第94話 異人上位種「俊足~ファストラン~」
「急にあんさんの動きが良くなったから、おかしいと思ったんや。まさか、わいと同じカラクリを使っとったとはな」
渡はズボンの裾をめくる。ズボンに隠れてよく分からないが、そのふとももについている筋肉は異様なほど隆起していた。こぶが無数にくっついているみたいで、正直気色悪い。スプリンターでも、ここまで筋肉が盛り上がることはないと思う。
「もしかして、わいが高速で移動できるのは『牙』の能力のおかげかと思っとったかもしれんな。けれども、それは外れや。わいはこの能力のほかにもう一つ能力を手に入れとる。それがこの『俊足』や」
ファストラン。いかにも脚力強化という響きのある能力だ。
「容易に想像できる通り、この能力は走力を大幅に高めることができる。単純な蹴りの威力も上がっとるみたいやけど、超高速移動できるってことがわいとしては重要やな。
わいの主力である牙は威力としては絶大やけど、リーチが短すぎて滅多に当らないという悩みがある。どうにかしてそれを解決できんか試行錯誤しとった時や。偶然にも、気持ち悪いほど足腰が鍛えられとる異人と出会った」
「上位種のファストランね。聞いたことだけはある」
「よう知っとるな。つか、それを知っとるってことは、あんさんはやっぱり最上位種の異人なんやないか」
訝しむ視線を送る渡。余計な誤解を与えてどうするんだよ。頭を抱える俺をよそに、渡はファストランを手に入れた時のことを語り出した。
そのファストランとかいう異人は、わいと遭遇した直後、いきなり背後に回り込んできおった。あの時のわいでは、全くその動きを捉えることができへんかった。ファストランから拳をお見舞いされ、わいはその場に倒された。
牙で反撃を試みたものの、ファストランは高速で走り回って狙いをつけさせてくれへん。そして、隙あらば殴ってきて、確実にわいにダメージを蓄積させてくる。拳の威力はアブノーマルと大差あらへんかったが、一方的に攻撃されては勝てるはずがない。けれども、わいの手札は牙のみ。こいつさえ食らわせられれば倒す自信があるものの、命中させる方法がないんじゃ仕方ない。
癪やったが、打開策を見つけられへんくって、その場はなんとか逃げ出したんや。ファストランは目標を見失ったと落胆したんか、素直に異世界へ帰っていきおった。
そこから、どうにかしてあの高速移動を攻略できへんか考えに考え抜いた。そんで、思い至ったことがあった。これなら、あいつを倒すことができるうえ、今後の戦いをかなり優位に進めることができるかもしれん。正直、危険すぎる賭けだってのは自分でも分かっとったわ。けれども、これを使うしか、あいつに勝てる見込みはなかった。
その日から、わいはもう一度あいつに出会うため、異人の気配を探り続けた。もともと、異人の出現率が低いうえに、出てくるのはアブノーマルばかり。上位種とはいえ、同一の個体ともう一度出会うなんて、それこそ流れ星でも探しとる気分やった。
捜索を開始して二か月。諦めかけとったけど、ついにその時が訪れた。今までにない強い気配がしたんで、もしやと思ってそこに駆けつけたんや。そこは変哲のない空地やった。普段人通りが少ないんで、異人が出るにはうってつけやったがな。
そこにおったのは、紛れもなく、敗走する羽目になった憎き異人ファストラン。
「うわ、なんやこいつ」
逸る気持ちを抑えつつ、俺は驚愕の声をあげる。恐慌で身を震わせ、その場で立ち尽くす。
ファストランはのっぺらぼうの顔でこちらを凝視してきおる。別に恐ろしくないんやが、俺はあえて「ギャー」と怯えてみる。
すると、手刀を繰り出し、わいの脳天に直撃させおった。今のは痛かったで。頭を抱えていると、体重をかけてわいを押し倒してきおった。これが美女ならそそるんやけど、相手は怪物やからな。気色悪くてしゃあないわ。
そして、狙い通りやつは口元を変化させてきおった。注射針に変化したそれを、わいの首筋に向かって突き刺してくる。必死に首を振るが、狙いすました一撃は正確にわいを捉えおった。
全身を襲う激痛。二度目やけど、慣れるもんやない。ただ、少しは体が順応したんか、完全に行動不能にはならへんかった。唯一、脚がうずくぐらいやったな。
ファストランは満足したんか、わいの襟首を掴んで引きずろうとしている。だが、わいはその腕を握り返してやった。意外な行動に、ファストランは動きを止める。
「残念ながら、あんさんの力借りさせてもらうわ」
わいは、ファストランの足の甲に寝転がったままかかと落としをくらわせたった。仰天して手を離したすきに、わいは立ち上がる。ただのかかと落としにしてはすごい音がしたんやけど、脚力が強化されたというのは間違いないみたいやな。
ファストランは唸りながら高速移動を開始した。そうくるなら、この力を試させてもらおうやないかい。わいも地面を蹴って、ファストランと併走する。目まぐるしく景色が変わるんで、慣れるまでが大変やった。それまで、腹の探り合いというか、均衡状態が続いとったんやが、そんなんわいから破ったった。
急加速を味方につけ跳躍。予想以上に飛び上がったわいは、ファストランの頭上近くまで到達した。そんで、あいつの肩へわいの自慢の牙で噛みついたんや。幸い、回避能力に長けとるけど、耐久力はからっきしみたいやった。この一撃によって、ファストランは霧散し始めた。
「こうして、わいは『牙』と『俊足』の二つの能力を手に入れることができた」
わざと敵の攻撃を受けるなんて、無謀にしても程がある。そもそも、そんなことを思いつくなんて、こいつの思考回路はどうなってるんだ。
「これは後から気が付いたことなんやけどな、能力を新たに手に入れると、身体能力も強化されるみたいや。前は牙を使わんとアブノーマルを倒せんかったが、今は単なる蹴りでも撃退できることがある」
そうであれば、異の世界で急に飛行速度が上昇したことの説明がつく。瞳の能力を手に入れたことで、基本的な能力も強化されていたのか。もしや、初戦で渡に一方的にやられたのは、潜在的な能力値に差があったからか。
とんでもない事実が発覚したが、現時点では渡と同じ土俵に立っているということが重要だ。持ちうる能力は平等であるなら、勝負に差がつくのは戦法に左右される。
「ほんで、あんさんはどうやって二つ目の能力を手に入れたんや」
「え、えっと、説明しなきゃダメか」
「当たり前やろ。わいだけ秘密を明かしといて、あんさんだけ内緒にするんや不公平やで」
なで肩で差し迫ってくる渡。さて、困ったことになった。ここで正直に真実を明かすべきか。だが、話したところで、渡が信じてくれるとは限らない。なにせ、倒れている瞳が異人の能力者であると知らないわけだし。
俺がちらちらと瞳や百合の方に視線を送っていたところ、渡が先にそれに感づいたようだ。
「もしかして、あんさん、あの白い服の異人にそそのかされたんやないやろな」
「いや、それは違う」
「違うとゆうか、消去法であんさんに能力を分け与えることができるんは、あの最上位種の異人しかおらへんやろが」
語尾を強めて更に迫ってきた。妥当な推理ではあるが、話を更にややこしくしてしまっている。少しでも誤解を解いておきたいが、百合にそれを期待できそうもないし。
困憊していると、百合がぼそりと呟いた。
「別に私、細胞注射した覚えはない。でも、翼は誰かとキスして能力を手に入れたんじゃなかったっけ。能力をコピーするならそうなるはず」
うん。フォローありがとう。全くフォローになってないけどな。なんで、肝心なところで記憶喪失が発動するんだよ。
もちろん、この中途半端な発言は、渡に発破をかけてしまった。
「あ、あんさん、冬子はんという女がおりながら、誰かとキスやって。異人の最上位種やと思うが、相手が男でも女でもどちらでも許さへん」
怒鳴り散らしたのち、再び牙を出現させる。俺だって、男とキスするようなホモ趣味はない。なんて、弁解する余地も与えてくれそうになかった。