第44話 人を助ける理由
「翼、あんたどうして」
胸を両腕で隠しつつ冬子が尋ねる。半裸に近い上半身には無数の切り傷が刻まれていた。ブラッドは血液を硬化させてサーベルを作ることができる。おそらくは、それにやられたのだろう。あの冬子がここまで負傷するとは、予想はしていたがかなりの難敵だ。
冬子がもじもじと俯く。俺はハッと気づき、上着を脱いで冬子の肩から被せてやった。どうせ能力を発動するためには脱がなければならない。
俺のジャケットの前ボタンまで締め終ると、冬子は俺に詰め寄ってきた。
「どうして、こんなところまで来たのよ。しかも、聖奈まで連れてきて。内緒にしてきたはずなのに……」
そこまで言いかけて、ふと気が付いたことがあったようだ。
「もしかして、所長の仕業」
「そうだ」
冬子は拳を地面に叩き付ける。険しい表情であさっての方向を睨むが、俺はその視線を右手で遮った。
「所長を恨まないでくれ。ああ見えて、ずっと冬子のことを心配していたのだから」
「そ、それは分からないでもないわ。けれども、余計なお世話よ。それに、昨日も言ったはずよ。私は、恨みを晴らすために異人を倒しているの。あんたがこの戦いに関わる必要はない。さっさと帰った方が身のためよ」
つっけんどんな態度は相変わらずだった。しかし、以前のような圧迫感はない。それに、どことなく声も震えている。
俺は一呼吸おくと、首を横に振った。
「悪いが、それには従えない。所長から聞いたんだ。俺を異人との戦いから遠ざけようとしているのは、自分のせいで悲劇に巻き込まれる人間をこれ以上増やさないためだってな」
「所長がまさかそんなことまで」
「秘密にしとけとは言われたけど、どうしてもお前に言っておきたいこともあったしな。それに、ここまで殴り込んできていて、その理由を隠しておくわけにもいかないだろ」
俺は、冬子の肩に手を置いた。
「冬子。俺は、お前を助けに来た。お前の気持ちも分かるが、いくらなんでも一人で背負込むには重すぎる。俺ができることは少ないかもしれない。正直、足手まといになるかもしれないというのも分かっている。けれども、手助けができるのに見て見ぬふりをするのはご免だ。異人を倒すことで、お前を助けることができるなら、それで充分だろ」
息をつく間もなく、自分の思いを吐き出した。俺の手から力が抜ける。いや、力を抜いたのは冬子の方であった。
「ひとつ聞かせて。どうして、私を助けようとするの。私の過去に同情でもした?だから協力したいのなら余計なお世話よ。自分のことは自分でケリをつける。あんたに協力してもらう義理はない。
それに、意図的に他のクラスメイトを遠ざけてきたのよ。そんな私と関わり合いを持ったら、あんたまで何を言われるか。それぐらい分かってるでしょ。それでもなんで、私を助けるのよ」
「えっと、単純な理由だ」
俺は頭をかきながら答える。
「人が人を助けるのに理由なんているか」
目の前に困っている人がいたら手を差し伸べる。人間として当たり前じゃないのか。そこに見返りなんて求めていないはずだ。
その返答に、冬子は目を丸くする。俺、変なこと言ったか。
すると、クスリと笑いだした。おいおい、笑うことないだろ。
「あんた、前から誰かに似てると思ってたのよ。誰かは思いつかなかったけど、ようやく確信したわ。私の父さんよ。母さんを匿った時に、ちょうど今のあんたみたいなことを言ったって聞いたわ」
冬子の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「ごめん。ちょっと笑いすぎたかも」
嗚咽をもらしながら、俺の胸に顔をうずめてきた。俺はそっとその肩を抱いた。震える彼女の背中を優しくなぜる。
「……おい、茶番は終わったかよぉ」
現実に引き戻されたのは、不機嫌そうなブラッドの声だった。我に返り、俺は手を取って冬子を立ち上がらせる。
「おめぇら、オレを放置して乳繰り合うなんざ、いい度胸だなぁ。でも、つい圧倒されて呆けちまったぜぇ」
「ごめん、冬子に翼。そこについては私もブラッドに賛同するわ」
すっかり二人の存在を忘れていたとはいえ、堂々とあんな寸劇を披露してしまったのだ。穴があったら入りたいが、俺は咳払いしてブラッドに向き直る。
「聞いていただろ、ブラッド。そういうわけだから、俺はお前を倒す」
冬子も涙を拭いてそれに続く。
「本当なら私一人で倒したかったんだけど、このお節介の馬鹿が出しゃばるからね。特別に二人で叩きのめしてあげるわ」
「ちょっと待て。私を忘れるなよ」
聖奈が慌てて、俺たちの隣に加わる。
三対一という、明らかに不利な状況。これには動揺するかと思ったが、ブラッドはズボンのポケットに手を突っ込み、不遜な態度をとるだけであった。
「ったく、面倒くせぇな。まとめて相手してやりてぇが、俺だけじゃ骨が折れるなぁ。仕方ねぇからゲストを呼ぶかぁ」
ブラッドが指を鳴らすと、白いもやが俺たちを取り囲んだ。確か、あれはブラッドが異の世界へと帰還した時に召還したものだ。まさか、敵前逃亡する気か。
否、その正反対であった。突如、体が震える。これは、異人が出現した時の気配だ。慣れっこになりつつあるが、それでも差し迫る危機を訴えている。ゲストを呼ぶとか言っていたはずだが、やつは何を呼び出す気なんだ。
その答えはすぐさま判明した。もやからのっそりと這い出てくる異形の存在。もはや見飽きたのっぺらぼうのマネキン人形。異人の下位種アブノーマル。
雑魚を呼び寄せてどうする気だ。苦し紛れの策に出たか。
しかし、そうではないことはすぐに分かった。続々と同じような個体が湧き出てくる。そいつらはあっという間に俺たちを取り囲んだ。その数はおよそ十体といったところか。
「おめぇら、喜べ。こいつらは、すでに細胞注射してるけどよぉ、主に刃向おうとしている裏切り者みてぇだ。だから、ぶっ殺しても問題ねぇ。まとめてやっちまおうぜ」
これにより、数の優位さは逆転した。啖呵を切ったものの、これはまずいんじゃないか。
しかし、冬子と聖奈は動揺する気配はなかった。
「こんなでくの坊を集めて時間稼ぎするなんて、こいつ実はそんなに大したことないんじゃないか。冬子、あの雑魚は私に任せておきな。あんたは思う存分あのブラッドっていうのを叩きのめしてやりな」
「聖奈さん、大丈夫ですか。いくらなんでも、一人であれだけの数のアブノーマルを相手にするなんて」
「聖奈なら問題はないわよ。むしろ、アブノーマルたちの掃除をする方が楽かもしれないわね」
後ろ髪を引かれたが、冬子の手助けをすると宣告した以上、俺の相手はおのずと決まる。
「結局二対一かよぉ。別にいいけどさぁ。雑魚が増えたところで問題はねぇ。おめぇらまとめて、真っ青に染めてやんよ」
一斉に目標へと立ち向かっていく。一大決戦がこうして幕を開けたのだった。