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初投稿です。のんびり連載する予定ですので、よろしければお願いいたします。
なぜこんなことになったのか……、トリスは天蓋付きのベッドの上で頭を抱えた。もう、これで3回目だ。冷汗が噴き出し、瞳からは涙が溢れ出す。涙で滲む視界に俯けば白い胸元に蒼いリンドウの花の形をした紋章が刻まれているのが見えた。トリスは紋章に震える指先で紋章に触れ、激しく脈打つ鼓動をなだめるようにふっと息を漏らした。
ふとこんなことになったきっかけでもある少女の顔が脳裏に浮かんだ。ストロベリーブロンドの髪を肩口で切りそろえたその姿は貴族や庶民が通うあの学園でも異色のものだった。なぜなら女性は髪を長く伸ばすこと、それがこの国の女性にとってのおしゃれでもあり一般常識だからだ。
でも、彼女はそんなことは気にせずに明るい髪色を肩口になびかせ、よく男性に話しかけられては小動物のように飛び上がり、あられもない奇声を上げ、逃げ出していたのを覚えている。
その姿を何回か目にしたトリスと一緒にいた殿下が「可愛らしい容姿をしているのに、あの落ち着きのなさがもったいない」と苦笑しながらよく言っていた。
たしかに彼女は可愛らしい容姿をしている。かろやかなストロベリーブロンドの髪も美しいし、翡翠色の瞳も華奢な体躯をしていながらもなぜか胸だけが発育がいいのには、トリスは不思議でならなかった。何を食べたら胸だけ大きくなるのか。不思議に思ったのと同時に忌まわしい外見を持っているトリスは少しだけうらやましく思った。
(たしか、あの子は『”主人公補正”なのよ!』とか言ってた)
トリスは息を吐くとベッドから立ち上がって、毛足の長い柔らかな絨毯の上を歩き、両親が娘のためにとわざわざ取り寄せた姿見の前に立った。そこには夜着を着た少し青ざめた肌を持つ痩せた少女が立っている。雪のような白い髪も紅い瞳。姿形は整っているが、トリスにはちっとも美しいと思えなかった。
白い髪に紅い瞳は異端の証だ。両親とも似ても似つかない突然生まれてくるそれに、この国の人は気味悪がり忌避する。そんな外見を持つトリスがこんなにも恵まれた環境にいるのは、ある一つの才能のおかげだった。それがなければトリスは幼い頃に簡単に死んでいただろう。飢えか栄養が足りずに病気なるか、異端を恐れる人々に殺されるか。
思考の海に沈んでいるとノックが鳴った。そうだ、今日は”3回目の殿下が来る日”だ。零れる涙を手の甲で拭って、入室を促せばしずしずとトリス付きの侍女が入ってくる。彼女は今日もきっちりと栗色の髪を結いあげて、侍女のしわ一つないお仕着せに身を包んで、優雅に礼をした。
「お嬢さま、おはようございます。そろそろ殿下をお迎えする準備をいたしましょう」
「ええ、お願いするわ」
「まずはお顔を洗いましょう」
準備の前に水差しの水を一口飲んで、トリスは侍女に身を任せた。そうすればトリスの身支度はすべていいように取り計らってくれる。おしゃれや流行に不慣れなトリスが口を挟むよりそのほうがずっと早いし、何より殿下の前では少しでも美しくありたい。
(私は気弱で嫉妬深くて自分に自信も持てない)
なのに周囲にそれを見せられなくて勇気もなくて、とにかくダメなところしか目につかない。でも変わらなくてはならない。
―――ユージーン殿下を守るために。
トリス―――ベアトリス・ウェンスタインはウェンスタイン公爵家の令嬢である。とは言っても養子で実際には公爵家の人間とは血の繋がらない。庶民で異端の姿形を持つこの国のカースト最底辺にも位置するはずの彼女は、権力でも財力でも国随一の貴族とも謳われるウェンスタイン公爵家にとある事情で赤子の頃に引き取られた。ウェンスタイン公爵家の当主でもあるレザード・ウェンスタイン大公殿下は現国王陛下の弟君でもあり、40代前半の偉丈夫でもある。愛妻家とも家族思いとも広く知られる大公殿下だが、中でも血の繋がらない末の娘”異端のトリス”を溺愛していることはとても有名である。
けれど大多数の人々は知らない。昔、トリスとレザードはもっとよそよそしい関係だったことを。トリスは常に家の役に立たねばと強迫観念にも似た思いに追い詰められていたし、レザードは家族は愛していてもトリスという存在を心のどこの部分に置いたらいいのかわからなかった。
関係性が変わったのは3年前の帝国との戦だった。
このベルガニト大陸には10の国、そして3つの島が存在する。トリスが住まうのはいびつな楕円形の大陸南東に位置するエルサルヴィア王国、臣下の声をよく聞き用いると評判の王は、ジーゲフロイト帝国の皇帝のように強烈なカリスマ性、独善性こそないものの、民の評判はいい。
人を見る目に長けているのだろう。にこにことした笑顔を浮かべ少数の護衛を引き連れて、どこにでも顔を出す陛下は有名で、彼はそこここで拾い物をしてくる。とある女王国の高位貴族の貴婦人の落とし物だったり、挙動の怪しい人物を拾ったり、視察で訪れた地方で森に迷い込み川で砂金を見つけ、その後鉱脈探しを命じたら金鉱石が見つかったり、子犬を拾ったり、子猫を拾ったり、迷い馬を拾ったり、人を拾ったりしたらしい。
貴腐人の落とし物はよほど大事なものだったらしく、女王国まで届ければたいそう感謝され、かの国との繋ぎが出来た。挙動の怪しい人物は帝国のスパイで、彼は急遽軍に命じて捕えさせ、陛下のお手柄だったものの臣下は揃って「護衛を連れているとはいえ、危ないことはおやめください!」と涙目で縋ったらしい。金鉱石はこの国は手先が器用な民族性で細工の国として有名なので、その地方と国はたいそう潤ったらしいが臣下は「何で街の視察に行って森に迷い込むんですか!」ともう何回叫んだかわからない悲痛な叫びをあげたらしい。子犬や子猫は彼の子のいい遊び相手兼非常に優秀な番犬となっていて、”トリスの殿下”も幼い頃は犬や猫に囲まれて生活していたらしい。迷い馬は賢く気性の大人しい馬だったので調教してトリスに与えられた。人は教育してくれとにこにことした笑みを浮かべた陛下が王弟殿下に押し付け、拾ってきた子たちは揃いも揃って優秀だったらしい。今では王弟殿下の手足となって働いているが、昔から陛下に振り回されてきた王弟殿下は押し付けられた当初、苦虫を噛み潰して噛み潰して噛み潰しまくったような、それはそれはたいそう苦い顔をしたらしい。
ともあれ数々の『陛下伝説』はある意味出来過ぎていて、同じ人間とは思えないとトリスは思う。おそらくは神というものが存在するなら、きっと陛下は神に愛されているに違いない。神の存在を信じていない異端のトリスは会ったことのない陛下のことを考えてよくそう思ったものだ。
そんな恵まれた才能を持つ陛下が危機的状況をむかえたのは3年前のことだ。エルサルヴィア王国の西と国境を接する大陸一の大国『ジーゲフロイト帝国』が国境を侵したのだ。
ジーゲフロイト帝国は13年前に代替わりをし、好戦的で野心的な皇帝が治めている。今より10年前、若き皇帝はまるで何かを追うようにエルサルヴィア王国の西の国境まで自ら先頭に立って軍を進めた。けれど、若き皇帝の進撃はエルサルヴィア先王陛下の采配によって退けられ、手痛いしっぺ返しをくらった皇帝は意外にも冷静に王国からいったん手を引き、他の近隣の国々に攻め込み数年かけて属国にした。エルサルヴィアに敗走した後に再編成をした、後に大陸随一の強さを誇ると謳われた軍隊を投入し、恭順を示さない近隣諸国は富や女を奪い蹂躙し尽した。それでも皇帝はエルサルヴィア王国を諦めきれていないようだった。その証拠に何度か王国の西の国境沿いで小競り合いが起きていた。
そうして、小競り合いが戦に発展したのは3年前の話だった。その時点ですでに大陸随一の大国となっていた帝国に国力では叶うべくもない。話し合いの使者を送ったがにべもなく打ち捨てられた。
恭順か蹂躙され国を滅ぼされるか。恭順を示せばこれまでの国々の前例により、苛烈な要求が待っているだろうことは想像に難くない。
王族は御しやすい暗愚以外は殺し尽され、莫大な戦争の賠償金が要求され、法外な奉納金を定期的に要求される。現在、発覚されている鉱山類は差し押さえられるだろう。そうなると賠償金や奉納金を払うためには民には重税を課さねばならなくなる。待っているのは経済の破綻であり、国内での餓死、暴動、奪い合い、悲惨な末路しかない。
話合いの席につかなかった皇帝は妥協はしないと示しているのだ。そうなるとエルサルヴィアは恭順を示そうが蹂躙されつくされるとわかっていて引くわけにもいかなかった。
屋敷内がバタバタしていたのをトリスは覚えている。異端のトリスにも優しくしてくれた一番上の義兄が戦場に行くという。養母も下の義姉も泣いている。上の義姉は唇を噛み、トリスには意地悪だった同い年の義弟は「兄上、この化け物が行けばいいんだ! 兄上は跡取りなのだからいけません!」とトリスを指さして声を上げた。トリスに優しい義兄と上の義姉が咎めるように声を上げ、上の義姉は義弟の頬を打った。赤くなった頬を押さえて義弟はトリスを睨むとそっぽを向き、下の義姉と養母がトリスを見て気まずそうに眼をそらしたのをトリスは感情のない目で見つめた。家族と血の繋がらないトリスではどうしても比重は違ってくる。情がないわけではない。
義兄と上の義姉はトリスの見た目を気にせず普段から気にかけてくれた。下の義姉や養母はトリスの忌まわしい見た目が恐ろしいのか積極的に関わってくることはなかったが陰湿なこともしなかった。義弟は意地悪だったが命に関わるような嫌がらせはしなかった。トリスも家族との溝をどうやって埋めていいのか今日までわからなかった。そんなトリスより義兄の身の安全を願うことは仕方のないことだ。けれども、胸がシクシクと痛んでトリスは俯いた。
けれど養父のレザードはトリスから目を背けなかった。王弟殿下でもあるレザードが自分を見て苦悩していたのも知っていた。家族には優しい人で、トリスともどう距離を詰めたらいいのか、いざという時、苛烈な環境に追いやることをわかっているのに距離を詰めてもいいのか、悩んでいたことを知っている。レザードが何も言わずにトリスの頭に触れた。だが、レザードは何も言わなかった。声を出せば立場上トリスに命じるしかなくなってしまう。優しい人だとトリスは知っていた。だからトリスは決意するかのようにぎゅっと目を閉じると、振り切るように顔を上げてレザードに言った。「私が戦場に行きます」と。恐怖で震える指先を握って抑え込んだ。みっともなく声が震える。自分にならその力がある。ただの13歳の少女ではない。この場の誰よりも強い。だからこそ異端の身で生かされ、公爵家に引き取られた。
ならば戦わなくてはならない。役目を果たさなくてはならない。
「わたしはこの国に3人しか存在しない魔法使い。この家のため絶対に役に立ってみせます」
3年前、小さな魔法使いは、かりそめの大きな恩がある家族にぎこちなく笑いかけた。
「やぁ、トリス。おはよう、殿下がいらしたようだね?」
「オズワルドお義兄様」
ユージーン王子殿下が約束の時間より少し早目に到着したという知らせを受けて、慌てて出迎えのために玄関に向かうトリスが廊下で出会ったのは義兄のオズワルド・ウェンスタイン。彼は鮮やかな緋色の髪を後ろに撫でつけて、上等な旅装に身を包んでいる。次期ウェンスタイン家当主の彼は、顔を売るため、経験を得るため、レザードの代理として方々へと赴くことも多く、多忙を極めている。養母に似た艶やかで派手な容姿は多忙からか少しくたびれた印象を受けた。
「お義兄様はこれからお出かけですか?」
「あぁ、少し人に会わなければならなくなってね。殿下にお会いしたらすぐに出る予定だ」
「そうですか、お気をつけてくださいね」
「ありがとう。トリスこそ、もうそろそろ学園に通うのだろう?もしも何かあったらすぐに連絡しなさい。この家にでもいいし、カタリナにでもいい」
「はい、ありがとうございます」
カタリナとは上の義姉だ。義兄同様、何くれとトリスの世話を焼いてくれた彼女はすでに嫁に行き家庭を持っている。義兄同様派手めの美人で社交界の薔薇と言われた彼女は、正義感が強く他の者に流されず、自分を持っている女性だ。おもねる必要がない家柄ということもあるが、それでも大人しいトリスには幼い頃から上の義姉がまぶしく見えたものだ。そんな彼女は定期的にトリスに手紙をくれる。
「遠慮などしたら父は静かに怒るだろうし、カタリナはあの通りの家族大好きの激情家だから烈火のごとく怒るよ。もちろん、私も悲しい」
「はい」
相変わらず優しい義兄にトリスはほっとして微笑んだ。
トリスの殿下は淡い金色の髪をとサファイアのような美しい瞳をしている。中肉中背の美しい青年だ。彼---ユージーン王太子殿下はカップに口をつけながらトリスと目が合うとにっこりと優しく微笑んだ。その微笑みがとてつもなく懐かしく感じられ、トリスは胸が詰まり思わず涙が零れそうになったのを慌ててごまかす。王子然とした非の打ちどころのない微笑みを浮かべる彼が、けして優しいだけの人間ではないとトリスはよく知っている。トリスや彼とトリスの師匠には優しいが、それ以外には人当たり良く見せつつ淡泊で計算高くしたたかだ。中でも他の王子たちとの兄弟仲は最悪だったりする。それもこれも上の兄王子たちを差し置いて、血筋もはるかに劣る第4王子である彼が王太子となったからだ。それも王と大臣たちとの取引の結果、彼が勝利したのだから仕方のないことだ。
彼は他の王子と違い、王子という椅子にただ座り続けることに満足しなかったから動いた。ただそれだけの話だ。どうしてあの陛下の息子がこんなにしたたかで苛烈な男なのかトリスには謎だったが、それでもトリスはそういう部分も含めて殿下が好きなのでなんら問題なかったりする。
「トリス、約束の時間より少々早くなってしまい申し訳なかったね」
「いいえ、ユージーン殿下」
「もうすぐ学園に入学だろう?しばらくは婚約者の君とこんな穏やかには過ごせないだろうから、ついつい気が急いてしまったんだよ」
学園という言葉にトリスはそっと目を伏せた。まさかこの異端の見た目を持つ自分がこの王都でも有名な学園に通うことになるとは思いもしなかった。公爵家に引き取られてからはこの屋敷から一度も出されることはなかったし、幼い頃から交流があったのは家族と同じ魔法使いでもある目の前のユージーン殿下、トリスと殿下の魔法の師匠でもある魔法使いのハロルドくらいだ。
それにあの地には複雑な想いが詰まっている。
「まさか、叔父上がトリスをこの家から出すとは思わなかった」
「それは……正直、私もそう思ってます」
トリスは苦笑した。3年前、家のため戦に行く決断をしたトリスを養父は抱きしめた。宰相という国の要職につく身としては非情にならなければならない。けれど、成人にもなっていない幼い養女を苛烈な戦場へ向かわせることに、レザードとしては何も思わないわけではない。レザードは自分の心の中のトリスの存在の置き所に悩んではいたが、それでも非情で冷酷な人ではなかった。
戻ってきたトリスを守るように過保護になったのもレザードだった。帝国を退けた魔法使いの存在は国の英雄となった。その中でも異端の姿形をしているトリスは異端の魔女として畏怖される存在である。だが、13歳の幼い少女と侮って利用しようとする輩がいないわけでもない。
トリスは預かり知らぬことだったが当時、あの手この手で彼女と接触しようとした者たちを退けたのは養父のレザードであり、上の義兄であり、目の前の王太子殿下だった。
学園は人脈作りや人材の発掘のために設立された機関で、先王時代から存在するが昔は貴族の人脈作りの場としての役割が主だった。それを3年前の戦を契機に庶民でも優秀な者を育てようと、戦で疲弊した経済を安定させる政策を打つのと同時に、国王陛下が私財を投げ打っても推し進めた。将来のための投資だとウェンスタイン公爵家でも出資したらしい。学園の生徒における庶民の割合は多いわけではないが、それでもほんの少しずつ増加傾向にあるらしい。
未だ帝国との関係が不安定な以上、戦で喪われた人材の補充は急務だ。何よりどこも即戦力を求めていて、学園では文官、騎士、兵士など専門的な分野から、各研究職などより緻密で専門的な分野に分かれている。もちろん、人脈作り目当ての貴族令息や結婚相手を求める令嬢も在籍しており、学園は貴族の動きを観察しやすい社交界の縮図という旨味があるので、養父の子飼いでもある学園長が目を光らせて何かあれば養父に報告しているのだろう。
「どうやら陛下がお養父様に仰ったみたいで……」
「あぁ、そうだよね。叔父上に意見できるのって陛下くらいしかいないよね」
苦笑したユージーンは紅茶を口に運んだ。洗練された美しい所作だ。そういえば、彼は昔から国王陛下を父と呼んだことはなかった気がすると、ふとそんなことをトリスは思った。
「『籠の鳥にばかりさせてないで、小鳥ちゃんにたまには自由を与えてあげれば?今なら学園にはうちの息子も在籍してるし、あの子をつけとくよ』と仰ったらしいです。その日は帰ってきたお養父様の眉間のしわがすごいことになってらして……」
「想像がつく」
クツクツとユージーンが笑った。一国の王太子殿下を護衛につけるという陛下の言葉にトリスの頬が引き攣ったのは言うまでもない。
「まぁ、公爵家に歯向かってまで、国の英雄と呼ばれる魔法使いに”表立って”喧嘩を売る馬鹿な人間はいないと思うからねぇ」
「そもそも、好き好んで私に近づくものがいるとは思えません」
実際、”過去2回”の短い学園生活は遠巻きにされていただけで、関わる人間はほぼいなかった。だが、そんなことは知るよしもないユージーンが笑みを浮かべたまま、ちらりと視線をよこした。口元だけは笑みを浮かべている彼の探るような視線にトリスは苦笑した。
「私はこの見た目ですし」
だから心配ありませんと告げたつもりだったが、どうやら言葉選びに失敗したらしい。卑下しているつもりはなかった。ただの事実として話したつもりだが、殿下が深い息を吐く。
「君は美しいよ」
ユージーンはいつもそう言ってくれる。けれど、生みの母と父の姿と全く違う色彩の異端という存在は、古くから彼らの人生を狂わしたことをトリスは知っている。ある女は夫に不貞を疑われ捨てられる。近所でも噂になり追い詰められた女は子供を殺した。他にも夫婦間の暴力沙汰もあったり、異端の人間の骨は呪いに使えるだのと真偽も定かではない話も国内ではささやかれ、有無を言わさず異端の子は殺される事態にも発展している。
そんな中、産みの母が産まれたばかりのトリスを抱えて、命からがら教会へ駈け込んだことがトリスの命を救った。産みの母は忌まわしいトリスを愛していたらしい。よろよろと疲れ果てた体でトリスを落とさないように抱え、娘の髪を布で隠して神官の祝福を受けさせた。国は庶民や貴族に産まれた子を神官による祝福を受けさせることを義務付けている。祝福によって子供は将来幸せになれると信じているのだ。トリスの産みの母はたとえ異端の子でも自分がお腹を痛めて産んだ娘を愛していた。幸せになってほしかった。そこで発覚したのはトリスの魔法の才能。祝福とは稀有な魔法の才能を国が密かに見極める儀式だった。
「あの絶望の中で唯一美しいと思ったものだ」
「殿下」
このセリフを聞くのも”3回目”だ。会話の流れは多少違うのに不思議だとトリスは苦笑した。その笑みをどう解釈したのか、彼はらしくもなく軽く肩をすくめただけで返した。
トリスはこの先どうすべきなのか選びかねている。ユージーンを慕っている。彼を今度こそ守りたい。それは間違いないトリスの心からの願いだ。けれど、ならば何を選ぶのが正解なのか。
ストロベリーブロンドの少女の声が脳裏によみがえる。
『あなたはユージーン様を裏切るんだよ。そうして敵対する。救国の金炎と異端の魔女は魔法でぶつかりあって、救国の金炎とその仲間たちに負けて死んでしまう』
2回目の時に少女はそうなるのだと普段あらわにしている奇怪な行動は微塵も見せずに神妙な顔で告げたのだ。その言葉が正しいのかはわからない。だって少女が言う未来へトリスはたどり着けてないからだ。だから信じていいのかもわからない。けれど……。
これからまた3回目、前回は何も出来なかったから本当の戦いが始まる。今度は上手くやらなくてはならない。トリスは殿下に微笑んだ。