第53話 八百長じゃんけん
無言の駆け引きが始まる。俺のクラスの総人数は41人。なので、6人グループを作っていくとなると1組だけ5人のグループとなる。逆に言えば、現在5人のグループが冬子を招き入れなければならない。
それに該当するのは俺たちの班と、意外にも榊の班だった。彼女の仲間内で最も仲のいい2人を班に入れたものの、男子メンバーは2人しか確保できなかったらしい。
この場合、級長である榊の班に入るというのが順当な流れだろう。しかし、冬子は入学したての頃、榊とひと悶着を起こしている。榊もそのことを根に持っているらしく、暇あれば陰口を言い合っているという噂だ。そんな険呑な二人を対面させたらどうなるか。
「残っているのは夏木だけか。榊と東雲。お前らの班はまだ5人だったよな。どっちの班に入るか早く決めろ」
クラスの事情など知らない小杉先生は、無責任にも催促する。
ここで冬子が率先してどちらかの班に加われば問題はないのだが、それは彼女の性格からして望むべくもない。俺の班か榊の班。どちらかが率先しなければ、膠着したままだ。
「俺の班、来ないか」と誘いたいものの、それができないというのがもどかしい。未だにクラス内では、夏木冬子には関わってはいけない雰囲気が流布しているのだ。それに、冬子自身からも「無為に私と関わって、変に事を荒げないで」と釘を刺されている。なんとか、無難に呼び寄せなければ。
さすがは級長というか、榊は唐突に妙案を提示してきた。
「先生。夏木さんはどちらの班に入ってもいいみたいだから、私の班と東雲くんたちとの班でジャンケンして決めたらいいと思います」
「そうか。夏木、それでいいか」
無言で首肯する冬子。あちらは代表として榊が進み出る。
「じゃあ、俺が行こうかな」
進み出ようとする篠原を、俺は肩を掴んでとどまらせた。そして、耳元でささやく。
「篠原。俺に行かせてくれないか」
「別にいいが、どうしたんだ」
「ちょっと考えがあってな」
深追いすることもなく、勝負の権利は俺に譲られた。
嫌が上でも注目を浴びてしまう俺と榊。明らかに48人以上いる、会いに行けるアイドルのじゃんけん大会もこんな感じだろうか。ともかく、こんな不毛な対決はさっさと終焉させよう。
最初のグーを出そうとした時、榊が急に近寄ってきた。不意を突かれて硬直する俺だが、彼女はそっと呟いた。
「お願い。わざと負けてくれない」
こいつ、端からそのつもりでジャンケンを提案したのか。むかっ腹が立ったが、息を深くはいて落ち着かせる。どう交渉しようかと悩んだが、相手の方から商談してくれるのなら手間が省けて助かる。
「別に構わない。最初からそのつもりだ」
高揚して余計なことを付け加えてしまったか。けれども、榊は言及することなくにやつくだけであった。
「お前ら。ジャンケンするなら早くしろ」
こっそりと予行練習していると、小杉先生から催促された。
「じゃあ、いくわよ。負けた方が夏木さんを班に入れる。それでいいわね」
「いいぜ」
「最初はグー、ジャンケンポン」
俺の出した手はグー。対して、榊はパーだ。
「これで決まりね。夏木さんは、東雲君の班に入る。それで文句ない」
冬子は返事をすることもなく、俺たちが集まる机へと加わった。これで満足したのか、榊は足取り軽く元の席へと戻っていった。
俺も着席すると、偶然にも隣に着席していた冬子から小声で話しかけられた。
「余計なことしてんじゃないわよ」
どうやら、八百長をやっていたことは見通されていたようだ。素人芝居で、どれだけ隠し通せたか怪しいところではあるが。
「でも、ありがとうとだけ言っておく」
それこそ蚊のなく声で独白した。まったく、素直じゃないやつめ。
ジャンケン代表を逃したことが響いているのか、篠原が無駄に張り切って司会を進め、ディベートは進んでいった。冬子は、発言を求められたら簡潔に意見を述べるだけで、相変わらず目立とうとしなかった。
最後に不意打ちで、俺に発表を任された以外は、特に問題なく討論会は終幕したのだった。
終わったら終わったで、冬子はそそくさと自分の席に戻っていく。大多数の生徒がそのまま談笑しているが、そんなのはお構いなしといった態だ。
「もしかして、伊勢さんも『家政婦の半沢直子』見てる」
「はい。見てますよ」
ディベートで意見交換しているうちに意気投合したのか、篠原と伊勢さんは、最近話題のドラマの話で盛り上がっている。
「翼もあのドラマ見てるよな」
「あ、うん。あれは、けっこう面白いぞ」
家政婦として派遣された半沢直子は、その立場ゆえにどんな要求でも承知しなくてはならない。しかし、最後にとんでもない方法で家族に倍返しする。毎回、ツッコミどころがありすぎるストーリー展開が、主にネット上の巨大掲示板で話題になり、今季のドラマでは最高の視聴率を誇っているそうだ。俺も惰性で見始めたが、あまりの馬鹿らしさが逆にクセになり、つい見入ってしまっている。
「東雲くんも、こういうドラマ見るんですか」
「俺は話題になったから見てるだけだけどな。でも、あのノリはけっこう好きだぜ」
伊勢さんは、やけに瞳を輝かせて耳を傾けている。細目がちだが、優しい印象を与える瞳だ。とはいえ、冬子のあのオッドアイを目撃した後だと、どうしてもそれと比較してしまうのが悲しいところ。彼女の瞳も十分美しいが、冬子のそれはもはや別格であった。
「もうそろそろ次の授業が始まるんじゃないか」
「そうだな。かったるいぜ、このまま部活行きたいぐらいだ」
篠原が不平を垂れるのも納得できる。高校に入ってからは六時間の時間割がデフォルトになっているとはいえ、あんな特殊な授業の後の座学は正直気分が乗らない。
「じゃ、伊勢さん。また機会があったら話そうぜ」
「は、はい」
こいつら、微妙にいい雰囲気になってないか。特に篠原の方が。伊勢さんはどうか分からんが。
なんて、浮ついたことを考えていると、
「えっと、東雲君」
不意打ちで伊勢さんから声をかけられた。彼女は過度に用心深く辺りを気にして、そっと俺に耳打ちしてきた。
「授業が終わったら、体育館の裏に来てくれませんか」
うん。不意打ち中の不意打ちだ。なにかの間違いかとも思ったが、紅顔している女の子がこんなことを口走るというのは、あれしかないだろう。まさか、俺の方に飛び火するなんてな。
それだけ伝えた伊勢さんは、友人の及川と合流し、元の席に戻っていった。俺はしばらく放心していたが、次の英語の授業の講師の
「お前ら、いつまで騒いでるんだ。小学生じゃないんだから、さっさと席に着け」
という叱責でようやく我に返った。