第97話 第2部エピローグその1
「もう、どういうことですか、これは」
「あんさん、ガチでわいを殺す気やったろ」
事務所に着いた途端、猛烈な抗議を受けた。特に、瞳は涙目になっている。運悪く、暴走する車内で覚醒してしまったらしく、終始悲鳴を上げていた。彼女は穏便に送り届けてあげたかったが、あの状況では仕方ない。そして、渡は草陰で豪快に嘔吐している。すまない、みんな。ご愁傷様です。
「翼、この攻撃は効いた」
百合も心なしか青白い顔をしていた。ブランクの力でも乗り物酔いは打ち消すことができなかったようだ。もしかして、ボブさんの運転って「剛腕」より強いんじゃないか。
元から病気の冬子に、満身創痍の渡と瞳。事務所の中はさながら簡易病棟と化していた。もっとも、冬子は自室で床に伏せっているので、隔離病棟在住ではあるが。おまけに百合は、事務所用の回転する軸がついて椅子がえらく気に入ったのか、無駄に回転させて遊んでいる。
「翼君、一体どうやったらこんな状況になるんですか」
「一から説明すると長くなるのですがいいですか」
「長話は好かんが、頼むわ」
「えっと、どこから話しましょうか」
「あんさんが、わいと聖奈はんと別れたところからでええんちゃうか。って、そういや、聖奈はんはどこ行ったんや」
「異人の気配を感じ取って出ていったはいいのですが、それっきり連絡がないのですよ。ちょっと電話してみますね」
まさか、最上位種に襲われて連絡が取れないってことはないよな。しかし、そんな心配をよそに、三コールで通話が繋がった。
「もしもし、聖奈さんですか。どうしたかって、いや、翼君たちが帰ってきているんで、聖奈さんはどうしているかなと思って。どうやら、翼君が色々と話したいことがあるようですよ。
それで、聖奈さんは今どこに。……こっちに向かっている。しかも、妙な老人が一緒ですか。ひょっとして依頼者ですかね。分かりました。待ってますので、気を付けて来てくださいね」
異人に襲撃されているわけではないようだ。それにしても、気になることを話していたな。妙な老人か。探偵の仕事に関わることだろうから、首を突っ込む必要はなさそうだな。
せっかくだから聖奈も交えて体験談を聞こうということになり、しばらくお茶をごちそうになることになった。
「翼、なんか気持ち悪くなってきた」
「お前は椅子で遊びすぎだ」
ソファでダウンしている渡たちを他所に椅子と戯れ続けていた百合をたしなめる。これで百合まで倒れられたら面倒を見切れないぞ。
やがて、インターファンが鳴らされ、聖奈が戻ってきたようだ。電話で話していた通り、ご老人を引き連れているが、その姿を目の当たりにした途端、俺は声を上げた。
「ほう。まさか、こんなところで再会するとはのう」
「それはこっちのセリフですよ」
見かけは腰のまがったじい様だが、豊満すぎる白髭がその正体を物語っていた。異の世界で別れたはずの最上位種異人マスタッシュだ。
「えっと、翼。どうしてあんたがこの見ず知らずのじいさんと知り合いなんだ」
「それを今から説明しようとしていたところです」
「全員そろったことですし、まずは翼君の体験談から聞いた方が話がまとまりそうですね」
所長の鶴の一声をきっかけに、俺は異の世界での出来事を説明するのだった。
途中で横やりを入れられながらも、俺は話を続ける。冬子の治療法が異の世界にあるとの仮説のもと、瞳を通じて異の世界へと出かけ、百合およびマスタッシュと遭遇。冬子の病の特効薬を手に入れたものの、異人たちに襲われたので、間一髪人間の世界に逃げ帰ってきたら、勘違いした渡に攻撃された。この数時間あまりの出来事をかいつまんで説明し終ると、しばらく沈黙が流れた。
さすがに、どこから掘り下げるべきか困惑しているのだろう。自分でも話してみて、ツッコミどころが多すぎるなってしみじみと感じていたところだ。
「要するに、あんたは私のクラスメイトとイチャついて強くなったってことでしょ。この変態」
思いもよらぬ方向から声がする。開け放たれたドアの先には、パジャマ姿の冬子が支柱に寄りかかっていた。
「お嬢さん、起きてきて大丈夫なのですか」
「少し落ち着いてきたから平気よ。っていうか、こんなバカ騒ぎされたら眠れるわけないじゃない」
目をこすって大あくびする。足元はまだふらついているが、ゆっくりと椅子に腰かける。この様子だと、事務所の外から俺の話に聞き耳を立てていたらしい。
「私としても意外だったわ。伊勢さん、あなたが異人の能力の持ち主だったなんて。前から、翼のほかに微弱に異人の気配を発している人がクラスにいたからおかしいとは思ってたけどね」
瞳を睨みつける目つきはかなり鋭い。瞳は怯えてソファでうずくまっている。病人のくせにこれだけ威圧感を放つことができるって、やはり只者ではない。
「それよか、あんた、事情はどうあれ、この子と……ねぇ」
いやらしい目つきで聖奈が肘で突っついてくる。
「異人と結託したと誤解したんはすまへんかったけど、これはこれで許せへんな。わいとはえらい違いやんか」
渡が憤慨するのも無理はない。唯一助け船になってくれそうな瞳は顔をあからめて顔をうずめてしまっている。これは早々に話題を変えないと俺の命が危ない。
「それはそれとして、冬子、特効薬を手に入れてきたんだ。さっそく試してみないか」
「絶対零水のことじゃな。それはお墨付きじゃよ」
マスタッシュに後押しされつつ、俺は水筒を差し出す。炎天下で一時間以上晒されていたにもかかわらず、筒に触れると手がかじかみそうになる。俺から水筒を受け取った冬子はもの珍しそうにそれを観察していた。
「水温氷点下の液体って、化合式H2Oとは別の何かじゃないの」
俺と同じ感想を口にする。そこは聖奈や渡も同意しているようだ。
「一つ確認しておくけど、飲んだら毒でしたとか、そんなふざけたことはないわよね」
「ない。だって飲んだことあるけどピンピンしている」
異人である百合が弁明しても説得力はない。注目されつつも、冬子はなかなか水に口をつけようとはしない。現物を目の当たりにした俺はともかく、いきなり常識では考えられないマジックアイテムを突きつけられ、しかもそれを口にしろなんて言われれば躊躇するのは当たり前だ。
まして、冬子の場合、別の要因がそれを後押ししているのだろう。彼女にとって、異人は親を殺した仇。そんなやつらが「特効薬だ」と勧める代物を素直に飲むわけがない。詳しく話を聞かせずに飲ませるのが一番だったが、もう後の祭りだもんな。
「お嬢さん、気持ちは分かりますが、翼君が苦労して取ってきてくれたのです。それに、話を聞くかぎり、ここにいる異人のお二人に敵意はなさそうです。信じてあげてもいいんじゃないですか」
「そうだな。私もこの爺さんと初めて会った時、そんなに悪いやつだとは思わなかったし。なんていうか、アブノーマルと対面した時に全身を巡る邪気みたいなもんがないんだよな。そういうと中二病みたいだけど、とにかく、私たちを襲ってくるやつらとは、どことなく雰囲気が違うんだよ」
聖奈が言わんとしていることは、俺にも経験があった。百合を背中に乗せて飛び続けていても、あの悪寒が強まることはなかった。むしろ、イアが攻撃をしかけてきたときに、急に悪寒が発生したぐらいだ。敵意を剥き出しにしている相手を前にすると萎縮するけど、そうでない平然としている相手だと気兼ねなく対応できるのと同じようなものか。
冬子はしぶしぶ水筒の口を開ける。そして、液体を口の中に流し込もうとした矢先、ふとその手を止めた。
「そうだ。ねえ、翼。そこまでこの水が危険な物質じゃないって主張するなら、これを毒見してみない」
予想以上に長くなったので、2回に分けてお届けします。
次回更新分で第2部完結です。