第78話 治療法を求めて
「クーラーが効いた部屋で五十度を記録するということは、お嬢さんはそれ以上の温度の熱を発しているということでしょう」
所長が冷静に解説するが、考えなくてもそれは異常なことであった。そもそも、そんな体温を人間が記録できるものなのか。
「前に本かテレビで知ったけど、人間の体温の限界は四十二度で、それを超えると確実に死に至るらしい」
「って、冬子はんは死んでもおかしくない状態ってことやないかい」
渡がうろたえるのも無理はない。俺だって、まさかここまで重症だなんて予想だにしなかったのだ。
「所長さん、これでもなお、医者に診せてはならないって、どういうことですか」
「それは、お嬢さんの意思でもありますし、聖奈さんたちとも相談した結果なのです。仮に、五十度を超える熱を発しているお嬢さんをそのまま病院に連れて行ったとしたら、どうなると思いますか」
「そりゃ、即座に入院でしょう。そこで精密検査が行われ……」
そこまで言いかけて、ようやく所長たちが懸念していたことが明らかになった。
もし、冬子の体が精密検査でもされたらどうなるか。俺たちは普通の人間とは異なる能力を有している故に、身体機能にも変調が現れている可能性が高い。それが発覚したら、十中八九モルモット生活が待ち受けている。そして、それは、異人の存在が一般化してしまう引き金になりかねない。
それ以前に、人間としてありえない体温を叩きだしているのだ。これを、現代の人間の医療技術で治療できるかと問われれば、首を傾げるしかない。
「もしかしたら、異人にしか発症しない特殊な病気にかかっている可能性が高いっていうのが私たちの見解だ。冬子は炎の力を使えるだろ。それが、体に悪影響を及ぼしているかもしれないし」
現状では、冬子の具合を説明するのに最も適切なのはその線だ。ただ、それならそれで、かなり厄介なことになっている。なにせ、異人の病気の治療法なんて誰も知っているはずがない。
知っているとしたら、異人の最上位種ぐらいだろう。しかし、まともに話し合うことさえ困難なやつらが、すんなり治療法を教えてくれるわけがない。これを機に一気に冬子を潰そうとするのがオチだ。
いや、だが、待てよ。唯一、話が通じそうな異人が存在する。彼女とはまともに会話できた試しはないが、ブラッドとかに相談するよりは、数十倍も望みがある。
ただ、この方法に関しても問題がある。異人の知り合いがいるということをまだ所長とかに話してはいない。そんな中、唐突に「異人に相談する」なんて提案しても却下されるに決まっている。「話が通じる異人がいる」なんて理由を説明しても、信じてもらえるかどうか。
だが、念のため確かめてみるか。
「えっと、冬子の症状を異人に話してみるってのはどうだ。異人の病気なら、やつらの方がよく知っているに違いないし」
「阿保か、あんさん。わざわざ敵に、冬子はんが弱っていると教えてどないする」
「いや、話が通じる異人がいるとして」
「んなもん、いるわけないやろが」
声を荒げられ、俺はそれ以上食い下がることができなかった。聖奈も、憐れむような目つきで、俺を見下している。
「ともあれ、今の僕たちにできることとしたら、お嬢さんの病気の進行を少しでも遅らせることです。普通の風邪の治療法が効果があるかどうか分かりませんが」
「せめて特効薬でも見つかれば話は早いんだけどな」
「くそう、見守るだけなんて、もどかしくて仕方ないやん」
俺たちが右往左往している間、冬子はずっと咳き込み、呻き続けている。なんとかできるかどうかは分からないが、その道筋を掴んでいるなら、それを活かすしかない。俺は拳を握ると、所長の「どこにいくんですか」という声を振り切り、一目散に事務所を後にした。
時刻は十時になろうとしているところだ。この時間帯ならなんとか連絡が取れるかもしれない。事務所のあるアパートの外で、俺はある人物に電話をかけていた。それは、ほんの数日前に連絡先を知ったあの相手だ。
四コールした後に、通話が開始された。
「もしもし。いきなり電話をかけてくるなんて、どうしたんですか」
「わるい、瞳。ちょっと話があってな」
「もしかして、百合の事をみんなに話すというあの件で」
「そうしようかと思ったんだが、それどころじゃないことが起きてな。冬子が死にそうなんだ」
「えっと、いきなり何言い出すんですか」
冷淡に切り返され、俺は言葉に詰まる。息せいていたせいで、とんでもないことを口走ったようだ。
呼吸を整え、俺は冬子が原因不明の高熱を出していることを伝える。それも、異常なまでの高温ゆえに、医者に診せることもできそうにないということもだ。
「……それで、もしかしたら異人に関係する病気かもしれない。その治療法を探るために百合とコンタクトを取りたいということですね」
「そう。理解が早くて助かる」
「それは構わないのですが、百合とはそう簡単に会えるわけではないですよ」
衝撃の事実を告げられ、俺は携帯電話を落としそうになる。
「彼女とは度々会っていますが、それは彼女の方から私のところへと訪ねてくるパターンばかりです。私の方から接触したことはほとんどありませんし」
「そ、そうだよな」
そもそも、俺たちの住む世界から異の世界へ行く手段がないに等しい。百合がこちらにやってくるのを待つとしても、そんなのはそこらへんの釣具屋の餌で深海魚を釣ろうとしているようなものだ。
落胆する俺だったが、電話口から予想外の提案がなされることになる。