2 夏休みがキライな男の子 ①
さて、このおはなしをなぜ悠が夏休みがキライだったのか、という理由から始めようと思う。
だって夏休みがキライな小学生なんてそんな小学生は普通じゃない。どう考えても普通じゃないと誰だって思うだろう。もしそう思わない小学生がいたら、夏休みがない夏を想像してみればいい。あついあつい真夏のさなか、いつもならエアコンのきいた部屋でジュースを片手にテレビをみたりゲームをしたりして夏休みを満喫しているころ、代わりに毎日汗だくになりながら学校で勉強をしている自分を想像すればいい。とてもとてもイヤな気持ちになるはずだ。
そして大人も思い出してほしい。自分が小学生だったころの夏休みを。あんなに楽しかったときはなかったはずだ。毎日暗くなるまでただただ遊んでいても大丈夫。誰も朝早く起きて人でギチギチの満員電車に乗りなさいといわないし、毎日頑張って仕事しなさいとも言われない。今すぐ何の心配もいらないから、小学生にもどって夏休みを楽しんでいいっていわれたら、すぐにでも今その両手に持っている重いものを放り出してあの頃に戻りたいと強く思うはずだ。
だから悠が夏休みがキライだったということがいかにおかしなことがよくわかると思う。
つまり悠がキライだって思っていた夏休みは子どもも、そして実は多くの大人だって、今も、いつでも、いつまでも、常に待ちのぞんでいるという最高に楽しいはずのイベントだからだ。
そんな素晴らしいものを世界一キライで、夏休みなんて来なければいいのにと思っていたなんて、それにはかならずそれなりの理由があったはずだ。それこそトマト嫌いの人が急にトマトを好きになるのと同じくらいには。
だからその理由からこのおはなしを始めていこうと思う。
悠は日本のとある高原の街に生まれた。なんでもずいぶん昔、明治ぐらいのころ、田舎だったその街をたまたま訪れた外国の人が、その街をたいそうほめたことをきっかけに街は大きくなりだしたらしい。
ほめた理由は夏に涼しかったから、である。嘘みたいな話だけれど、悠の生まれ育った町はそんなことをきっかけに夏の暑さから逃れようとする人が集まる街として大きくなりはじめた。
さて、夏に暑いときに涼しい場所に行って暑いのから少しでも逃げることを、すこし難しい言葉で避暑という。そうして街が避暑にはすごくいいところだと知られていくにつれ、お金持ちが自分のために別荘をたてるようになったり、冬は逆に寒くて雪がたくさん降るからスキー場ができたり、お金持ちが集まるからゴルフ場やテニス場ができたり、そんなふうにして100年ほどがたった今では西洋風の建物が多く立ち並ぶおしゃれな観光の街が出来上がった。それが悠の街である。
悠はそんなおしゃれな観光の街にある、アンソワイエという名前の素敵なペンションの子どもとして生まれた。ペンションというのはちょっとおしゃれな西洋風の宿のことで、その外観は次のようにになっている。
ペンションへとたどり着くために小高い丘を上がっていくと、まずほどよく整えられた小さな木々の緑が見えてくる。その緑の鮮やかさに目に奪われながらえっちらほっちら丘の上までたどり着くと、その先には木立と建物の間に寝転がるとそれは気持ちいいだろうなと思える芝生のじゅうたんがあって、次にそこからもう少し目線を上にあげると、見えてくるのが赤い、いや、赤とオレンジのちょうど間ぐらいの色をしたレンガの壁でできたとても落ち着いた雰囲気のレンガ造りの洋館だ。
なかでも目をひくのが屋根にある大きなえんとつ。もし見た目が想像がしにくい人は、『三匹の子ブタ』の中に出てくる三番目の子ブタが建てた立派なレンガの家の挿し絵を見てほしい。誰もが子供のころに一度はあこがれたあのレンガの家。言い方を変えればアンソワイエは、まるで童話の世界から飛び出してきたかのように素敵なペンションだということだ。
もちろんこのペンションのいいところは見た目だけじゃない。東京の有名なホテルで長い間シェフとして働いていた悠のお父さんのお料理は控えめにいっても大人気。とれたて野菜を使ったお料理と地域で作られている季節のおいしい果物をつかったスイーツが最高においしくて、それを目当てに来る常連のお客様やうわさを聞きつけたあたらしいお客様でランチの時間なんていつもいっぱいだ。
さらに部屋数は少なめだけれどそのかわりに広めの部屋と落ち着いた部屋の内装。ふと窓を開けた時に入ってくるさわやかな高原の風と緑と花の香り。サービス担当のお母さんの真夏に大きく咲くひまわりのような明るさも加わって、とにかくアンソワイエは大人気のペンションなのだ。
そんな街でも大人気のペンションの夏休みは、毎年毎年大忙し。なんていったって悠の街は日本中からいろんな人が夏の暑さから逃げるためにやってくる街だから、夏休みは街中が大忙しでてんやわんやの大騒ぎだ。そんな中評判のペンションが忙しくないはずがない。当然のように毎年毎年、昨日までのお客様を送り出したと思ったら、次の瞬間には今日からの新しいお客様をお迎えするといったぐあいのお祭りのような忙しさ。まさにてんてこまいの毎日だ。
こういう普通の人がお休みの時に限って忙しい仕事というものが世の中にはいくつかあって、悠はそういう家の子どもとして生まれたわけである。こういう家というのはいろいろと普通のサラリーマンの家と同じようにはいかないことが多い。
中でも一番よその普通のサラリーマンのお家と違うのは、夏休みのような長い休みにどこかでかけられるかどうかだろう。悠のような誰かのお休みのときほど忙しい仕事をしている家の子にとって、夏休みのお出かけというやつはそう簡単なことじゃない。普通の家の子のように遠くに住んでいるとおじいさんやおばあさんのところへの里帰りだとか、家族みんなで海外旅行だとか、海だとか、山だとか。小さな話なら、ちょっと離れたところの遊園地とか動物園とか水族館とか、もっと身近な話で近くのプールだとか。普通のお家ならごく普通の、よくあるそういうお出かけがとてもとても難しいことなのは、なんとなくでも分かってもらえると思う。
こうしてお父さんとお母さんがどうしようもなくてんてこまいで忙しい夏休み。せっかくの夏休みなのに悠はずいぶんと退屈な思いをすることになってしまうのだ。
もちろんいいこともたくさんある。朝早くラジオ体操に起きないといけないのはつらいけれど、帰ってきたその後は学校がないのが素晴らしい。なので悠はだいたいまずはペンションの建物と自宅の間にある中庭の花だんにたっぷり水をやり、ついでに自由研究のアサガオにもたっぷりと水をやった後、お父さんが作ってくれた朝ごはんを食べる。ゆっくりあわてずにだ。これは夏休みに限らず悠の休みの日のお楽しみで、普段の学校の時間に間に合わせるためのあわただしい朝ごはんとは違う、お休みの日の特別な楽しみだ。
メニューだって毎日違う。これは毎朝お父さんのつくる悠の朝ごはんはお客さんに出す朝ごはんと一緒に準備するからだ。だから悠は毎日普通のお家ではとても食べられない素敵な朝食を食べているんだけど、ゆっくり朝ごはんを食べられる休みの日のメニューは出来上がるまで時間がかかるけどその分特別なものが食べられる。
例えばとある日曜の朝ごはんなら、バニラアイスがのった焼きたてのハニートースト。これは悠の大好物で、甘くて冷たくて分厚くてホッペが落ちそうになるほどおいしい。他にもある。ある日は、ハムやタマゴやツナが入ったいろんな味のサンドイッチ。コンビニとかで売っている普通のサンドイッチと違うのは、サンドイッチのパンがほんの軽くあぶってあることで、ただでさえ焼きたてで香ばしいパンの香りがさらによくなるし、食感も表面は少しかりっとしているし中はモチモチだ。飲み物はオレンジジュースが定番。あとはお父さん特性のドレッシングのかかった新鮮な野菜のサラダもしゃきしゃきしてとてもおいしいのだ。
こういうものを食べているとき、悠は本当にこの家の子どもに生まれてきてよかったと思う。よそのお父さんは友達の話を聞いていると、どうも悠のお父さんほど料理がうまくないし、そもそも料理を休みの日につくってくれたりしないようなのだ。それを思うと本当にぜいたくな特権だと悠はいつも思う。
そんな特権を夏休みの間、毎日味わえるのは悠がとても友だちやよその子どもたちよりも間違いなくいいところだ。
そうしておいしい朝ごはんを食べて心から満足した後は、自由だ。暑いけど良く晴れた外に麦わら帽子をかぶって遊びに行ってもいいし、ジュースをおともにアニメを見ていてもいい。もちろん今どきの子どもらしくテレビゲームやDVDもたくさんあるし、何より部屋の本棚いっぱいに詰まった面白い本を好きなだけ読んでいてのは最高だ。『赤ずきん』、『オオカミと七匹の子ヤギ』、『三匹の子ブタ』、『ヘンゼルとグレーテル』。他にもいっぱい。とにかくたくさん。そんな宝物を時間を忘れてずっと、ず~~と、それこそ一日中読んでいてもお母さんに早く寝なさい! って怒られないところはすごく素敵なことだ。
誤字・脱字ありましたらよろしくお願いします。
なお、物語中に登場する街は架空の街であり、フィクションです。
※ しばらくは毎日七時に予約投稿いたします。