第70話 イアンモールへ
しばらくリア充爆発しろ回が続きます。
さて、俺たちは一時間ほど前にいた場所に逆戻りしている。あの公園から牧野台駅までの道中は、特に百合が反応を示すものはなかった。まあ、民家やら乗用車でフラッシュバックできるのなら苦労はしない。
正午に近づきつつあるのか、先ほどよりも人通りが増えている。もちろん、当初の目的地へと向かうバスの列も心なしか長くなっている。
「そうだ。どうせなら、イアンモールに行ってみないか。俺もちょうど行こうとしていたところだし」
「イアンモール。なにそれ」
「大型のショッピングセンター、買い物をするところだ。いろんなお店があるから、もしかしたら記憶が戻るきっかけになるかもしれないだろ」
閑静な住宅街を散歩しているよりも、にぎやかな場所に身を投じた方が刺激が強い分、フラッシュバックに有効かもしれない。まあ、それは建前で、本来の目的を達成したかっただけというのもある。
列に並んでいると、なんだか視線が突き刺さってくる。それも、主に、男からだ。せわしなく首を動かす俺をよそに、百合はただ前方を見つめている。
俺が注目を浴びているのは仕方ないかもしれない。百合は、白一辺倒の服装もさることながら、なかなか可愛らしい顔立ちをしているのだ。童顔というか、お人形さんというか、なんだか保護欲を駆り立てられそうになる。そんな彼女と一緒にいる男。その関係性を邪推されたとしても、文句は言えまい。
これが、本当の彼女なら、鼻高々としていられるのだが、相手は一時的に行動を共にしているだけの間柄だ。羨望やら嫉妬の視線を送られると、どうしようもなくなってくる。
時間にして十分ぐらいだったが、俺にとってはその数倍もの時間を体感した気がした。なんとか一息つけたのは、バスの中で椅子に腰かけることができた時だった。
「すごい疲れてる」
百合は無邪気に俺の額から流れる汗に触る。近くに座っていた中年の男性からの視線が痛い。
「あれだけ運動した後だからな。イアンモールに着いたら飯でも食うか。ちょうど昼ぐらいになっているだろうし。百合は、好きな食べ物ってあるのか」
「どうだったかしら」
そこでまた首をかしげてしまう。いちいちがっくりとさせられるが、ゆっくりといろいろ見ていけば、反応を示すものもあるだろう。
バスに揺られてしばらくして、ようやくイアンモール牧野台店に到着した。県内有数のショッピングモールだけあり、三階建ての内部には百近い専門店を有している。それだけに敷地面積も途方もなく、すべて歩きつくすだけでも、数時間はかかりそうだ。しかも、映画館まで隣接しているという至れり尽くせりぶり。半日どころか、一日中ここで楽しんでもお釣りがくるだろう。
入り口の総合案内図によると、フードコートは最上階にあるらしい。内部は、人の波が絶え間なく続いており、ふとした拍子にはぐれてもおかしくないぐらいだ。
ふと、百合が俺の手首を握ってくる。心なしか、その手が震えていた。
「あ、そうだな。はぐれないようにそうやって握っているといいぞ」
俺が店内へ入ろうとすると、その足に重みを感じた。どうやら、百合がその場で固まっているらしい。横を通り過ぎたおじさんと肩がぶつかりそうになって、俺は頭を下げる。
「大丈夫か、百合」
「ええ。びっくりしただけ。これだけ人が多いの初めて」
ようやく足が軽くなったので、俺たちはそのままエスカレーターへと歩んでいった。
「人が多いのが初めてって、こういうところへはあまり来たことがないのか」
「そうかもしれない」
それだったら、徒労に終わる危険性をはらんでいる。でも、ここまで来たからにはただでは引き下がれまい。俺は百合の手を握り、最上階へと上がっていく。
最上階はフードコートのほかには、書店やCDショップ、ゲームセンターなどが入店している、エンターテイメントに特化したフロアだった。百合はそわそわしながら、フロアを進んでいく。その割には、途中で歩みを止めることはない。むしろ、俺の方が「家政婦の半沢直子」の原作本が出ていたことを偶然知って寄り道したぐらいだ。普段、それほど活字本は読まないけどな。
フロアの突き当り、ゲームセンターと隣接しているところにフードコートはあった。やはり、昼時ともあって、ほとんど満席だ。こういう時、まずは席を確保するのに苦労する。ましてや、二人分なんて、そうそう空いているものではない。
フードコート内を二周ぐらい歩き回って、ようやく二人掛けの小さなテーブルを発見した。俺はすかさず、カバンを置いて席を確保する。いよいよ、店選びだ。
「百合って、好きな食べ物はあるか」
「どうかしら」
ですよね。半ば、その反応は予期できた。
「翼……だっけ」
「お、おう」
「翼は好きな食べ物ってある」
「そうだな」
逆質問されるとは思わなかったから、たじろいでしまった。俺は首だけ動かして、看板を一望する。「バクドナルド」に「リンボーハット」、「マスタードーナッツ」という有名チェーン店のほか「ラーメン一筋」という専門店まで出揃っている。もちろん、「フィフィティーンワン」みたいなデザートも捨てがたい。
「この中だったら、バクドナルドかな」
ハンバーガーというよりも、ハンバーグが好きだからである。幼稚園の頃、誕生日に「びっくりディディー」に連れていってもらったことがあって、それから、事あるごとにハンバーグをせがむようになった。篠原から「お前の弁当、高確率で冷凍のハンバーグが入ってるよな」と揶揄されたぐらいだ。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか」
0円で提供されているスマイルに導かれ、俺たちはバクドナルドの前に立っていた。あの後、百合が「ならそこでいいわ」と承諾したため、俺が手を引っ張って列に並んだのだ。
数あるメニューの中から、俺は「ダブルバーガー」を選ぶ。理由は単純。ハンバーガーパティが2個も入っているからだ。バクドナルドに来るたび、大抵これを注文している。
「ダブルバーガーですね。他にご注文はございませんか」
店員は百合に視線を送りながら尋ねる。百合は目移りしているのか、ボケっとしているのか、なかなか決められないようだった。
「どれでも好きなものを選んでいいんだぞ」
「そう、でも」
口ごもりつつ、ワンピースのポケットを探る。そして、にわかには信じがたいことを発するのであった。
「私、お金持ってない」