入学試験
「遂に俺も入学か……」
一人の青年が感慨深く呟く。
茶色の瞳に、短い茶髪で、容姿、背格好ともに一般的で何処にでもいそうな青年だ。
そんな彼もまた竜騎兵を夢見て志す者の一人だ。
「いや、それはまず入学できてからだな……」
一度喝を入れるように頬を叩いた後、彼は家の扉を開けて、外へと歩き出した。
今彼が向かっているのは、竜騎兵になる為の第一歩と言われるアドス軍事学校だ。
アドス軍事学校とは、次代の兵士を育てる為の兵士養成施設である。
通常であれば、卒業後は兵士として軍へと配属されるのだが、必ず兵士にならなければならないと言った厳格なものではなく、卒業後の進路は自由なものとなっているのだ。
それに学校というだけあり、教育を受けられる上、国からも助成金が出ており、誰であっても無償で通えるとあって、今では戦闘訓練所兼教育施設のような場所となっている。
その為か、傭兵や冒険者からも人気となり、昔でこそ、兵士を目指す者ばかりではあったが、今では傭兵や冒険者も多く在籍している。
また、この国において唯一庶民であっても入学を許可された学校であり、一般的教養や簡単な計算や読み書きを学べるとあって、庶民からの人気も高く、入学希望者は後を絶たない。
そんな名ばかりの兵士養成施設なのだが、もう一つ、人気となる理由がある。
それはこのアドス軍事学校に魔法から格闘と幅広い学科がある中で、竜騎兵科という学科があり、そこに入り、卒業する事で、竜騎兵団へ直接配属される事になるのだ。
竜に跨り、戦う竜騎兵団はモーテラス王国の子供達にとって憧れの存在として、不動の人気を誇り、当然志す者も少なくない。
しかし、竜騎兵団となるのは極めて困難である。
竜騎兵団はモーテラス王国軍の精鋭の一つであり、其処に至る道は当然、険しく遠い。
もしも、竜騎兵団を目指すのであれば、その第一歩として、一兵士から始めなければならず、副兵長、兵長を歴任し、漸く、竜騎兵団の入団試験を受けられるようになるのだ。
その入団試験というのが、現役竜騎兵との一騎打ちである。毎年多くの者が受けるが、合格者は百人居れば、一人居れば良い方で、その年の合格者は無しというのも珍しく無い。
その為多くの場合、入団試験を受ける事も出来ずに兵士のまま引退するか、或いは夢を諦め、将校へとなっていくのだ。
そういう事情もあり、この軍事学校に入学する者で、竜騎兵科は他の学科より群を抜く人気があった。
そりゃ馬鹿みたいに地道に昇るよりも、こちらの方が断然楽なので当然とも言える。
「見えた。あれがアドス軍事学校か。」
そんな事を考えながら、歩いて行けば、目の前に大きな重厚な鉄の門が見えた。
門は開かれており、その先には左右に並木道が続き、奥には街中ではまず見かけない赤い大きな建物が見える。
あれが校舎なのだろう。
門には『アドス軍事学校』と書かれた校札が掲げられていた。その横には『入学試験会場』と書かれた看板が立っている。
横の看板には目もくれず、校札を見た瞬間に僕の胸の奥から何か熱いものが込み上げてきた。
長かった。実に長かく、大変だった。それが遂にここまで来れたのだ。その喜びも一入というものだ。
僕は大きな門を潜ると、木々に咲く黄色い花を眺めながら、並木道を進んでいく。
あの木は“ロイロ”と呼ばれ、黄色い花と共に春の到来を告げる木だ。
その事からまたの名を『春告げ木』とも言われる。
綺麗なロイロの花を眺めながら、先へと進んでいくのだが、ふとある事に気づく。
(入学式って、何処でするんだろう?)
僕はアドス軍事学校で入学式をするらしいだけしか知らない。だから、何処でするのかは分からない。
(………………………)
いや、大丈夫だ。まだ迷った訳ではない。
僕は真っ直ぐ前を向き、やや小走りで赤い校舎と思われる建物を目指す。何も今日入学式をするのが僕だけではない筈だ。
(きっと。そうきっと他にも試験を受けに来た人達がいる筈……)
暫く歩けば、同じ入学生なのだろうか、何人かの姿が並木道から横に伸びた道の先見えた。そこも並木道になっていたが、うっかりすれば迷いそうだ。
(ほら、大丈夫だった。)
僕は進路を変えて、彼らの姿を追う。
そして、彼らに追いついた頃には視界が開けて、大きな窪地が見えた。
彼らはその窪地の下へと進む階段を降りている。
僕も彼らに着いて行こうとした時、矢印が描かれた立て札が階段手前に立っているのに気づく。立札には“入学試験会場”と書かれていた。
どうやら間違ってはいなかったらしい。
僕は小さくホッと息を吐いた。
窪地へと降りる階段まで近づけば、底が一望できる。
(うわぁ…凄い人の量…………)
其処には眩暈がする程の人が集まっていた。
多分一千人は居るだろう。
その上、どうやら入学試験とやらは始まっているようだ。
試験官と受験者と思われる人が両端の試験場所と思われる所で、戦っているのが見えた。
(す、凄まじい……)
上から見てるだけでも、凄まじい戦いだ。
かたや目にも止まらない剣戟、或いは素手での武闘。
かたや様々な魔法の応酬。
どれも素人目にも凄まじさが伝わってくる。
(生半可では通らないな………)
それでも、きっと通用する筈だ。
僕とて、今日まで努力した。
(それを存分に発揮すれば…)
僕は緊張しながら、階段を降りていき、底へと足を着いた瞬間に四方より視線が飛んでくる。
値踏みするような視線、侮る視線、嘲笑う視線。
どれも良い視線ではなかった。
(大丈夫。きっと大丈夫……)
それでも、僕は真っ直ぐに前を向き、止まっていた足を動かす。
その頃には、僕の事を大した奴ではないと判断したのか、視線を止んだ。視線が減った事で、少しだけ気が楽になる。それでも、気を引き締めて真っ直ぐに歩いていく。
「おや?君も受験生かな?」
歩いた先に居たのは試験官と思われる男だった。
「はい。」
「まぁ少し遅れたけど、今回は大目に見ておくよ。」
「すみません……」
男は仕方ないと言ったように溜息を吐いた。
どうやら遅刻していたらしい。
「それで、どちらで受けるんだ?」
「すみません…その、どちらというのは……」
男から更に大きな溜息が漏れる。
「……街に貼られてあった入学試験の張り紙を見てたなら、書いてあったと思うが、今日は“竜騎士科”の入学試験で、試験内容は“魔法行使能力の評価”、或いは“武闘能力の評価”だ。どちらかで、能力ありと認められれば、入学を許可させる。それくらい見ておきなさい…」
「す、すみません……」
それさえも忘れてしまっていた事を今になって気づく。そう言えばそんな事が書いてあったなと思い出す程度だったが。
試験官は呆れたような目を向けた後に、口を開いた。
「取り敢えず、君は何が出来るんだ?」
「ま、魔法なら少し……」
何やら、言いたそうだったが、それ以上は何も言わずにスッと一枚の紙を渡す。
其処には“魔法試験番号8639"と書かれていた。
「それを持って右側に並びなさい。直に呼ばれるだろう。」
「はい…」
男に頭を軽く下げた後に、右側の列の最後尾にならんだ。
僕が後ろに並んだ直後、前に居た黒いローブを羽織った男がチラリと此方を見て、鼻で笑った。
多分、さっきのやり取りを見ていたのだろう。
少しだけ恥ずかしくなり、周りを見渡したが、それがよくなかった。
(みんな、良い物を持ってるな……)
周りを見れば、羨むような装備に身を包んだ人ばかりだ。
今自分が着ているのは普通の服と、長年使っているこの杖だけだ。それにこの杖も宝物ではあるが、たいそうな物でもない。樹木系の魔物の切れ端を使って作られた杖で、杖の中では安物の、粗悪品の部類だ。
それに対して、周りには高級そうな魔法のローブや強い魔力を秘めた長杖、魔力を高める効果があるだろう宝飾品。
まさに雲泥の差だった。
「最後の者!前に出ろ!」
「は、はい!」
突然耳に入ってきた声に反応すれば、少し苛立ったような試験官の姿が見える。
どうやら、僕の番になっていたようだ。僕が呼ばれたのは夕刻になってからのようで、僕以外の姿は見えない。
それに、反対側から聞こえていた剣戟の音も無く、とても静かだった。
「ただでさえ、魔法評価ってのは時間が掛かる上に苦手なのによう……」
受験生は本当に僕一人らしい。みんな、もう終わったのだろう。試験官の数も数人が残っている程度で、その顔には若干疲れが見える。
「おら、さっさと撃ち込んでこい!」
「は、はいっ!!」
さっきから声を上げている試験官に注意されて、魔法行使に入った。
(多分、試験官に魔法撃ち込むだけで良いんだよね?)
上から見てる時はそう見えたので、間違いないだろう。
(それにそんな事まで聞いたら、失格になりそう……)
何やら試験官も疲れから苛立っているようで、下手すれば問答無用で落とされそうな気配をしている。
(今はとにかく、撃ち込む事だけを考えろ。)
僕は杖の先に、魔力を集めていく。
魔力というのは、魔法を行使する為に必要なエネルギーの事で、どこにでも存在する。
そして、魔法とはこの魔力を利用して、起こす特殊な現象だ。
(一概に簡単とは言えないけどね……)
精神を集中させながら、ぼそぼそと詠唱する。
詠唱も魔法行使の為に必要であり、魔法という特殊な現象を助ける役割を持つそうだ。
「風の刃!」
その瞬間に、杖先の魔力が風の刃を作り出し、勢いよく飛んでいく。
「…まぁまぁだな…」
勢いよく飛んで行った風の刃は試験官の目の前で四散した。
恐らく魔法障壁だろう。
自分の周囲に魔力を纏わせる事で、魔法による攻撃を防ぐ役割がある。
「で?これで終いか?」
「…は、はい、終わりです……」
膝に手を突きながら、息を切らして答えた。
魔法を行使するのには体力も必要になる為、一回の行使に人によっては走り込みと同じだけの体力を消耗する事がある。
「お前、平民か?」
「は、はい…」
息を整えていれば、試験官はそう問いかけてきた。服装から、判断したのだろうが、何か気になった事でもあったのか。
あるとすれば、普通の平民はまともな魔法が使えない事だろう。小さく火を指先に着けたり、水を出したりは普通の平民でもできなくはないだろうが、難しいのは確かだ。他者へと危害を加えれる程の魔法ともなれば、訓練しなければならない程だ。だからこそ、疑問に思ったのだろう。
「そうか…まぁ、試験はこれまでだ。後日、校門前に結果は張り出されるだろうから、その受験紙は大事に持っておくといい。」
「はい!」
しかし、別段なにも聞かれる事は無く、帰される事になり、試験官に一礼し、背を向ける。
「…その魔法…誰に習った?」
階段を登ろうとした帰りの背中に、試験官が声を掛けた。
振り向けば、先程の試験官が後ろに立っているのが見える。他の試験官は先に帰ったのか、姿は見えなかった。
「………父に、習いました。」
それだけ言うと、僕は前を向き直し、サッと階段を上へと登っていく。