第87話 異人上位種「声~ヴォイス~」
百合が攻撃されると、その分もやの生成が遅れてしまうのか。このまま定期的に攻撃を受けてしまうと、やつらに勝利しない限りここから脱する術はない。
こうなったら作戦変更だ。制限時間ギリギリではあるが、これに賭けるしかない。俺は額の瞳を解放し、百合の方へと突進していく。進路を阻もうとホーンが動く。だが、それは想定内だ。
瞳の能力は遠視のほかに、動体視力を急激に強化することもできるらしい。割り込んでくるホーンの動きがスローモーションに見える。俺は急に方向転換してホーンの脇を通過し、難なく百合のもとに辿りつく。
「高速移動だと。貴様、いつの間にそんな能力を」
テイルが顔をしかめるが、構わず俺は百合の手を取る。高速移動というよりは、相手の動きを予見して回避したに過ぎない。それでも、瞳の能力があってこその所業ではある。
俺は、上着を脱ぐと、翼を広げる。こうなれば、他の異人に発見されるなんて心配をしている場合ではない。再度上着を腰に縛り付けると、百合の手を取って上空へと飛び去った。
「せっかく作った術が台無し」
「このままチンタラもやを作っている暇なんてないんだって」
頬を膨らませる百合をなだめつつ、俺は空中飛行している。瞳の能力で、彼女が発生させてくれているもやの方角を確認。そこへ一直線に飛空を開始する。天空であれば障害がないので、素直に走っていくよりも時間が稼げるはずだ。
飛行開始から少しして、俺は違和感を覚えた。夢中で気が付かなかったが、俺は百合を片手で支えながら飛んでいる。前は、背中に乗せてえっちら飛んでいたのに、こんな不安定な姿勢でもふらつくことはない。なんというか、人間を運んでいるという気がしないのだ。重さとしてはおもちゃの人形くらいか。
それに、速度も上昇している。今までは、地上を全速力で走ったぐらいの速度しか出すことができなかったが、今は自転車を全力でこいだぐらいの速度を出している。ギリギリには変わりないが、これならば時間内に到着できる見込みがある。
それにしても、どうしたことだろう。身体能力が向上したとすれば、俺の異変は容易に解決できる。でも、筋トレとかをした記憶はない。異人と戦っているうちに能力が向上したにしても、その度合いが急激すぎる。それこそ、RPGで裏コマンドを使ったぐらいのパワーアップぶりだ。
理由はともあれ、飛行速度が向上しているなら文句はない。このまま、一直線で突き進むのみ。しかし、相手は素直にそれを許してはくれなかった。
あまりに高速で飛空していたせいか、耳がキーンとしてくる。こんな時に耳鳴りなんて。いや、ただの耳鳴りではない。なんだか、頭が痛い。胸がむかむかする。自由になっている左手で耳をふさぐが、症状が治まる気配はない。
嫌な音に悩まされていると、次第に飛行速度が低下する。それと共に、高度も下がってきている。やむを得ず、俺は近くの平原へと着陸する。それでもまだ、怪音波は止む気配がない。
「狙い通りといったところか」
さほど間をあけることなく、テイルが仲間と共に追いついてきた。再度飛び立とうとするが、尻尾で足を絡め取られ、引きずりおろされる。
「畜生、なんなんだ、この変な音は」
「私は何も感じない」
「いや、さっきから耳鳴りがするだろ。どうして、こんな中で平気なんだよ」
「知らない」
「この音の正体が知りたいか」
テイルが割り込んでくる。俺は口を紡ぐが、仕方なしに首肯する。
「誰が、敵に手の内を明かすか! と、言いたいところだが、俺は優しいからな。特別に種明かしをしてやろう。ヴォイス、一旦その音を止めろ」
命令されると、異常に大きな口を持った上位種が半開きになっていた口を閉じた。すると、怪音もぴたりと鳴りやんだ。どんなカラクリを使ったんだ。
「お前は、モスキート音を知っているか」
「モスキート音? 聞いたことあるようなないような」
「不勉強な野郎だ。お前のような若者が不快と思うような周波数の音波のことだよ。ヴォイスは、自在に様々な周波数の音波を出すことができる。お前が空を飛んでいる間、ずっとモスキート音を発生し続けていた。外傷はないが、心理的に攻撃していたというところだな」
つまり、俺はずっと黒板を爪で引っかかれるような音を聞かされていたも等しいということになる。そんな中を全速力で飛び回れという方が無理がある。説明された通り、肉体的に害はないものの、著しく飛行速度を阻害されることになる。直接殴る、蹴るで襲われるよりも数倍厄介だ。
こうなったら、あのヴォイスというやつだけでも倒しておかなければらちが明かない。しかし、テイルやホーンも襲ってくる中、ヴォイスだけを倒すなんて器用な真似ができるかどうか。
不埒な思考を巡らせていると、標的にされているヴォイスが大きく口を開けた。テイルはとっさに耳を塞ぐ。それに気が付いたときにはもう遅かった。
シンバルを数十個同時に落としたような爆音が俺たちを襲う。全身が痺れるように痛い。空気そのものに切り裂かれているようだ。
爆音が去ったあと、耳鳴りに悩まされた。
「くそ、何をしやがった」
「あれで鼓膜が破れないとは、さすがというべきか。今のは、一気に百デシベル以上の大声を発しただけだ。一気にこんな騒音を聞かされれば、ひとたまりもないだろう」
毅然なように振舞ってはいるが、テイルもまた少しふらついていた。無差別に爆音で攻撃するため、あいつらにとっても諸刃の剣なのだろう。しかし、不意打ちを喰らった俺が一番ダメージが大きいのは言うまでもない。
「さっきから苦しんでどうしたの」
「どうしたもこうしたも、嫌な音の後に騒音を聞かされたら頭がおかしくなるだろ」
「別に感じないわ」
きょとんと首を傾げる百合。あれで平然としているなんて、耳が遠いのか。
「ブランクの能力か。相変わらずうざい力だ」
「ブランクの能力って、百合、お前いつの間に力を使ったんだ」
「使った覚えはない」
マスタッシュから聞かされたが、百合は「ブランク」という能力を持っているらしい。それがこの場で発動されていたなんて、全然分からなかった。なにせ、百合が術を発動したという素振りがなかったのだ。
「どうやら、お前はその女の能力を知らないらしいな」
軽蔑するように口角を上げられたが、図星だったので口を紡ぐしかなかった。
「今まで親切すぎるほどに、俺の仲間の能力を教えてやったんだ。この際、冥途の土産にそいつの能力まで教えといてやろう。その女『ブランク』の能力はな……」
固唾をのんで、テイルの言葉を待ち受ける。