡はありませんでした」
それを口にした教官も自分の言葉を疑うように、口に手を当て、目を見開く。
魔力の残滓とは、魔法、魔術、或いはそれに類する魔力の使用に際して、必ず残る“魔力の痕跡”だ。それがこの世の理であり、これを隠す事ができても、残さない事は不可能だと言える。
最も魔力を使用しなければ良いという話にはなるが、アドス軍事学校に忍び込む上で、それは不可能と言っていい。
アドス軍事学校には周囲を囲む高い防壁、数々の感知系、防護系の結界や魔法に加えて、随時大量の警備兵が巡回している。そこを抜ける為には、どのような賊だとしても魔法、魔術、それに類する魔力の使用は必要不可欠だ。魔力なしで、突破するのは超人の域に達するだろう。
ニール総教官長は人差し指を立てて、口を開く。
「そこから導き出せるのは魔力を全く使用せずに侵入を許し、逃げ仰せたというのが一つ」
「そんな馬鹿な!賊が死人だとでも言うのか!?それとも“アンデット”とでも!?」
少なくとも生者では不可能とは誰もが思ったのか、我慢できなかった一人の教官が声を上げた。
確かに死者であればであれば可能だろう。しかし、それは現実的ではない。
「そうは言ってませんが、もう一つ可能性がございます」
ニール総教官長は紛糾しそうになる場を取りなして話を続けた。
魔力とは人間の身体の中に必ず存在する魔素の事であり、平民、貴族、人間であれば、皆同様に大なり小なり保持しているものでもあるのだ。それを無くす事は不可能であり、無くせば“生命の危機”にも関わる程に生きていく上で密接に関わってくる。
だからこそ、無くすのは不可能と言えるが、“魔力の痕跡”を消せない事はない。
「賊が我々の誰よりも魔導に優れる者だという可能性です」
「何だと?我々がその賊よりも魔導に置いて劣っていると?」
ギロリと一人の教官が鋭く口を挟む。それに同調するように何人かの教官が同じく睨んでいる。それでも、彼は真っ直ぐに言い放つ。
「そうは言ってませんが、今回は事が事です。それだけの警戒が必要なのは確かでしょう。危機感を持って然るべきです」
「………」
「………」
「…確かに。例年にない事がある以上、気を引き締めていかなければならない………」
「同感だね。偶には君も良い事言うじゃん。でも、僕よりも魔導の先を言ってるってのが気に入らないよねぇ、可能性だけど」
沈黙が支配しようとする中、うんうんと何人かの教官が頷き、同意を示す。それでも、納得いかない者が多いのか、不機嫌そうに顔を顰めている。
「取り敢えず、今回はこれでお開きにしましょう」
「そうだねぇ。もう夜も遅いし、早く寝たいよ」
「…同じく。我々はここで失礼しよう……」
話が終わるのを待っていたかのように、一部の教官達が席を立ち始めた。それでも多くの教官は席に座ったままで、話は終わってないとでも言うように、席を立つ教官達を睨みつける。
「皆様方、どうぞご油断されないように」
ニール総教官長も一言告げると、彼らの後を追うように退席しようとするが、
「……今回の賊徒の件、貴様らが手引きした訳ではあるまいな?」
顔の前で手を組むブリトン校長がその背中に問いかけた。その瞬間に凄まじい覇気が部屋中を満たしていく。その覇気にその場にいた多くの教官が息を飲み、冷や汗を流す。
それを真っ向から受けるのは、退席しようとする教官達だ。その者達の感じる脅威は幾許かは計り知れない。
「まさか?我々ではありませんよ。しかし…」
振り向いたニール総教官長が人の好い笑みを浮かべて答え、その間に割って入り、彼らを隠す。ブリトン校長の覇気に全く怯んだ様子もなく、真っ直ぐにブリトン校長へと視線を向ける。
「一言だけ申し上げるのであれば、飼い犬にお気をつけられた方が宜しいかと」
「……その言葉、忘れぬぞ………」
その一言がブリトン校長の怒りに触れた様で、射殺さんばかりの眼差しが彼らに向けられた。それでも、ニール総教官長は一歩踏み出す。
「…我々が何故わざわざ不興を買うような事をして、報告しなければならないと?それよりも、今回の一件、貴方様だけは心当たりがある筈で御座います」
静かに、けれども冷たい眼差しで、ブリトン校長を見返す。その異様な威圧感に、部屋中の教官達がたじろぐ。動揺を見せる事はないが、ブリトン校長は何も言い返せず、更なる怒りを瞳に宿す。
「………………………………………」
「では、我々は失礼します」
優雅に一礼する姿をジッと睨んだままブリトン校長は何も言わず、周囲に座っている教官達は最早状況を理解できないのか、困惑と怒りを貼り付けたまま座っているだけで、発言する事はなく、退室する彼らを見送るしかないのだった。