第五話
●桜井美奈子の日記より
11時に水瀬君と駅のロータリーで待ち合わせ。
10分ほど早く到着したので、最近、ロータリーに設置された奇妙な彫像を眺めながら、水瀬君を待つ。
ソファーか何かにふんぞり返って、若い男に言い寄られ、ご満悦の表情を浮かべる女性の像。
タイトルは―――
葉月市某女性議員の真実。
議会では立派なご高説(私から言わせれば、机上の空論を振りかざしているだけ)をたれまくる市議会きっての論客である某女性議員が、夜な夜なホストクラブで豪遊する姿を忠実に再現したのがこの像だそうだ。
像の制作を依頼したのは、女性議員の反対勢力。
対する女性議員は、人権侵害で撤去を要請。
反対勢力は、撤去したら証拠写真と領収証のコピーを看板にしたてると息巻いていると聞く。
子供じみた馬鹿な話だ。
「ごめんね?」
そう言いながら走ってきたのは、もっと子供―――じゃない。
水瀬君だ。
「ね、寝坊しちゃって」
「何時だと思ってるの?」
「僕じゃなくて、ルシフェが」
うわ。
下手な言い訳。
あのルシフェルさんが、寝坊なんて、するはず無いじゃない。
「本当だよぉ!」
ブーブー文句を言う水瀬君を連れて、私は稲村邸にむかう。
「あれ?」
稲村邸の前で、私は立ち止まった。
あまり、関わりたくない人達が、屋敷を出たり入ったりしているからだ。
白と黒のツートンの車に乗った制服姿の人達。
―――警察だ。
「どうしたんだろう?」
水瀬君も首を傾げるけど……まぁ、いいや。
私は、門の前に立つ警察官に訊ねた。
「あの」
警察官は無言で私達を睨む。
ひるんでたまるか。
「執事の戸部さん、いらっしゃいますか?12時のお約束が」
10分後―――
私達は、稲村邸の一室にいた。
目の前には、いかにも刑事という人達と、背広をビシッと着込んだ銀髪の男性がいた。
「で?」
中年の刑事さんが厳しい声で、
「害者とは、どういう関係?」
「―――えっ?」
私は意味がわからなかった。
「害者って?」
「えっ?」
刑事さんが眉をひそめた。
「あんた達、戸部さんが殺されたの、知らないの?」
「い、いえ……」
ちらりと見るが、水瀬君も首を横に振った。
「知りませんでした」
刑事さんによると、昨晩、戸部さんは私達が帰ってからすぐに、死体で発見された。
死因は頭部を鈍器で殴られたことによるショック死。
犯人につながるような遺留品は何もない。
「……そんな」
「確か、桜井美奈子さんだったね」
「はい」
「害者と昨晩、何か話していたという証言があるけど?」
「あ……」
どうしよう。
鈴蘭さんのことなんて、ここで言うことは出来ないし……。
「アルバイトの口をお願いしていたんです」
私の代わりに、そう言ったのは水瀬君だ。
「メイド服着たいから、アルバイトの口はありませんか?って」
「―――ふぅん?」
刑事さんは、心底軽蔑したような顔になった。
「そのテの喫茶店でも行けばいいじゃねぇか」
「ああいう、ハンパなのは嫌なんです。時給は安くてもいいから、お願いしますっていったら、待遇含めて、家令さんに相談してくれるって―――ね?桜井さん?」
「え?ええ!」
私は無理矢理、話を合わせた。
「そ、そうなんです!」
「だ、そうですけど?」
刑事さんが、横にいた銀髪の人に尋ねた。
「新田さん。何か聞いてます?」
「―――いえ」
そうか。
この人が家令の新田さんだ。
戸部さんが“おかしい”と言っていた人。
すごく冷たい、なんだか機械を相手にした方がまだ愛想を期待できそうなほど、冷たすぎる人だ。
「戸部も困ったことをしてくれたものだ」
新田さんは、表情を変えずにそう言った。
「確かにメイドの数は不足しているが、かといって、家令である私に何の断りもなく、アルバイトの申し出を受け入れるとは」
ジロリ。
新田さんの目はすごく冷たくて、生理的な嫌悪感さえ感じてしまう。
「―――住み込みになるが、それでもいいか?」
生まれてきた時に、愛想って言葉を忘れてきたに違いないほど、とにかくぶっきらぼうで、冷淡な声。
こんな人と半径1万キロ以内で同じ空気を吸ったら肺が腐ると思うほど嫌悪感を感じる声に、私は一瞬、全部を断ろうとさえ思った。
だけど―――
「衣食住、全て保証してくださるなら」
勝手にそう続けたのは水瀬君だ。
「募集は私達二人だけですか?」
「いや―――四人だ」
新田さんは言う。
「この稲村家に対する流言の影響を真に受けた馬鹿な女が、辞めてしまったのだ」
「成る程?」
水瀬君は、少し考えてから言った。
「あと一人、私の方で斡旋できますが?」
その日の夜。
な……なんで、私がこんな服を?
私は鏡の前に立ってクルリと一回転してみた。
私は今、エプロンドレス。
俗に言うメイド服を着ている。
うーん。
確かにカワイイけどさ。
でも……。
「お姉さまぁ!」
突然、歓声をあげる女の子に背後から抱きつかれた。
「素敵です!カワイイですっ!」
抱きつきながら頬ずりまでするのは、黒髪をリボンでツインテールにした愛らしい女の子。
あの琥珀ちゃんだ。
水瀬君が一緒に行動できない時に備えて、ボディーガード代わりに手配してくれた子だけど……なんだか、この子、アブなくない?
「うふふっ……お・ね・え・さ・まぁ」
そっ。
ち、ちょっと!
琥珀ちゃんの手が私の胸に回って―――
や、やだっ!
ちょっ!
あんっ!
だ、だめ……この子……上手……んっ!
「ふふっ……お姉さま……カワイイ……食べちゃいたいくらい」
「こらっ!」
私はちょっと乱暴に琥珀ちゃんの手をふりほどいた。
「こ、こういう所で、そんなことしちゃいけませんっ!」
「ダメですか?」
琥珀ちゃんはものすごい残念そうに言う。
それだけで、私が被害者のはずなのに、逆になんだか、私が悪いことしてるみたいにさえ思える。
ううっ……。
「と、とにかく!」
形勢不利をはねのけるために、私は強く言った。
「お仕事で着てるんだから、まじめにやるの!」
「はぁい!」
琥珀ちゃんはうれしそうに言った。
「お仕事で来てるから、マジメに犯りまぁす!」
「……字が違うでしょ?字が」
メイドの仕事なんて、要するに家事なんだから、普通にやってればいいんじゃないの?
私がそう思っていたのは、はっきり認める。
そういうの、きちんとこなせる姿、つまり、私が女の子らしい所を見せれば、ポイントが高いっていう打算もあった。
もっといえば、瀬戸さんを出し抜けるかもっていう期待があったんだ。
でも―――
お皿12枚
今日、私が割ったお皿の数だ。
「元気出してください」
夜、部屋に戻ってしょんぼりしていた私に、同室になった琥珀ちゃんがそう言って慰めてくれる。
「最初から、全部上手くいくなんてこと、ないんですから」
「―――ありがと」
本当、私の方が年上なのに。
情けないな。
「私達とは年期が違うんですから」
「そう?」
「はい♪私は―――悠理君もか。家事全般、ほとんど毎日してますから」
「つまり―――私がそういうの、してないのが原因だと?」
「その通りです」
「はっきり言われると……きついなぁ」
琥珀ちゃんの言い分も最もなんだ。
普段から家事のお手伝いをしていれば、ここまで酷い結果にならない。
それをさぼっていた結果がこれだ。
好きな人に女の子らしい所、見せようと頑張って、逆の墓穴を掘る原因になった。
……ますます惨め。
「慣れるだけですよ」
ポンポン。
琥珀ちゃんが励ますように私の頭をなでる。
本当、優しい子だ。
水瀬君、何でこんな子をボディーガード代わりに手配したんだろう?
「さぁ!先にお風呂に入ってください。着替えは私が用意しておきますから」
「……ありがと」
私は部屋のユニットバスに向かった。
「……」
お風呂上がり。
確かに、私は着替えはしたけど……。
「……」
「お、お姉さま!素敵すぎますっ!」
琥珀ちゃんが感極まった声をあげるけど……。
「これ……何?」
スケスケの短い布がかろうじて胸からおへそのあたりを隠しているだけ。
ブラはなし。
ショーツもスケスケ……。
しかもサイドは―――ヒモ。
「す、素敵ですぅ!」
「泣いてないで答えなさい―――これは何?」
「お姉さまのために、私が仕入れました」
キレかかっている私に、しれっと答える琥珀ちゃん。
「ほ、他の普通のは!?」
「全部、処分しました」
「処分?」
「はい。それ一枚あれば不要ですから」
「私、バッグの中に」
「全部、焼却済みです」
「じ、冗談!」
「本気です」
「こんなの、水瀬君に見られたら!」
「いいじゃないですかぁ♪」
突然、琥珀ちゃんが抱きついてきた。
や、やだっ!
この子、恐ろしく力が強い!
「あんなガチホモ。お姉さまのこんな姿見ても、どうとも思いませんよ」
が、ガチホモ……。
ガチでホモ……。
水瀬君、やっぱり、そうなのかなぁ。
「ふふっ。お姉さまのよさをわかってあげられるのは、私だけです」
つ、ついにベッドに押し倒された。
「ち、ちょっとストップ!」
私はあわてて琥珀ちゃんを止めようとした。
「や、やめっ!わ、私、この展開だけは考えないようにしてたっていうか、恐ろしくていまいち想像したくないっていうか!」
「最初のうちだけですよぉ」
琥珀ちゃんは目をらんらんとさせて言う。
「後は快楽が全てを凌駕しますからぁ」
琥珀ちゃんの唇が近づいてくる。
その時だ。
ガチャ
不意にドアが開き、水瀬君がドアの向こうから顔を覗かせた。
―――えっ?
み、水瀬君?
わ、私、今、どんな格好で、どんな状態にあるか、わかっちゃった……よね?
「あ、桜井さん?」
水瀬君、なんでもないって顔のまま、言った。
「明日、朝は7時に玄関ロビー集合だって。おやすみなさい」
ガチャ。
水瀬君、何でもないって顔でドアを閉めた。
「……」
つまり、私のこの姿、何とも思ってないってことだよね。
「ほらぁ!」
琥珀ちゃんは勝ち誇った声で言った。
「ね?お姉さまのこんな姿見て、何とも思ってないんです。ガチでホモでしょう?悠理君って」
「……」
「で・す・か・らぁ♪」
琥珀ちゃんが迫ってくる。
私、それに反応するのが一瞬遅れた。
「私が夜のお相手しまぁす♪」
その晩……
私が、
私がどんな目にあったか。
それは私の胸の中に隠しておこう。
あまりと言えばあまりだった。
私、初めてだったのに―――
「ごちそうさまでした♪」
満面の笑みを浮かべ、合掌までしてくれる琥珀ちゃん……。
「お姉さま……かわいかったぁ♪」
頬ずりまでしてくる琥珀ちゃん。
本気で楽しそうだ。
お願いだから……誰にも言わないでね?
とりあえず、夜が明けたら、
絶対、
絶対、
水瀬君を殴ろう。
うん。
そうしよう。