第9話 異人について
「まったく、探したぜ。こんなところに呼び出してどうする気だ。本当に、あの化け物について教えてくれるんだろうな」
「教えないと言ったら」
「徒労に見合うだけの罰金を払ってもらおうか」
「……かつあげ? 警察に突き出すわよ」
「いや、冗談だ」
携帯電話に手を伸ばしていたので、慌てて訂正した。こいつ、本気で110番を押す気じゃなかったろうな。
「まあ、警察を呼んだところで、こんなところに高校生男女二人が立ち入っていることを問い詰められたら厄介だし。そもそも、本気で呼ぶわけないでしょ」
携帯電話を開閉させながら嘲る。こいつ、今じゃ少数派のガラケーのくせして。
「私としては、カツアゲしてくれたら都合がいいけどね。それなら、抹殺する大義名分ができるわけだし」
「いやいや。学校にいるときから気になっていたが、なんでお前は俺を殺そうとしているわけ。別に、俺が悪いことしたわけじゃないじゃん。むしろ、俺はあの化け物に襲われた被害者だぞ」
「それもそうね。けれども、不安分子は徹底的に取り除いておきたいの。あの異人の存在を公にされたら厄介だし。あなたがここで頭を打つなりして、記憶をなくしてくれれば、私もとやかく言う気はないわ」
さりげなく、無理難題を吹っかけてくるな。このぼろい階段から足を踏み外せば、彼女の望みは叶うかもしれないが、もちろん実行する気はない。
「まあ、それは無理でしょうし、私も話すと約束したから、あんたがいうあの化け物について教えてあげるわ」
「その前に、確認しておきたいことがあるのだが」
「何よ」
「お前、本当にあの時、化け物から俺を助けてくれたオッドアイの少女なのか」
「今更それを確かめてどうするのよ。むしろ、否定したらどうする気」
「いや、俺は同一人物だと思うな」
胸を張る俺に、冬子はため息をつく。すると、トレードマークであるぐるぐる眼鏡に手をかけた。それがゆっくりと外される。
そこから覗いたのは、左右で異なる瞳だった。赤と青。間違いなく、あの時の少女と同じ瞳だ。
「これで納得したでしょ。まあどうせ、あなたを抹殺するためには、この瞳を晒すしかなかったけど」
「意地でも俺を殺す気かよ。その前に、ちゃんとあの化け物について教えてくれ」
「化け物化け物って言ってるけど、あいつらは正式には異人って名前よ。漢字表記だと、異国の人の異人ね」
こととびと。異人。人とついているからには、やつらも同じ人間ということだろうか。
「異人とはいっても、実態は化け物に近いわね。並の人間なら簡単にひねりつぶすぐらいはやってのけるから。あんたも、私が来なければ、とっくにあの世行きだったかもしれないわ」
それは、あの万力で痛いほど実感している。あれは絶対、人間の所業ではない。
「異人は普段、異の世界という、別次元の世界に生息している。私たちが生活しているこの世界と同時並行で存在している、いわゆるパラレルワールドといったところね。この2つの世界は、通常なら決して交わることはない」
「パラレルワールドって、ずいぶんSFというか、ファンタジーみたいな話になってきたな」
「今更でしょ。それならば、異人という存在自体、空想科学作品の産物みたいなものよ」
それもそうだ。いや、そもそも、手から炎やら氷やらを発射できる時点で、冬子も現実離れしている。思い切りそれを棚に上げているような気もするが、つっこむだけ野暮だろう。
「本来ならば、異の世界の住人と関わることはないけれど、ある特定条件で、異の世界が私たちの世界に干渉し、異人がこちらの世界に侵入してくることがあるの。詳しくはよく分かってないけど、確実に言えるのは、異の世界が交わる場所は、人通りが滅多にない忘れ去られた場所だってこと。俗に、ロストフィールドと呼んでいるわ」
「ロストフィールド。聞いたことないな」
「そりゃ、私の仲間内での通称だもの」
けったいな名前がつけられているが、いわば、あまり人が立ち寄らないような場所ということだろう。この廃ビルがいい例だ。火事にあったという曰くつきであり、本来なら侵入することすら禁じられている。今更だけど、後々警察とかに問い詰められたらどうしよう。学校からもお咎めがあるに決まっているし。
けれども、ここに来たのはそのリスクを承知の上だから、もう嘆いたところで詮無きこと。それよりも、冬子の発言で少し気になることがあった。
「仲間内って、お前以外にも異人と戦っている仲間がいるのか」
「そりゃ、私一人で、すべての異人を対処できるわけないもの。いっとくけど、それについて詮索しようだなんて無駄よ。私は、異人について話すとは言ったけど、それ以上のことについては話す気はないわ」
そうまでして突っぱねられると余計気になるが、ここで追及して、異人についてさえ話す気を削げられたら大変だ。ただ、異世界からの侵略者に対抗する仲間たちって、バトルアニメや戦隊ヒーローみたいな話になってきたぞ。まあ、どこからともなく現れる人外に対抗するというのなら、そんなのがあっても不思議ではない。
「話を戻すけど、異人は普通の人間と比べるとはるかに身体能力が高いことが特徴なの。あなたが遭遇したのは『アブノーマル』と呼ばれる個体で、異人の中では最下級の存在。いわば雑魚ってところね」
雑魚と断言しているが、俺みたいな普通の人間にとってはラスボス級の強敵にしか思えなかったぞ。それに、裏を返せば、あれよりもはるかに強いやつがまだまだ控えているってことか。
「やつらは、自分の血液を流し込むことで、人間を異人に変えることができるの。その時に、蚊の口みたいに口元を変化させるから、この行為のことを『細胞注射』と呼んでいるわ。あなたも、私が来るのが遅ければ、とっくに異人にされていたかもしれないわね」
「人間を異人にって、あんな化け物にされるってことか」
「あそこまでひどくはないけど、少なくとも、今まで同じように生活するのは無理でしょうね」
あんな化け物に変えられてしまうなんて、想像するだけでもおぞましい。
「やつらは、ロストフィールドにうっかり足を踏み入れてしまった人間を襲い、細胞注射を施す。それを繰り返して、異人の仲間を増やしていくのを目的としているみたい。異人について話せるのはこれくらいだけど、満足した?」
「あ、ああ。もちろんだ、ありがとう」
完全に納得できたわけではないが、愛想笑いで返しておいた。
それに、よくよく考えると、不可解なことがでてくる。異人が仲間を増やすのは企みがあってこそだろうが、やつらの思惑はいったい何か。それにやはり、アブノーマルと呼ばれる個体よりも強いやつがいるというのが懸念材料だった。こんな話を聞かされてしまうと、忘れろと言われて素直に従う方が無理だ。