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7 かくれんぼとおいかけっこ ②

 一方ペンションの中に入った悠はウサギどころではなくなっていた。ただよういい匂いに反応してぐぅぅとひときわ大きな音が悠の小さなお腹から鳴りひびいたのだ。恥ずかしさに周りをきょろきょろするが幸いにして周りには誰もいなかった。ほっと胸をなでおろすと同時に悠は今自分が腹ペコを通り越してもうお腹が空きすぎていることに気がついた。そう気がついてしまったら大変だ。お腹がぺったんこになって背中とくっつきそうになっている。大変だ。早くご飯を食べないと! 急いで厨房へとかけこんだ。


「お父さん、ただいま! ごはん早く!」


「おかえり、悠。用意しておくから手を洗ってうがいをしてきなさい。いつも言ってるだろう? 厨房に入るときは?」


「……必ず清潔に、でしょ。はぁい、いってくる」


 そういって素直に一度厨房から出ていく息子を見送ったお父さんは苦笑をうかべながら、お昼ご飯の用意を始めた。まずグラタン皿にご飯を少なめに、しきつめるように盛る。次にその上に人参のグラッセとさっとゆでたブロッコリーを乗せ、さらにその上に時間をかけて煮込まれた特性ビーフシチューをたっぷりとかけた後、チーズを振りかけて温めておいたオーブンに。溶けたチーズから少しだけこげる匂いがしたあたりですかさずオーブンから取り出したあたりで、悠が戻ってくる。


「うわぁ、お父さん。すっごくいい匂い! チーズ? シチュー? なになに?」


 そういって悠はいつもの机に急いだ。もう腹ペコすぎて倒れそうなくらいなのだ。そんな時にこんないい匂いをかいでしまってはたまらない。


 椅子に座ってお行儀悪く足をブラブラ。お父さんはその姿にまた小さく笑いをうかべながら、出来上がった本日のアンソワイエ特製まかない料理を持っていった。


「うわぁ……」


 すごいものが出てきた。悠はその時そう思った。大好きなビーフシチューの上に大好きなチーズが乗った何かだ。ごろごろと大きなお肉の塊とジャガイモ、それだけでもこれ以上なく美味しそうなのに、きれいな人参のグラッセとあんまり好きじゃないけど緑のブロッコリーの色合いがとてもきれいだと思った。


「お父さん、これなに?」


「今日のまかない料理。特性ビーフシチュー丼だよ。やけどしちゃうからお皿にはさわらないように。それと熱々だから気をつけて食べるんだよ」


 お父さんがそういうと悠の目の前にはいつの間にかスプーンと付け合わせのサラダとお水の入ったコップが。あまりにおいしそうな料理を目の前にして全然気づいていなかったけれどもう準備は万端じゃないか! 悠はもう待ち切れず急いで「いただきます!」といって食べはじめた。


 スプーンでチーズをきるように入れてビーフシチュー丼の中身を持ち上げると、ふたをされていたシチューの匂いがあふれだした。丸二日コトコト煮込んで作るお父さん特製の濃厚なデミグラスソースの香りと少しこげたチーズの香りが一層まじりあってもうたまらない。熱いのは分かっているからふーふーと息を吹きかけて少し待って、でも我慢しきれずに口に入れるとまだまだ熱々のチーズとシチューの熱さとそしてうまみたっぷりの味が口いっぱいに広がった。


 熱い! でもおいしい! 急いで水を飲みこんで、一息ついてもう一口。そうして悠は下にご飯が入っていたことにようやく気づいた。今度は一緒にシチューと一緒にご飯もぱくり。それから夢中で食べはじめて、しばらくして気づいた時には全部ぺろりとたいらげてしまっていた。


「ごちそうさまでした! とってもおいしかった!」


「はい、おそまつさまでした。それより悠。今日はやけに遅かったね。お昼をすぎても帰ってこないから、お父さんちょっと心配したんだから」


 そういわれた悠が壁にかかっている時計をみると確かに時計の針はいつのまにか一時を少し過ぎていた。本当だ。いけない、ウサギに夢中になり過ぎてこんな時間になってしまった。早くお母さんのところに行かないと、と一度思うといてもたってもいられなくなってしまった悠は、急いで食器を大きなシンクへと運んで帰ってきた時と同じような勢いで厨房から飛び出していく。


 けれど「気をつけるんだよ」というお父さんの声に、悠は急ブレーキをかけて、忘れ物を思い出したかのようにもう一度顔をのぞかせてこう聞いてみた。


「お父さん、ウサギ見たことある? 普通のウサギじゃないよ。帽子をかぶってたり、地図みたいな大きな紙を持ってたり、金色の何かを持ってるような変なウサギなんだけど」


 お父さんは悠の突然の突拍子もない質問に、頭に? を一つ二つ浮かべて、よくわからないまま正直に


「いや、お父さんはそんなおかしなウサギ見たことないよ」


 と答えた。それを聞いた悠はまた嬉しそうに、「そっか~、おとうさんでもないのかぁ」とつぶやいてからいってきますといって外へと飛び出した。


 それを見送ったお父さんは、中村くんとは違って現実的でまじめな人だったから、あんまりに外が暑かったから熱中症にでもなっておかしなものを見てしまったのだろうか? と心配になった。いやそれにしてはいつも通り、むしろそれ以上に元気だった息子の姿に首をかしげながら、しばらく考え込んでしまうまじめなお父さんだった。



○●○●○●○●



「あのね、おかあさん。へんなウサギがいたんだよ」


「変なウサギさん?」


「うん。すっごくへんなんだ。だってそのウサギ、手品師の人みたいな帽子をかぶってたり、立ち上がって大きな紙を持ってたり、金色の何かを持ってたりしたんだ。あとね、見つけたらビックリした! って感じでとびあがるんだよ。で、それからすごいいきおいでにげるの。ね、へんでしょ」


「確かに変ねぇ。そう、そんなウサギさんがいたの」


「うん、いたんだ。だから次に見つけたらぜったいつかまえてやるんだ」


「あらあら、悠。追いかけるのはいいけれど、夢中になって危ないことや人に迷惑をかけることはしちゃダメだからね」


「は~い」


「あともし捕まえられたら、おかあさんにも写真を見せてちょうだい? いいかしら」


「うん! わかった!」


 そういって機嫌よさそうにお母さんが笑う。そんな元気がよさそうなお母さんにつられて悠も笑顔になった。


 病室の窓から差し込む夏空の陽の光がカーテンにまぶしさを明るさにかえられて、クーラーのきいた部屋を照らす午後。おいしいお昼ご飯を食べて急いで家を飛び出した悠は、いつもよりちょっと遅れてお母さんの病室のベッドに体をあずけていた。


 もともと悠のお話好きはお母さんゆずりなところがある。彼女は彼女自身が悠のように幼いころから、童話や絵本が大好きで、少女から大人になり今に至るまで彼女の人生は物語とともにあった。そして一つの夢を持った。


『いつか子どもが生まれたら、その子には必ずいろんなお話を読み聞かせてあげよう』


 だから彼女は悠が今よりもっと小さなころ、それこそまだ言葉がわかるよりも早く、彼女は自然に悠にいろんな絵本や童話を読み聞かせてきた。アンデルセンやグリム兄弟の書いたもののような古くからのもの、――もちろんとても恐ろしい原典オリジナルではないが――から、新しく作られたものまで大きな本棚ひとつ、それがいっぱいになるほど彼女は悠に物語を毎夜聞かせて育てたのである。その結果、悠は物心ついた時には、ひらがなばかりとはいえ絵本を読み楽しんだり、喜んだり、怖がったり、泣いたりするようになっていた。


 そんなお母さんにとって、悠の荒唐無稽な話は別に全然ありえないことじゃなかった。いや、たぶん何か見間違えとか偶然だとか、そういうものだとは思ったのだけれど、それ以上に子供の時というのは、大人が見えない何かが見えることがあると信じていたのだ。


 何しろお母さん自身、子どもの時、夜目が覚めてふと見えた、うす暗い部屋の微妙な光の揺らぎはおどろおどろしいお化けや幽霊だと本気で信じていたし、外で友達と遊んでいる時、誰も何もいないはずのところから風もないのにガサガサと音がしたときには、おとぎ話の妖精がいたに違いないと思ったりしていたのだから。そんなお母さんにすれば、日本の街中に突然一匹だけぽつんと白いウサギがあらわれれば、自分の息子にとっては大事件なのはよく理解できたし、多少、いやだいぶ話が誇張されていてもおかしくないと思ったのである。


 それにしてもすごく具体的だわ、とお母さんは感心した。普通こういった話はもっと見たかもしれないとか、姿ははっきりしなかったのだけれどとか、一瞬見えたのだけれどとかいう言い訳というか前置きみたいなものがつきものなのに、今の悠の話にはそれが全くない。姿かたちもしっかりと伝えれれるほどだ。手品師の人みたいな帽子をかぶったウサギ。さらにそのウサギは、立ち上がって大きな紙を広げてみたり、金色の何かをかかえていたというではないか。


 そのあまりの具体的なウサギの姿が、お話好きのお母さんの中に一つのイメージとなってあらわれた。それは先ほど悠の家の前で話を聞いた中村くんと同じイメージ。少女時代に何度も読んだあの不思議なお話の登場人物にそっくりだった。紙はなんだかわからないけれど、金色の何かが懐中時計ならあと足りないのはチョッキくらいだわ、とも思った。


 だからお母さんは悠に茶目っ気たっぷりに、()()()()()()()()()()こう言ってあげたのだ。


「悠。もし不思議な冒険に誘われたのなら迷わずとびこんでしまいなさい。……もちろんまずはちゃんと本物かどうか確かめてからね?」


 あと、ちゃんとこの子が生まれるまでには帰ってこなきゃだめよ? と付け加えて大きくなったお腹をなでながら、お母さんは遠い昔、物語が好きで好きでたまらなかった小さな女の子だったころの夢を悠に託したのだった。


 ――まさかまさか本当に突然西から太陽が昇ったり、世界中にいっぺんに春がやってきたり、空からブタがふってくるような出来事がもうすでに悠のところにやってきているなんて思いもせずに。



○●○●○●○●



 午後二時。ふたたび悠の姿はギラギラと燃える太陽の下にあった。


「……あっつい」


 思わず声が出てしまうほどだけれど、無理もない。ほんの少し前まで冷房の効いた快適な部屋にいたのに外に出たとたんにこれである。避暑地でもやっぱり日本の夏は暑い。


 さて、ウサギである。暑いけれどもう一度気を取り直して探しに行かなくてはいけない。むしろさっきまでより悠のやる気は増していた。お願いされたから絶対につかまえて明日、お母さんに携帯電話のカメラで撮った写真を見せてあげないといけないのだ。


 そう思いながら病院の出口、つまり昨日最初にウサギを見つけた場所まで来て自分の背よりずいぶん高い壁を見た時に悠はひらめいた。


(虫取り網があれば、こういう高いとこに逃げられたときにいいかもしれない)


 そう思った悠は一度家に帰ることにした。坂道は相変わらず自転車で上がるのも大変だけれど、この時はまるで苦にならなかった。そうだ、どうして思いつかなかったんだろう? と悠の頭の中はとてもいい考えを思い付いた自分をほめたり、逆に今まで思いつかなかった自分をバカだと思ったり行ったり来たりするのに忙しくて、坂道がきついだとか考えている余裕もなかっただけなのかもしれなかったけれど。


 そんなふうにして大急ぎで家に帰ってきた。滑り込むように自転車を止め、ペンションのほうじゃなく家の玄関をあけて、靴を脱ぎちらかし、どたどたと大きく足音を立てて廊下を小走りで、虫取り網のある自分の部屋のドアを勢いよく開くと――


 そこには、


「あぁ。おかえりなさい! お邪魔しておりますよ!」


 ――ウサギがいた。



感想、および誤字・脱字ありましたらよろしくお願いします。


※ しばらく毎日朝七時に更新します。



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