チリンチリン、と、ドアに打ち付けられたベルが涼しげな音を立てて客の訪れを告げた。
カウンターの奥に立っていた若い女性が顔を上げる。そして、客の顔を確認すると、ぱっと華やいだ笑みを見せた。
「クリスさん!」
「お久しぶり、リサちゃん」
クリスと呼ばれたのは、穏やかな表情の顔に皺を刻んだ老紳士だ。長身で細身、かっちりとしたスーツに身を包んでいる。
クリスは頭に被っていたハットを手に取り、店に足を踏み入れた。
リサと呼ばれた女性が、メニューを片手に席へと促す。
「ご注文はお決まりですか?」
クリスは悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「店主のお勧めを一つ」
「かしこまりました」
リサも心得たものである。
笑顔で頷き、くるりと背を向けてカウンターへと向かう。
沸かしてあったお湯で透明なガラスのポットを温めると、すぐにお湯を捨てる。壁に備え付けられている棚に置かれたガラス瓶から乾燥した植物の花びらをひとつまみ取り出し、ポットへと入れた。
「よし」
お湯は熱めの95度。
沸騰直前まで温めたお湯をポットに注ぐと、黄色の花びらがお湯の中で踊る。
数分すると、花びらの成分がお湯に溶け出し、鮮やかな黄色に染まる。頃合いだ。
「お待たせしました」
ポットとティーカップをテーブルへと運び、そっと置く。
「エルダーフラワーとペパーミントをブレンドしました」
「なるほどね」
カップに注がれる黄色のハーブティーからは、マスカットにも似た甘い香りが漂っている。
クリスはハーブティーの香りを楽しみ、一口飲むと顔を綻ばせた。
「美味しいよ」
「ありがとうございます」
「だが、まだ先代の方が味は上だね」
「うぅ。頑張ります……」
さらりと付け加えられた言葉にリサが悄気た。
クリスは、この店が先代……リサの父親が営んでいた頃からの常連であり、またリサの祖父代わりのような人物だった。
だからこそ、そんなクリスからの言葉は厳しく、思いやりに溢れている。
「だが、お茶のチョイスは気に入ったよ」
「……私にとっても思い出深いハーブですから」
リサが選んだエルダーフラワーの花言葉は『思いやり』。そして、ブレンドしたペパーミントの花言葉は『あたたかい心』だ。滅多に帰ってこない父がよく入れてくれたもので、リサにとっては数少ない父との思い出の象徴である。
長く家を空けている父に代わり、リサが店を管理するようになってもうすぐ一年が経つ。初めこそ一店員だった頃の気分が抜けなかったリサだが、最近では店長としての自覚が芽生え始めていた。
そんな中でのクリスとの再会、そして選んだエルダーフラワー。
リサの知らない祖父にも等しいクリスに、自分の成長を見て欲しかったのだ。
「……そうだ。リサちゃんに一つ、頼みがあるんだよ」
やがて、クリスが口を開いた。
突然の言葉にリサが目を瞬く。
「頼み、ですか?」
「ああ。実はな……」
クリスが言いかけたとき、バタン! と、店のドアが乱暴に開けられた。そして、小さな女の子が顔を覗かせる。
「おじいちゃん、いた!」
「……シャロンじゃないか」
目を丸くして少女を見るクリス。
少女は頬を膨らませ、けれど嬉しそうにクリスへと駆け寄る。
「探したよ」
「ごめんな、シャロン。よくここが分かったな」
「カフェって言ってたから、この辺りを全部回ったの」
クリスはリサを見ると小さく笑い、
「丁度いい。頼みというのは、この子……私の孫でシャロンというのだが、面倒を見てあげて欲しいんだ。もちろん、この店で働かせてくれて構わないし、使い物にならなければ放り出してもいい」
「酷い! ……えっと」
シャロンはクリスに向かってむくれて見せたが、リサがいることを思い出したのか、少しだけ居心地が悪そうに眉を寄せた。
「初めまして、リサと言います。シャロンちゃん、というのですか」
ふんわりとした笑みを浮かべたリサに、シャロンが安心したように表情を崩した。
「はい、シャロンです。15歳です」
「クリスさん……おじいちゃんから話は聞いていますか?」
シャロンは大きく頷いた。
「はい! これからよろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
リサとシャロンは、互いに目を合わせ、微笑み合う。
ハーブティー喫茶『シャルル』に新しい風が吹く。
これは、特別な力など何も無い……小さな街の片隅の、小さな喫茶店で働く少女たちの、日常の物語である。