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第四話

 戸部が美奈子達を案内したのは、執事達の控え室とおぼしき場所。

 パイプ椅子とテーブル。

 カラーボックスの上にポットやコーヒーメーカーが置いてあるだけの、実に質素な部屋だ。


「お嬢様を、助けてください」

 戸部は平身低頭、美奈子にそう言った。

「このままでは、お嬢様は殺されます」


「ち、ちょっと待ってください」

 美奈子は困惑した顔で戸部を制した。

「私は、警察じゃありませんよ?それに、銃なんて使われたら、どうしようも」


「わかっています!」

 戸部はそれでもすがりつくような目で言った。

「でも、銃や何かを使う前に、犯人を捕まえられれば!」


「あの……」

 美奈子の横にいた水瀬が訊ねた。

「警察は?」


「依頼はしています」

 戸部は悔しそうに言った。

「お嬢様が危ないと!何度も相談に!それなのに、何か起きてから相談に来てくださいといわんばかりの態度だ!おかげで、今回だって危うく!」


「警察としては、政府関係者でもないのに身辺護衛なんて出来ないもんねぇ」


「桜井様!」

 美奈子に縋り付く戸部の目は、自分が命を狙われても、こうはならないだろう程に追いつめられた何かをはらんでいた。

「お願いです!数々の難事件を解決したというあなた様ならば!」


「あ……あのですね?」

 美奈子は申し訳なさそうに言った。

「わ、私は、事件が起きてからでないと……その、解決、出来ないんです」

 美奈子の言葉は半分は本当だ。

 警察からの依頼は、常に発生した事件の解決であり、事前の防止はその範疇に含まれていない。

 というより、美奈子自身、経験したことはない。


「そこを何とか!」

 戸部自身、それはおそらく知っているんだろう。

 だが、だからといって、戸部自身、引くことは出来ない。

「あの戦争で天涯孤独、地獄の難民収容所で餓死を待っていた私達を救ってくださった先々代のご恩に、私は報いたいんです!」


 難民収容所。

 あの戦争で住処を失った人々を収容した施設は、各地に建設された。

 暖房もない仮設住宅。

 整備されていない上下水道。

 最悪の衛生状態。

 行き届かない医療。

 わずかに支給され、最悪届かないことさえざらな食糧事情。


 全ては、前例のない事態に対応することが出来ない厚生省の失態に帰結する。

 稟議と空転する会議。

 自己保身に汲々とする官僚達。

 現場を知らない上層部。

 厚生省の幹部達は、収容所を作り上げたことのみで全てを終わらせたと、本気で思っていたのだ。

 あらゆる支援を、前例がないこと、そして、収容所の劣悪な環境を公にすることで、自分達の進退にかかわることを危惧し、一切、認めなかった。


 また、収容所の数十キロ手前の歓楽街に慰安に来る病院関係者達はいても、難民に救いの手を差し伸べようとした医師達は、あまりに少なすぎ、それ故に、厚生省を動かすことが出来なかった。


 そう、言い切れるほど、結果的に見れば、人々は難民に対して冷淡だった。


 避難民となって、ここで死んだ者は実に数万に上る。

 あの戦争において、帝国国民一般市民の犠牲者の実に3割が収容所で死んだとする記録さえあるのだ。

 多くは着の身着のままで収容所に収容され、凍死したり、頻発した疫病、飢餓、病気、様々な理由で死んでいった。

 死体は、―――時に生き残る見込みのない者まで含めて―――後に“人捨て場”とまで揶揄された穴に放り捨てられる。

 生き残った者達も、わずかな食料を奪い合い、互いに殺し合う。

 山野に生える草木を食べ、毒に当たって死ねれば幸せ。

 塩もなく草木を食べ、カリウム中毒で死ねれば幸せ。


 死ねれば幸せだ。


 収容所の人々は、本気でそう思っていたという。


 生き延びるために死体の肉を喰ったなど、当然のような環境―――この世の地獄を産み出した収容所。


 収容所所長が、わずかな食料をちらつかせ、そんな中から女性、年端もいかない少女、時には少年までを売春組織で働かせ、或いは不当な低賃金で工場に送り込んで企業と共に私腹を肥やしても、収容所の難民にとって、それで生き残れれば奇跡とまで言われた。


 戦後、帝国政府相手にかつての難民達が引き起こした訴訟は30万件以上。


 収容所所轄の厚生省は、一切の責任を認めていない。


 厚生大臣は常に言う。


 事実無根、もしそれが真実だとしても、それは現場の独走によるものだ。

 厚生省自体の責任ではないと。


 事実、数万人を殺傷したに等しい収容所関係者で法的に裁かれた者は一人としていない。

 官僚組織と司法は、難民達の無念を切り捨て続けている。

 闇に葬り去ろうとしている。

 己達の保身のために―――


 日本の福祉と災害支援を語る時、憎悪と怨念によって長く語られることになる、別名“最終収容所”をなかったことにしたいのだ。



 経緯は知らないが、戸部はそこにいたことになる。

 そして、そこからどうやってか、ここの当主に救い出されたのだ。


 戸部にとって、先々代は命の恩人以上の存在だろう。


 かつて、収容所にいたことがある水瀬にはそれが痛いほどわかる。


「お願いします!桜井様!」

 最後には土下座の上、頭を床にこすりはじめた。


「ま、待ってください!」

 美奈子があわてて止めに入る。

「わかった!わかりましたから!」


 その一言が、戸部にとってどれほどの救いになったか。

 戸部の目にようやくともった希望の光が語っている。

「あ、ありがとうございますっ!」


「とりあえず」

 戸部がコーヒーを用意してくれるのを見ながら、美奈子は言った。

「先々代は、何故お亡くなりに?」


「ホール階段からの転落死です」

 無駄のない動きでコーヒーをテーブルに置く戸部を、美奈子は感心した様子で見つめた。


「転落死?」


「先々代のお部屋はホール階段を上って二階奥でした。

 早朝、メイドが階段下で倒れている先々代を発見。

 すでにお亡くなりになっていました。

 当時の警察の見解では、何らかの理由で、深夜、階段を降りようとして足を滑らせたんだろうと」


「あり得ること?」


「夜間でも照明はしっかりしてますし、何より、ホール階段は極めて緩やかです」

 戸部は首を横に振った。

「先々代のお体のことも考え、階段は万全の滑り止め対策が施されていましたし、先々代は、階段横のエレベーターをお使いになられるのが常でした―――お亡くなりなる半年ほど前、膝を手術された影響です。普段から杖を」


「普段使わない階段をその晩に限って使った?」

 美奈子は首を傾げた。

「ありえそうにない話ね」


「警察は、どうしてそんなにあっさりと引き下がったの?」

 水瀬が戸部に問いかけた。

「なんだか、警察は関わりたがらないって感じだけど」


「―――その通りです」

 戸部は悔しそうに頷いた。

「財団の不祥事、下手に関わると、どんな藪から蛇をつつくことになるか、それを警戒していたのでしょう」


「―――成る程?それじゃ、先代は?」

「交通事故で」

「交通事故?」

「はい。先代はお車が趣味で……奥様―――鈴蘭様のお母様と静岡の別荘でお過ごしの際、遠乗りをされまして……ところが、どうしたものか、魔法瓶に入っていたコーヒーに睡眠薬が」

「それで事故死」

「はい……ガードレールを突き破って、海へ転落され」


「普通の死に方じゃないわ」

 美奈子は、口を付けたコーヒーを、ちょっとだけ警戒して飲みながら言った。

「大体、それって、いつ頃の話?なんだか、それほどの時間は開いていない気がするけど?」


「はい」

 戸部は言った。

「戦後わずか1年に満たない話です。先々代が亡くなられたのが去年の10月。先代が亡くなられたのが、今年の4月です」


「大体、半年で財閥の当主二人が?」

 美奈子は目を丸くした。

「それ、噂になったでしょう?」


「はい」

 戸部は悔しさと悲しさをない交ぜにした目を伏せた。

「呪われている。財産狙いの連続殺人……心ないマスコミからは連日取材攻勢……鈴蘭様も体調を崩された程で」


「……はぁ」

 美奈子はため息一つ、コーヒーカップをソーサーに戻した。

「―――で?今の当主は?」


「本来でしたら、鈴蘭様が就任されるべきなのですが、いまだ15歳。当主は18歳以上であることがしきたりです。現在は、家令が後見人として代行を」


「家令?」


「はい」

 頷くと、戸部は辺りを見回した。

「実は―――」

 戸部はずいっと美奈子に顔を寄せた。

「この家令が―――おかしいんです」


「おかしい?」

 美奈子は首を傾げた。

 家令といえば、戸部達執事にとって上司だ。

 それをおかしい?


「家令の本名とされているのは、新田純一郎……年齢は65歳。後は、身長程度しか、何もわかっていないのです」


「何それ」

 美奈子は眉をひそめ、戸部に訊ねた。

「まるで、家令が怪しい人物っていわんばかりじゃない」


「その通りです」

 戸部は頷いた。

「家令の就任は10年前。就任の際、過去を一切告げないことを条件にしたそうです」


「よくそれで採用されたわね。家令って、重要な地位なんでしょう?」


「家令は、経営コンサルタントも兼ねていらっしゃいました。10年前は、鈴蘭様の失明の他に、様々な問題で財閥が崩壊の危機にあった時です。家令は、その建て直しをやってのけたのです」


「あ、それで」

 水瀬は合点がいった顔で頷いた。

「それで後見人になれたんだ」


「おっしゃる通りです。実は―――」


 ジリリリッ


 突然、ベルが鳴り響き、美奈子が驚いてコーヒーをこぼしそうになった。


「いけない。お呼びだ」

 戸部は残念そうに席を立った。

「桜井様。本日はありがとうございました。あの」


「明日、また、お伺いします。何時頃がいいですか?」


「明日は非番なので―――正午頃ならありがたいのですが」


「わかりました。水瀬君と一緒に」




 どんな理由でもいい。

 美奈子は、この屋敷にとどまるべきだった。


 美奈子が、そう後悔することになるのは、すぐのことだった。


 



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