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第八話

「どういうことなんだ!」

 皆が集まった応接間で怒鳴り声をあげたのは、アルマーニのスーツに身を包んだ佐伯だ。

「君は警察官だろう!犯人をどうしてすぐに逮捕しない!」

「未だ鑑識の結果も出ていません」

 全員の前に立つ岩田は冷たくそう言い放った。

「事件解決までには時間がかかります。早い解決を願うのでしたなら、警察に協力を」

 ハアッ……。

 何と言っていいのかわからないという顔の佐伯が大きくため息をつくと、苛立たしそうに応接間を歩き回る。

「……誰なんだ」

 その佐伯の言葉に、皆が黙る。

「何で黙ってるんだ!」

「佐伯さん」

 岩田が佐伯の肩を掴んだ。

「少し落ち着いてください」

「落ち着けだ!?」

 乱暴に岩田の手を払いのけた佐伯は岩田を睨む。

「おかげでこんな所に閉じこめられて!え!?警察は俺達全員を容疑者として、事件解決するまで拘束するつもりだろ!?えっ!?」

「……おっしゃるとおりですが」

 岩田は佐伯をまっすぐにらみ返しながら言った。

「その容疑者の中には、私も含まれているのです。そして」

 岩田が佐伯を促すように視線を周囲に動かす。

 ソファーに座る鈴蘭、品田、佐伯の妻、そして綾乃。

 壁際には、新田達が控えている。

「皆が同じなのです」

「……ちっ!」

 岩田はともかく、家令の新田を除けば、他はみんな女だ。

 性別、年齢、社会的地位、すべての面で佐伯と肩を並べられる存在はいない。

 一般に、こういう時、最も落ち着いて行動すべきが誰か。

 佐伯だってわかる。

 それだけに、佐伯は面白くないという顔でそっぽをむいた。


「もう一度、おうかがいしましょう」

 岩田は佐伯から視線を外し、ポケットからビニール袋に入ったタバコの箱を取り出した。

「みなさん、このタバコに心当たりは?」

 東が手を挙げた。

「それは鈴蘭様がひろったと私に」

「……わ、私」

 品田に手を握ってもらい続ける鈴蘭は、おびえきった声で言った。

「車の中で使っていた袋の中に入っていたので……てっきり、先生のポケットから落ちたのかと思って」

「刑事さん」

 鈴蘭の手を握る品田が言った。

「鈴蘭ちゃんは……その、見たとおりや。せやから、そんな疑いは」

「これは職業柄だよ」

 岩田はやんわりと言った。

「誰でもまず疑う。それが鉄則なんだ」

「せやかて!」

「無論、鈴蘭さんがやったとは考えたくはない。だからこそ、何か有益な情報が欲しいんだ」

「目が不自由いうだけで十分や!」

 品田は立ち上がると、岩田に怒鳴った。

「何や!警察はそこまで情けっちゅーもんを持っておらんのか!?」

「いいかい?生存する中で、毒入りのタバコを手にしているのは鈴蘭さんと東さんだけなんだ。どこで毒物が混入したかを知る上でも、事情を聞くことは大事なことなんだよ」

「んなこと……わかっとるがな」

 分が悪いと判断したのか、品田はそっぽをむいた。

「鈴蘭さん」

「は……はい」

「思い出したことがあれば何でもいい。私達に教えてほしい。出来るね?」

「……」

 鈴蘭は無言で頷いた。

 品田が鈴蘭をしきりに励ます様子を見る美奈子の小脇をつついたのは東だ。

「時間が時間です。そろそろお茶の準備を」

 時計はすでに3時近くだ。

 気がつけば昼食をとっていない。

「あ、はい」

 美奈子達メイドは物音を立てないように応接間を後にした。

「参ったわね」

 廊下を歩きながら、東は肩をすくめた。

「こんなことになるなんて」

「噂で聞きましたけど」

 東の後ろを歩きながら、美奈子は東に訊ねた。

「財団では最近」

「桜井さん?」

 東はまっすぐ廊下の奥を見ながら言った。

「どこかの文屋さんみたいなことは言わないの」

 そのきっぱりとした声に、美奈子は反論さえ出来なかった。

「は、はい……すみません」

「確かにそういう噂はあるけど」

 怒っていると思った美奈子の前で、東は優しげにほほえんだ。

「私達は、自分の仕事に誇りを持ってやればいい。ただそれだけ。それだけが大事なのよ?覚えておきなさい」

「は……はい!」

 そうだ。

 美奈子は思う。

 雇い主が浮気しようが何しようが、私は今、メイドとしてここにいるんだ。

 雇い主のことより、自分に与えられた仕事をこなすことが大切な立場なんだ。

 仕事とは、雇い主が快適に過ごすための全てをこなすこと。

 それこそが大切なことなんだ。

「さ……ちょっと位、味見もあるのですし」

「えっ?」

「お客様に出す前に、味見するのも務めですよ?」

 東は悪戯っぽくウィンクしてそう言った。

「ふふっ。つまみ食いっていいません?」

「メイドの言葉で、つまみ食いを味見というんです」


 笑いながら入った厨房は、空腹にはたまらない匂いに満ちあふれていた。

「うわぁ」

 琥珀と水瀬が歓声を上げ、

 クゥゥゥゥッ……

 美奈子のお腹が鳴る。

「お姉さま、はしたない」

「だ、だって!」

 琥珀の冷たいつっこみに、美奈子は赤面して抗議した。

「こんなおいしそうな匂いしたら!」

 美奈子の目の前には、ミートパイが湯気を上げていた。

「ははっ。お嬢ちゃん達のはこっちだ」

 厨房に立つ岩瀬がトレイに載せられた皿を差し出す。

 すでに切り分けられたミートパイ。

 きつね色にやけたパイ生地といい、切れ目からあふれる肉汁といい、かなり美味そうだ。

「あ、ありがとうございますっ!―――あれっ?」

 皿を受け取った美奈子は、厨房の隅に立つ東に気づいた。

「東さん?」

 美奈子達に背を向ける東が口元をおさえ、背筋を伸ばした。

 何かを飲み込んでいる姿勢だと、美奈子はすぐに気づいた。

「薬ですか?」

「……ああ、ごめんなさい」

 東は、コップテーブルに置くと、手にしていたピルケースを引き出しに入れた。

「花粉症気味でね。薬が手放せないの」

「へっ。更年期障害の薬の間違いだろう」

 岩瀬は包丁を研ぎながら意地の悪いことを言う。

「私はそんな歳じゃありませんっ!」

 東はムキになって答える。

「岩瀬さんこそ、バイアグラが手放せないんじゃありません!?」

「へっ!なしでも俺の大砲は全開だぜ!試してみたきゃいつでもいいな!―――おっと、東さんみたいなおばさんあいてにゃ、厳しいがな」

「こっちからお断りですよ!」

「違えねえ!」

 アハハハッ

 ガハハハッ

 東と岩瀬が同時に吹き出すのを見て、美奈子はちょっとだけ安堵した。

 二人の関係は、軽口をたたき合うケンカ友達というところだと見当をつけたからだ。

「さ、お嬢ちゃん達、さっさと味見して、お嬢様達ん所へ持っていってくれよ!?」

「はぁい」

 美奈子が皿にフォークを突き立てようとした途端、

 ひょい。

 パイが皿から消えた。

「モグモグ……おいしい!」

 琥珀の仕業だった。


「ううっ……痛いですぅ……」

 トレーを持った琥珀が涙目でそうぼやくのも無理はない。

 琥珀の頭には今、でっかいたんこぶが出来ている。

 無論、犯人は美奈子だ。

「食べ物の恨みは恐ろしいんだから!」

「いくら何でもぐーで殴らなくても」

「うるさいっ!」

 グーグー鳴るお腹を押さえながら、美奈子は怒り心頭という声をあげた。

「今晩の夕飯、覚悟なさいっ!」

「私は育ち盛りなんですぅ……」

「私だってそうよ!」

「ううっ……お姉さまはおっぱいに脂肪蓄えてるからいいじゃないですかぁ」

「よくないっ!」


 結局、

 給仕する間も鳴り続けるお腹のおかげで、品田どころか佐伯夫婦にまでからかわれ、鈴蘭から気の毒がられ、東から小言を食らった美奈子は、逃げるように応接間を出るハメになった。

 腹の虫なんて年頃の娘が他人に聞かれたいものじゃない。

 しかも、相手の中には、不特定多数だけじゃなく、水瀬がいるのだ。

 恥ずかしさのあまり、美奈子は廊下の影で少しだけ泣いた。



 そして―――


「東さんっ!」

 水瀬の声。

 悲鳴。

「医者だ医者!」

「吐かせろっ!」

 叫び声。

 応接間から様々な音が美奈子に届いたのは、美奈子がしゃがみ込んで泣いている。

 そんな頃だ。


「?」

 まさかとは思った。

 東が何か失敗したのか?

 それとも、琥珀ちゃんが失敗して、東さんに何かあったのでは?

 それくらいしか思うことが出来なかった。

 それでも―――

 美奈子は立ち上がると、応接間のドアを開いた。


 応接間の一角に全員が集まっていた。

 その脚と脚の間から、誰かが倒れているのが見えた。

 メイド服。

 脚の長さから、それは一人しかいない。


 東だ。


「あ……東さん?」

 ふらつく足取りで東の元へと近づいた美奈子は、確かに見た。

 口元から血を流し、白い顔をする東の顔を。

 その頭を抱きかかえるようにして何かを調べていた水瀬が、首を横に振った。

「……午後3時12分……村田、記録しておけ」

「……はい。鑑識、すぐに呼びます」

 岩田の声に頷いた理沙が電話に近づくのと入れ替わる形で、美奈子は東の側に座った。

 さっきまで優しげな微笑みを浮かべていた顔は、苦痛に歪んでいた。

 東が今、どうなっているか。

 それは言うまでもない。

 ただ、それが、どうしても信じられない。

「……水瀬君」

 美奈子は、やっとそれだけ言えた。

「……東さんは、パイを食べていない」

 水瀬は言った。

「もし、パイに仕込まれていたら、僕達もアウトだよ」

「毒……殺?」

「そう」

 水瀬は頷きながら、東の体を調べ始めた。

「仕込まれていたのは、さっき飲んでいた薬の中だね。青酸カリだと思うけど……あっ」

 それは、エプロンドレスのポケットに入っていた。

 水瀬は唇をかみしめながらエプロンドレスのポケットからそれをつまみ出す。

「……これ」

 開かれた手のひらに乗っているのは、金細工。

 皿の形をしていた。

「マザーグースですね」

 真っ青になった綾乃が言った。

「マザーグース?」

 佐伯がそれを聞きとがめた。

「どういうこった、そりゃ」

「……」

 綾乃は少しためらうと、歌い出した。

 マザーグース

 誰が駒鳥を殺したの?

 その一節を―――



「誰がその血を受けたのか?

 わたし、と魚がいった

 小さなお皿で

 わたしが受けた」

 


 

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