君と僕との物語9
「ねえ、坂野君ってさあ、下の名前なんだったっけ」
おい、前にも説明しただろう。しかももう1か月もたっているのに、下の名前をまだ覚えていないとは。そんなショックを抱きながらも僕は律儀に自分の名前をいう。
「敬一郎」
なんだかこうやって改めて自分の名前をいう行為ってなんだか恥ずかしいようなそんな気持ちになる。よく女子とかで自分という固有名詞をさすときに「私」とか「僕」とかじゃなく、自分の名前を当たり前のように堂々と使っている人がいる。僕にはとうてい理解できない。
遺伝子レベルで思考回路が違う人たちなんだと思う。
「敬一郎くんかあ」
こうして自分の名を反芻されるのもなんだか恥ずかしい。
「どんな字を書くの?」
そういって彼女は彼女は左の手のひらを差し出して立ち止まった。
「尊敬の敬に、一郎」
そういって僕は彼女のその小さくて柔らかなてのひらに自分の名前を書いた。
「どういう意味でその名前になったの」
僕は親からきいた由来を説明した。
「一郎は長男だから。まあもっとも一人っ子だから長男も何もないんだけどね。敬は人から尊敬される人間になってほしいっていう意味なんだって」
改めてこうして自分の名前について説明するなんていうことは、僕には初めての経験だった。
自分の名前の由来を説明するだけで、僕は自分が何を両親から求められて生を得たのか、わかるような気がした。
それと同時に僕はその願い通りに生きていない自分に腹がたった。
人を敬い、人から尊敬される人間とはほど遠い。
途中自動販売機があった。
「なんかいる?」
「いいの?」
人におごるなんてこと初めてだった。今日は初めてのことだらけだ。
ちょうど喉も乾いていたことだし。自分一人だけ買って飲むなんてルール違反だし。
「じゃあお茶で」
財布から小銭取り出し、お茶を買い手渡す。
「ありがとう」
初めて人からお礼を言われた。人から感謝されるのも悪くはないな。実に些細なことではあるけれども。
僕はコーラを買った。
「太るよ」
「余計なお世話だよ」
「知ってる?ジュースにどれだけ砂糖が入っているか」
「しらない」
「このペットボトルの半分以上は砂糖でできているのよ」
「嘘だあ」
「本当だよ」
彼女は少しふくれた。
こんなたわいのない会話も新鮮で、とても楽しかった。コーラを一口飲む。炭酸が喉の奥ではじけて心地よかった。