第十一撃【歪む景色】
「恭祐には、関係のないことなの!」
「いいえ、僕にも関係はありますよ」
ぎゅっとルイさんの手を掴む。
僕とルイさんは、早朝というのにも関わらず、言い争いをしていた。ルイさんと言い争いをするなんて、今日が初めてかもしれない。むしろ、こんな言い争いはしたくない。だって、ルイさんと喧嘩なんてしたくないもの。これからも、今までと同じように楽しく過ごしていきたいんだ。でも、今日だけは譲れない。例え、大喧嘩になったとしても。
「僕が住む世界です。だから、関係なくはありません」
「それはそうだけど……でも、危険なのよ?いつ、キラーJが現れて、恭祐を殺そうとするか分からないんだから」
ルイさんは、喫茶店がなくなったあの日から、一人でどこかへ出かけるようになった。朝早く起き、手作りの朝食を僕に残し、部屋を出る。そして、夜中になるまでルイさんは帰ってこない。純粋に心配だった。最初は、気になる程度だったけど、日に日に、その不安はとても大きなものになっていった。僕の知らないところで、ルイさんは何かをしている。きっと、ルイさんは喫茶店が突然消えた理由を探っているのだろう。もしかしたら、キラーJを追っているのかもしれない。だったら、尚更、僕はルイさんを止めたかった。
「それは分かってますよ。でも、黙って見過ごせるわけ、ないじゃないですか!」
「ちょっと、恭祐。痛い……」
ルイさんは片目を瞑り、痛そうにしている。ふと、とても強い力でルイさんの手を握っていたことに気づき、力を緩めた。
でも、やっぱり納得なんていかないよ。命が危険になるなんて、最初から分かり切ってたことじゃないか。ルイさんが僕にキスをした時点で、僕の命は危険なわけで。それに、覚悟だって、遥か昔にできている。だから、こうしてルイさんと一緒に過ごしてこれた。ルイさんが頑張っている以上、一人でスヤスヤと寝ているわけにはいかないよ。
「恭祐は……知らなくて良いことなの……安心していつも通りに……」
「できるはず、ないでしょ!」
今までに出したことのない声で、ルイさんに言った。
ルイさんは、一瞬驚いた表情を見せ、僕から目線を逸らした。僕は追い打ちをかけるように、ルイさんに言う。
「危険なら、ルイさんも危険ってことじゃないか。それで、僕だけいつも通りに生活しろって?できるはずないでしょ。そんなの嫌ですよ。耐えられません。僕は、ルイさんの力になりたいんです」
力になりたい。それがどんな形であろうと、構わない。移動手段に困っているというのなら、足になっても良い。身代わりが欲しいなら、盾になっても良い。ルイさんの力になることができるなら、僕はどんなことだってできる。喜んでやってやるさ。
「……足手まといなのよ」
とても胸が痛くなるような言葉だった。僕が一番知っている事で、でも一番聞きたくない言葉をルイさんに言われた。
僕は下を向く。前を向く事なんてできない。ルイさんの顔を見ることができなくなってしまった。
「だから……これ以上……私の邪魔をしないで」
「……」
僕は、すっとルイさんの手を放した。
「……じゃあね、恭祐」
ルイさんの声が聞こえる。遠くなる足音。扉の閉まる音。
頭の中で、ループする。足手まとい、邪魔……心が痛い。胸が痛い。
知っていた事じゃないか。自覚していた事じゃないか。なのに、なんでこんな気持ちになってしまうんだ。なんで……なんで……
体は小刻みに震え、僕は、その場に座り込んだ。
「馬鹿みてぇ……」
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目覚ましが鳴り響く。
手探りで目覚まし時計を探し、停止ボタンを押す。
「んん……もうちょっと」
目覚ましを止めてしまえば、僕の眠りを邪魔する者はいない。あと少しだけで良い、もう少しだけ寝かせてはくれないだろうか。僕は、再び深い眠りについた。
それからどれくらいの時間が経過したのか。夏の日差しで部屋は暑くなり、その蒸し暑さで僕は起きた。
「あれ!今、何時だ?」
僕は、一気に眠気を吹き飛ばし、時計を見つけ確認する。
「あぅ……寝過ごした……」
布団から上体を起こし、部屋に転がっている携帯電話を手に取り、直斗に電話をかける。
「もしもし?」
「あー、僕だけど、寝過ごしたから、あとで合流するわ」
受話器からは、直斗の笑い声が聞こえていた。今日は、待ちに待ったコミカの日。
コミックカーニバル、略してコミカと言われるイベントは、夏休みの二大イベントの一つであり、僕がとても楽しみにしているイベントでもある。夏フェスでは、フィギュアやポスターなどのグッズが売られるのだが、コミカではコミックカーニバルと言われるだけあって、大量の同人誌が販売される。もちろん、僕が目当ての同人誌はただ一つ。美少女戦士Loveきゅーれだ。今年は夏フェスに参加しなかった分、コミカで挽回をしてやろうと決心をし、イベント当日を迎えた。だが、最悪なことに僕は、寝過ごしてしまったわけだ。
電車は一時間に一本ペース。今から急いだところで、間に合うはずがない。そんな時は、落ち着いて行動するべきだ。
布団を片づけ、朝食を作る。今日のメニューは、目玉焼きに納豆。なんとも質素だがこれで良い。この後、直斗たちと昼食を食べるだろうから、朝食は、あまり食べない方が無難な選択だ。朝食を食べた後、かたづけをし、出かける準備をした。
コミカだからといって、特に勝負服なんていうものはなく、ジーパンに無地の半袖と、いつものラフな格好に着替えた。
「忘れ物は……ないよな」
僕は一度、鞄の中身を確認する。財布、音楽プレーヤー、家の鍵、携帯電話。忘れ物がないのを確認すると、靴を履き、扉を開け外に出た。
『いってらっしゃい!』
誰かに、言われたような気がして、僕は一度、部屋の中を見た。そこには、誰もいなかった。部屋の窓からは太陽の光が差し込んでいる。
ルイさんは、僕と言い争いをした日から、この部屋に戻ってくることはなかった。朝早くに起こされることもなくなったし、頭に激痛が走ることもなくなった。でも、それが本来あるべきの生活スタイル。ルイさんと出会ってから、その生活スタイルが変化しただけで、それが元に戻っただけのこと。だから、なんら寂しい感情なんてものはないさ。ああ、そうだな。今頃、ルイさんは僕の知らないところで、魔王を見事に倒し、『偉大なる魔女に、敵う敵などいないのよ!』とかなんとか言って、大笑いをしていることだろう。
そんなことを思い浮かべながら、笑みを浮かべる。
「……いってきます」
扉を閉め鍵をかけると、アパートを後にした。
駅は、僕のアパートから歩いて十分のところにある。それが結構疲れるんだよね。十分とはいっても、夏の季節に十分歩くのは、大変なことだ。
夏の日差しと、ジリジリするような暑さが僕の体力を着実に減らしていく。
「暑い……」
今日は、いつも以上に暑く、まさに真夏日和だ。それでも、コミカという夏休み最大のイベントに参加するためには、仕方のないこと。
休むことなく、僕は、歩き続けた。そして、やっとのことで、駅に到着した。
平日の昼時だからか、駅のホームは閑散としていた。僕は券売機へ向かい切符を買うことにした。
ここから東京まで、どれぐらいお金がかかるのか、料金表を眺める。なるほどね、乗り継いで行かないと東京には着かないのか。毎年、東京に行っているのに未だに慣れないという、僕の方向音痴。なんとかならないかな……
時刻表と料金表を互いに見ながら、自分がどの電車に乗れば良いのかを確認し、財布から小銭を取り出す。
『世界は変化する』
突然、声が聞こえた。いや、感覚的には聞こえるというより、僕の頭の中に無理矢理入ってくる感じだ。頭に激痛が走り、気分が悪くなる。激しい嘔吐感だ。僕はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
「何なんだ……?」
「やぁ、少年」
男の声がした。
僕は、声のする方へ視線を向ける。そこには、見たこと事もない男性の姿があった。
目と目が合った瞬間、僕の体中から嫌な汗が沸き上がってくる。その男は、僕より一回りほど大きな体格で、髪の毛はなく、丸坊主だ。なぜか上半身は裸で、そこから見て取れる隆起した鋼のような筋肉は、人間の域を超している。目はとても大きく、見てしまえば、全てを見透かされているかのような感覚に陥る。そして、この威圧感だけで、体が拒絶反応を見せ始めた。
「自己紹介をしておこうか。私の名はキラージャック」
その名前を聞いた途端、僕は全速力でその場から逃げ出した。心臓は高鳴っている。いつもよりも早く、激しく。
キラージャック……まさか、本当にいたとはね。名前を聞いた瞬間、誰だか分かったよ。キラーJだ。地球を破滅へ導く魔王だ。
駅を飛び出し、住宅街へと向かった。足がもつれ、何度も転びそうになる。だが、こんなところで転んでたまるか。
ぐっと自分の足に力を入れた。
『どこへ行く?』
くそ、またあの声が僕の頭に流れてくる。
息はすでに上がり、体力は限界だ。それでも足を止めたりはしない。止めたら最後、確実に僕は殺される。脳がそう感じるよりも早く、体がそう感じたのだ。住宅街に入り、狭い路地を駆け抜ける。右へ曲がり、次は左へ。目的地なんてない。ただ無我夢中で、走り続けた。
『少年、君はもう私のテリトリーに入っている。感情を捨て、現実を見るのだ』
頭の痛さに、僕の意識は吹き飛びそうになる。恐怖心と疲労感で足はもつれ、大きく転倒した。激しい痛みが体中を駆け巡る。
「ボロボロじゃないか」
顔を上げると、目の前には先ほどのキラーJが立っており、無表情で僕のことを見下ろしていた。
ふざけている。めちゃくちゃだ。なんで、こいつが僕の目の前に立っている?僕は逃げた。全速力で逃げた。それなのに、キラーJは僕の目の前に立っている……そして、僕は重大なことに気がついた。
「ここは……?嘘だろ?」
信じられない光景が目の前に広がる。いつの間にか、僕は駅の中で倒れていた。そんなこと、あり得るはずがないじゃないか。
僕は全速力で駅を飛び出した。住宅街を通り、狭い路地を走った。その記憶は確かにある。だが、僕は今、駅の中で倒れている。
頭の中がパニックになり、何がなんだか分からなくなる。上体を起こし、立とうとしても、腰が抜けて、立ち上がれない。
「だから、言っているだろう?私のテリトリーに、君は入っていると」
辺りを確認すると、人の気配は全く感じられなかった。静寂……夏の日差しも、なぜか暑さを感じさせてはくれない。
体中は痙攣を起こし、恐怖心で息ができなくなりそうだ。
「無知とは醜い。無知とは愚かだ。今の君を見ていると、反吐が出そうだよ」
キラーJは片手を僕の方へ突き出す。すると、黒い塊がキラーJの周りに出現し始めた。
殺される……そう思った時、駅のホームから人の気配が感じられた。僕が乗ろうとしていた電車が到着したのだ。電車に乗る人もいれば、降りる人もいる。ああ、助けを呼ぼう。誰でも良い。早く助けを……
「誰か!」
大声で叫んだ。自分が出る最大の音量で助けを求めた。だが、誰も僕の声に気づく者はいない。
腰が抜けて座り込んでいる僕の隣を、平然と通り過ぎていく人たち。まるで、僕の存在自体に気づいていないかのようだ。
「残念だ。実に、残念だよ。ここにいる全ての人々は、私のことも、君のことも見えてはいない」
「そ、そんな……」
呆気なく、望みは絶たれた。助けを求める声も、僕の姿も、人々には届かない……誰も僕のことを助けてはくれない。
「くっそ……動け!」
地面に這い蹲りながらも、キラーJとの距離をあける。
嫌だ。こんな形で死ぬなんて嫌だ。今日は、直斗たちと楽しく遊ぶはずだったのに。楽しみにしていた日だったのに。なんで、こんなところで殺されなきゃならないんだ!
「さようなら、無知なる少年よ」
僕は、キラーJの方に目を向けた。いくつもの黒い塊は、僕に狙いを定め襲いかかってきた。手をかざし、顔を下に向け、目を瞑る。その瞬間、眩しい光とともに、ものすごい爆発音と強い風が流れた。
そして、辺りは静かになる。ジューッと焼けるような音。焦げるような臭い。
僕はゆっくりと目をあけた。景色が歪んでいる……何も考えることができない。
頭が真っ白だ。痛みはない。きっと、これが死ぬ直前というものなのだろう。顔を上げ、辺りを確認する。何者かが僕の目の前に立っていた。頭が真っ白になっている状態の僕には、その人が誰だと理解することはできない。そして、その人物は力なくその場に倒れた。倒れた先には、キラーJの笑う姿が見える。
僕は、ゆっくりゆっくり下に視線を向けた。ゆっくりとゆっくりと、確認するかのように。
「……」
ぴくりとも動かないその人物は、うつぶせに倒れていた。服が破れ、肌が露出している。その肌は、信じられないほど真っ赤で、そこから、湯気のようなものが立ち上っている。
嫌な予感が、僕の脳裏を駆け巡った。
自分の手や足を動かしてみる。手はしっかり動く、足もだ。どこも痛いところはない。間違いない。僕はこの人に助けられた。でも、誰が……誰がこんなことを……
「だ、大丈夫ですか?」
僕はうつぶせに倒れている人を両手で抱え、仰向けにさせた。その瞬間、僕の体は凍り付いた。声が出せなくなった。目の前の現実を拒絶したくなる。これは悪い夢に違いない。そう、きっとこれは夢なんだ。だが、目の前にいる人物は、ぐったりとしている。
僕のことを守ってくれた人は、微動だにせず、目を閉じている。口からは、血が流れていた。ボロボロになった、その人の体を、僕は抱きしめた。
「ルイさん!!」
虚しく悲しい声だけが、辺り一面に響き渡っていた。