第93話 翼と渡の再決戦
「あんさん、何やっとるんや」
マスクをつけたオールバックの男、牙城渡。俺と同じく異人の能力者だ。
「渡か。そっちこそ、なんでこんなところに」
「やたらと異人の気配がするから退治して回っとったんや。そんで、こっから異様に強い気配がするから来てみたら、あんさんらがいたってわけや」
頻繁に異人が出入りしていたので、その気配が漏れ続けていたのだろう。それを嗅ぎつけてきたのなら、渡がここにいてもおかしくない。
異人の追手なら危ないところだったが、渡ならば心配することはない。冬子の病に対する特効薬を発見したなんて報告したらどういう顔をするか。
しかし、渡はその場で固まってしまっている。彼が注視している先を辿ると、百合へと到達する。渡と百合は初対面だったな。彼女のことを紹介しようとしたが、それより先に渡が口を開いた。
「それよか、あんさん、そいつどうしたん。そいつ、まさか異人の最上位種ちゃうか」
震えながらも指差した先。そこにいたのは瞳のすぐそばに座る百合であった。異の世界から帰った直後ということもあり、百合は微弱ながらも異人の気配を発し続けている。この駐車場でないと察知できないくらいだが、それは問題ではない。重要なのは、人間の姿をしている者が人間ではありえない気配を発しているという点だ。
渡が百合に対して敵意をむき出しにしているというだけでも厄介な事案だ。だが、渡はこの状況を曲解してしまったのか、更にあらぬ妄想を広げてしまうのであった。
「そんで、あんさんはその異人と何やっとるんや。まるであんさんら……」
そっとマスクを外し、渡は大声で喚いた。
「グルになっとるみたいやないかい」
俺と百合がグルだって。言い方は悪いが、意味は間違っていない。いや、この場合、それを認めてしまうと話がややこしくなる。おそらくではあるが、渡はこの状況をこのように理解しているに違いない。
俺と百合が共謀して瞳を襲った。
瞳もまた異人の能力者だということを知らない渡にしてみれば、この状況をこう解釈する他ない。実際、渡は唸りながらファイティングポーズをとっている。
「翼。この人って敵?」
まずいことに、百合は冷たい視線を投げかけてしまう。火に油を注いでどうするんだよ。これは、どうにか弁明しないと非常にまずい。
「渡、これには深い事情があってだな」
「事情なんかどうでもええ。あんさん、何考えとるんや。冬子はんが苦しんどるのに、異人と戯れるなんて。しかも、そんな可愛い子と浮気するとか、腹正しい」
最後は、個人的怨嗟が含まれてしましたよね。
「だから、遊んでいたわけじゃない。俺は冬子のために」
「この機に及んで、冬子はんのためとか見苦しい。ほんなら、いつまでくっついとるんや」
怒鳴り散らされたので、俺はよろけながらも立ち上がり、数歩前に出る。まだ全力飛行の余波が残っているが戦えないわけではない。説得できればいいが、もはやそんな望みは残されていなかった。
「こうなったら、わいが直々にお仕置きせんとあかんな。覚悟しぃよ」
渡は前歯をむき出しにする。犬歯が伸びていき、下あごまで達する。野獣のごとき獰猛な息遣いで、こちらを威嚇している。これは、まともに話し合えるような状態ではない。
俺は翼を最大限に広げて低空飛行を開始する。
「ふぁるふぃふぁ。ふぉんなら、ふぇんりょふぇずいふふぇ【やる気か。そんなら、遠慮せず行くで】」
俺はともかく、百合もまた渡が何を言おうとしているのか分からなかったのだろう。ただ、臨戦態勢にあることだけは伝わったらしく、心配して声をかけてくる。
「翼、大丈夫。あの人からすごい力を感じる」
「問題ないと思う。あくまで頭を冷やさせるだけだから」
強がってはみたが、渡の実力は折り紙付きだ。冬子が介入したから一旦保留にはなっているものの、あの時の戦いが続行していたら、十中八九俺が負けていた。増して、頭に血が上っている渡は、遠慮なく攻撃を仕掛けてくるだろう。それに対応できるか。
そんな懸念を抱いていたのが仇となったか、先制攻撃は渡に譲ってしまった。急激に接近すると、大きく顎を開く。俺は寸前のところで飛翔して牙をかわす。このまま天空へと逃れたかったが、天井が低いのですぐさま水平飛行を余儀なくされる。俺が圧倒的優位に戦えるフィールド=空がかなり制限されてしまっている。それはつまり、環境は渡に有利に働いているということだ。
「ふぉうふぃや、ふぁんふぉきふぉふぇっちゃふふぁふぁふぁやっふぁな。ふょうどええ。いまふぁら、あんふぁんとふぉふぇっちゃふをふぃけさふぇてふぉらうふぇ【そういや、あん時の決着がまだやったな。ちょうどええ。今から、あんさんとの決着をつけさせてもらうで】」
相変わらずよく分からんが、たぶん決着をつけようということだろう。それは、俺も思っていたところだ。
渡は牙をむき出したまま跳躍してきた。高度が制限されているのを利用し、全力で跳べば俺まで追いつけると踏んだのであろう。その目測は正しく、あやうく牙の餌食になりそうになる。
天上すれすれを飛行するが、すぐさま追いついて牙で攻撃されそうになる。やはり、あの移動速度は異常すぎる。こうなれば仕方ない、あの能力を使うか。俺は眠らせていた額の瞳を開眼した。
すると、残像でしかなかった渡の姿がはっきりと視認できるようになった。ただ、それでも人間が全速力で移動しながら攻撃してくるぐらいの速度はある。飛びかかってくる渡を俺は縦横無尽に飛び回って回避する。
「どないなっとんねん。あんさん、急に動きがよくなっとるやないか」
一旦牙をしまい、渡が驚嘆の声を洩らす。
「前の俺とは違うってことだ」
別に、血のにじむような修行をしたわけではない。それに、この額の秘密は口が裂けても暴露できるわけがなかった。
しかし、この秘密はあっさりと見破られてしまうことになる。高速で移動する渡に併走するように俺は飛空している。互いに腹の探り合いをしているというところだ。渡には牙という武器があるが、俺はこの身で勝負するしかない。異の世界で編み出した体当たり攻撃は単調ゆえに、高速で走り回られては命中率が極端に下がってしまう。それならば、掴みかかって、一旦相手の動きを封じた方が反撃に出やすい。
頭の中で作戦を立てていたが、ふと渡が素っ頓狂な声を出した。
「あんさん、その額どないしたんや」
渡が指差した先は、俺の第三の目だった。空中移動している風圧で前髪がなびいて、この眼が顕わになっていたらしい。さて、これは厄介なことになったぞ。釈明の仕方によっては、渡を更に激怒させてしまうかもしれない。そもそも、額に瞳があるなんて、異人の所業としか説明できないのだが。
俺が言いよどんでいると、渡が意外なことを口にした。
「もしや、あんさんも新しく細胞注射をしたんか」
「あんさんもって、渡もそうなのか」
意外な事実が発覚したため、互いに立ち止まる。一定の間合いを保ち、いつでも攻撃を再開できるよう翼は広げたままにしておく。