第十二撃【ルイ・シュタインハルツ・マークベル】
人工呼吸器をとりつけ、ベッドに横たわるルイさん。僕は、その隣で椅子に座り、ルイさんの目覚めを待ち続けていた。
ルイさんは、奇跡的にも一命を取り留めることができた。でも、お医者さんは言っていた。意識が回復するのには、相当な時間がかかる。早くても1ヶ月はかかる、と。
「……」
病室には、心地の良い風が流れていた。窓の方を見ると、少しばかり窓が開いていて、そこから外の空気が流れていた。
ルイさんは、未だに目を瞑っている。ルイさんの体は包帯で何十にも巻かれ、どれだけ酷いダメージを受けたのか、ひしひしと伝わってきた。
ルイさんのことを、直視することができない。僕は、ルイさんに最悪のことをさせてしまったのだから。ルイさんは、僕のことを助けようとしたばかりに、こんな事になってしまった。何もできない僕なんかのために……あの光景が、蘇ってくる。焼けるような音と焦げるような臭い……ルイさんは、僕を庇い、キラーJの攻撃をまともに受けた。ボロボロになったルイさんの姿が、鮮明に思い浮かんでくる。
僕は下を向き、自分の拳を強く握った。
「……祐?」
僕は、ルイさんの方に目を向ける。
何かの聞き間違いかと思った。お医者さんは、意識の回復には、相当な時間がかかると言っていたし、まだ処置をしてから、一日も経っていない。なのに、意識が戻るなんて、あり得るはずがない。だが、ルイさんは、うっすらと目を開け、僕の方を見つめていた。
「ルイさん!?い、今、お医者さん、呼んできますね」
椅子から立ち上がると、ルイさんは、僕の手を握ってきた。その手はとても冷たく、いつもの元気で活発なルイさんとは対照的だ。
「大丈夫ですよ、すぐ戻りますから」
僕がそう言っても、ルイさんは首を横に振り、僕の手を離そうとはしない。
「……ここに……いて……」
小さくか弱い声が、聞こえた。僕は、作り笑いを見せ、頷くと、椅子に座り直した。
ルイさんの手を、力強く握り返す。
「キラーJは……どうしたの……?」
「あの後、ノアが来て……」
キラーJは、あの後、僕とルイさんを殺そうとした。だが、その瞬間、ノアが突然現れたのだ。わけの分からない言葉を唱えると、辺り一面が眩しく光り、僕とルイさんは、いつの間にかこの病院にいた。きっと、ノアが連れてきてくれたのだろう。理由は分からない。なぜ、僕とルイさんを助けたのか……未だに、その理由は分からない。だが、僕たちは助かった。こうして生きている。
「そう……」
ルイさんは、目を瞑り、深く息を吐いた。
「ルイさん……」
僕の目からは水のようなものが溢れだしていた。恥ずかしくて、片方の手でゴシゴシと拭く。それでも、僕の目からはもの凄い量の水が溢れだしていた。これって、涙?そうだ、涙だ。僕は、泣いている。なんで、こんな時に泣いているんだよ……ルイさんに、言いたいことがいっぱいあるのに。ありがとうって、声を大にして言いたいのに……
ルイさんは、笑みを浮かべながら、僕の方を見つめていた。
「恭祐……ごめんね……」
「な、なんで謝るんですか!謝るのは、僕の方です……ごめん……本当に、ごめんなさい」
ルイさんの体には何十もの包帯が巻かれていた。きっと痛いはずだ。僕が想像している以上に痛くて、辛くて、苦しいはずだ。それなのに、ルイさんは決して苦しい顔を見せず、僕に笑顔だけを見せてくれている。何もしてやれない自分が情けなかった。
「嬉しかった……」
「え?」
ルイさんは、僕の事を見つめ、優しく微笑んだ。
「私の力になりたいって言ってくれたこと……嬉しかったよ」
人工呼吸器をつけているからか、ルイさんの声はとても小さく弱々しかった。でも、僕はとても嬉しかった。また、涙が溢れてきた。
泣いても泣いても収まりがつかない。恥ずかしいなんて気持ちはもう、ない。
「もう……恭祐ったら……泣き虫なんだから……」
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ルイさんが再び眠ったのを確認すると、僕はある場所へ向かうため、病院を後にした。
ルイさんの側にずっといたかったが、どうしても、僕は行きたい場所があったのだ。行って確かめたかった。
黄緑大学の近くにある芝草公園に到着する。今日も、噴水は勢いよく吹きだしている。その周りでは、子供達がブランコや鉄棒、砂場などで元気に遊んでいた。その芝草公園の片隅に、数多くのテントを発見した。
たくさんあるテントの中で一際目立つ大きなテントを探し、そこへ向かった。油性マジックで乱雑にM.Sと書かれてある。
「すみませーん、マスターシゲルさん、いらっしゃいますか?」
僕が、M.Sと書かれてあるテントに向かって声を出すと、ひょっこりと見覚えのある老人が姿を現した。いつ見ても、弱々しそうな細い体で、こんな所で生活をしていて良いのかと心配になってしまうよ。
「久しぶりだのぉ、冴えない少年よ」
「久しぶりですね、マスターシゲルさん」
どれだけ馬鹿にされても良い。どれだけ貶されても良い。僕は、このマスターシゲルに聞きたいことがある。その答えを聞くまでは、帰るわけにはいかないんだ。
「マスターシゲルさんに、聞きたいことがあって、ここまで来ました」
「ワシが答えられるようなことは、何もありゃあ、せん」
いつものように、人を小馬鹿にするマスターシゲル。慣れてきたからなのか、それが普通の会話だと思えるようになってきた。
「キラーJのことです。今日、会いました」
「ほ、ほ、ほ〜。よく、生きてこられたの」
“ノアに助けられた”なんてことは、言えるわけもなく、僕は話を続けた。
「キラーJの倒し方を教えて下さい」
「倒し方……とな。何を、馬鹿なことを言っておる」
「僕は馬鹿ですから。何か方法はないんでしょうか?」
僕が初めてキラーJに会ったとき、逃げることしかできなかったのを、今でも覚えている。腰が抜け、戦う意志も見せず、ただただ目の前の恐怖に怯えていた。これ以上、勝てない相手だからって、黙って怯えているわけにはいかない。ルイさんが、命をかけて守ってくれたこの命。僕も命をかけて、地球を守りたい。キラーJを倒すまではいかなくても、何らかの障害を与えたりすることだったら、できるはずだ。
「ない」
「なんでも良いんです!」
「ないと言っておる。お主は地球人なのに対し、相手は魔王じゃ。キラーJにとってみれば、お主はただのカス野郎じゃて」
「そんなに言わなくても……」
心に深い傷を負った気がした。カス野郎は何もできないってことなのか……。
子供達の元気に遊ぶ声が、この公園に響き渡っている。なんとも、平和な場所だ。
「……分かりました」
貶されるだけ貶され、結局収穫はゼロだった。
僕は、ルイさんのいる病院へ戻ることにした。マスターシゲルに一礼し、後ろを向く。
「待ちなさい、冴えない少年よ」
マスターシゲルに呼び止められ、僕は再びマスターシゲルの方を振り向く。
「なぜ、お主はそこまでやろうとする?恐くはないのか?」
「恐いですよ、とっても」
ああ、とっても恐いよ。ノアに会ったときもそう。キラーJに会ったときもそうだ。僕は、いつも怯えて、怖がって、足や手はガタガタと震えて、腰が何度も抜けそうになる。人一倍に怖がりだなって何度思ったことか。
「だったら、なぜそこまでやろうとする?」
「信じているからです」
「信じる……とな?」
僕は即答した。信じているから……僕がピンチになったら、ルイさんが助けに来てくれること?いいや、そんな事じゃない。
僕は、ずっと信じてきた。今までも、今も、これからも。
「ルイさんは、僕のことを選んでくれたんだって、そう思うんです」
ルイさんが、最初に地球に来たときのこと。瀕死の状態だったルイさんは、誰でも良いから契約をしようとして、成り行きで僕を選んだと話していた。でも、僕はね。それは、偶然なんかじゃないって思うんだ。もちろん、僕のエゴかもしれない。勘違いと言われたらそれまでかもしれない。でも、僕は信じているんだ。きっと、ルイさんは僕のことを選んでくれたんだって。
「だから、僕は自分にできることをしたいんです。もう、大切な人を傷つけさせたくはないんです」
背中に酷い火傷を負ってまで、僕のことを庇ってくれた人がいる。僕の言ったことを嬉しいと、微笑んでくれた人がいる。ちょっと、気が強くて強引なところもあるけど、とっても可愛い人がいる。そんな、大切な人を……ルイさんを、今度は僕が守りたいんだ。
じっと、マスターシゲルは僕のことを見つめた後、ふぅっと溜息を一つした。
「お主はもう、とっくにお嬢ちゃんの力になっているじゃろう」
「え?」
「信じているのだろ?お嬢ちゃんのことを。それで、じゅーぶん。ずっと側にいてやることじゃ、の〜」
親指を立て、にっこり笑うマスターシゲルは、とても頼もしかった。
ルイさんを信じてあげることで、ルイさんの力になれる……嘘みたいな話だ。でも、僕はルイさんのことを信じている。誰よりも。世界中の誰よりもだ。もう、悩んだりするのは止めよう。もう、考えるのは止めよう。ルイさんのことを信じて、前に進んでいこう。
よし、そうと決まれば、ルイさんの元へ戻り、ずっと側にいるんだ。待っててくださいね、ルイさん!
僕は急ぎ足で、病院へ戻った。
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ルイさんがいた病室に戻る。窓の隙間から、外の風が流れ、カーテンがゆらゆらと揺らいでいる。ベッドには人工呼吸器が置いてあり、虚しい動作音だけが響いていた。
ルイさんの姿はなかった。どこをどう探しても、ルイさんの姿は見当たらなかった。
とても焦った。とても心配になった。あれだけ瀕死の重傷を負ったんだ。どこかで倒れているかもしれない……嫌な予感がした。まさか、あのボロボロの体で、キラーJの元へ行ったのではないか?いや、それはないだろう。いくらルイさんが魔女だからとはいえ、体はボロボロだ。戦えるはずがないじゃないか。じゃあ、どこに……?早く見つけないと。
僕は、思考回路を働かせ、ルイさんが行きそうな場所を考えた。
「もしかしたら……」
僕は、病院を後にし、僕の住むアパートへと戻った。全速力で戻った。
きっと、ルイさんは、アパートに向かっている。確信はないし、根拠もない。ただ、なんとなくそう思っただけだ。だが、恐らくルイさんはアパートへ向かっている。部屋を覗くと、いつもの元気なルイさんが僕を出迎えてくれて『遅いわよ、恭祐!』って言うんだろう。そしたら、僕はこう言ってやるさ『ごめんごめん、お詫びに夕飯は僕が作りますから』ってね。ああ、きっと、恐らくそうなるんだ。間違いない。だから、もうちょっと待っててね。
アパートに到着し、ドアノブを回す。鍵はなぜか、かかっていない。かけたはずの鍵が、かかっていない。
やっぱり、そうだ。ルイさんが、魔法で鍵をあけて、中で待っているんだ。そんなに焦らなくても、こうやって、すぐ戻ってきたのに。病み上がりの体で、魔法なんて使っちゃ駄目だよ。きつく言ってあげないとな。よし、そうしよう。
ドアを開け、部屋の中に入る。部屋は、夕陽でオレンジ色に染まっていた。だが、そこにルイさんの姿は見当たらなかった。
「ルイさーん、隠れてないで、出てきて下さい!もう、夕飯の時間なんですからね」
それでも、ルイさんが現れることはない。やっぱり、この部屋には、いないようだ。最悪の結果だけが、頭を過ぎる。落ち着け、ゆっくり考えるんだ、柊恭祐。
机の椅子に座り、一度深呼吸をする。そして、考えた。他にルイさんが行きそうな場所を。でも、やっぱり分からない。頭を抱え、考え込んでいると、机の上にノートのようなものが、不自然に置いてある事に気がついた。
「なんだ?洒落たジョークか?」
くすっと笑い、そのノートを手に取ってみる。そこには、長文で何かが書かれてあった。
“ルイ・シュタインハルツ・マークベルです。黙って去っていくのも、失礼だと思ったの。だから、手紙を残すことにしました。書く紙がなかったから、見つけたこのノートに書くことにしましたが、もし、邪魔だったら消してください。
これを読んでいるっていうことは、私はもう、恭祐の前から、姿を消しているってことになりますね。こんな勝手な私を、許してください。私は、これから、魔王と戦ってきます。恭祐が好きと言った、この地球を守るために。ありがとう、恭祐。恭祐が私のことを、信じてくれるって言ったとき、本当に嬉しかった。恭祐と出会うまで、誰も私の話に、耳を傾けてくれないと思ってたから。だから、本当に嬉しかった。ありがとう。今度生まれ変わって、恭祐と私が同じ惑星に生まれたら、また一緒にお出かけしましょうね。今度は、二人乗りでも捕まらないようにするのよ!さようなら、恭祐”
ルイさんが書く字は、とても丸みを帯びた字で、それはもうルイさんらしい字体だった。
机を思いっきりけっ飛ばす。小指が机にクリーンヒットし、激痛が走り、しゃがみ込む。拳を握り、地面を何度も殴る。
『さようなら』ってどいうことだよ。それで『はい、さようなら』なんて、できるわけがないじゃないか。やっと、答えが見つかったのに。やっとルイさんに対する想いが分かったのに。こんなの、あんまりだよ。
痛みを堪え、立ち上がると、靴を履き、部屋を飛び出した。