第42話 冬子とブラッドの一騎打ち
「翼、こんな朝早くどうしたの」
台所を過ぎ去ろうとしたとき、母さんに声をかけられた。味噌汁のにおいが充満している。もしかしたら、二度と味わうことができないかもしれない。そんなにおいだ。
「悪い、母さん。ちょっと野暮用があって」
制止する声を振り切り、俺は玄関から飛び出した。一度我が家の方を振り返ったが、唇をかみしめると、一目散に駅へと走り出した。
電車に揺られ、じれったい時間を過ごすこと数十分。牧野台駅へと到着した俺は、急いで事務所に向かう。そこにはすでに、所長と聖奈が乗用車の前で待機していた。
「あんなことがあったから、来ないんじゃないかと思ったわよ」
「正直、行こうか行くまいか迷った。けれども、冬子の野郎を放ってはおけないじゃんか」
「もしかして、所長。余計なことを話したんじゃない」
「さあ、どうでしょう」
「後で冬子に叱られても知らないわよ」
うなだれる所長だったが、「とにかく急ぎましょう」と俺たちを乗用車の中へと促した。
「それで、冬子の行き先に当てはあるんですか」
「確証はないのですが、大まかな行き先は把握できています」
所長は、自前のスマートフォンの画面を見せてきた。地図のアプリが起動してあり、表示しているのは探偵事務所の場所のようだ。画面をスライドさせていくと、青い逆三角形が映り込んだ。それは低速で移動している。場所は、牧野台から一駅先の美丘か。
「この三角形ってもしかして」
「その通り。お嬢さんです。万が一を想定して、お嬢さんの携帯のGPS情報を、このスマホに反映できるように設定してあるのですよ」
鼻高々だが、冬子にとってははた迷惑な設定だろう。もしかして、俺や聖奈の携帯のGPSも登録されてるんじゃないだろうな。探偵である彼のことだから知らぬ間にやっていそうだ。
「とりあえず、美丘まで行ってみればいいんじゃないか」
聖奈の一声で、所長は頷き車を発進させた。待ってろよ、冬子。決して無茶はするんじゃないぞ。
整然と並び立つ墓石。彼岸でもなければ、こんなところに好き好んで足を踏み入れないだろう。裏を返せば、他人に目撃される恐れも少ないということでもある。やつらが出現するにはうってつけというわけだ。
「おめぇひとりかぁ。まぁ、退屈はしねぇだろうけどよ」
そいつは、罰当たりにも墓石の上に腰掛けていた。吸血鬼を連想させる燕尾服とコート。場所が場所だけに無駄にマッチしている。
異人最上位種ブラッド。昨日、私たちをむざむざと逃がした彼がこのまま素直に退散するとは思えない。すぐさま進撃してくると予想していたが、それがうまい具合に的中した。
「あんたごとき、私だけで十分よ。昨日の決着をつけさせてもらうわ」
「それはこっちのセリフだぜぇ。裏切り者を始末したなら、オレの株は一気に跳ね上がる。主に成り代わったり、なんてことになったりなぁ」
下品な笑い声をあげると、墓石から飛び降りる。そして、取り出したナイフで、躊躇なくその手を切り裂いた。したたり落ちる青の血液が凝固しサーベルを形成する。
「知ってるかぁ? オレの血は青いんだぁ」
ゆったりとサーベルを構える。私は手のひらを広げ、炎を発生させた。
「おめぇを真っ青に染めてやろうかぁ!」
ブラッドは踏み込みつつ、サーベルが突き出した。私は火の玉を発射するが、そのまま切り裂かれる。
寸でのところでかわし、墓石を背にする。氷を発生させ、そのエネルギーを一点に集中する。それはつららを作り出し、私の手に収まった。
「おめぇもサーベルを持ってるのか」
新しいおもちゃを発見した子供のごとく浮かれている。振り下ろされるサーベルをつららで受け止めた。そのままつばぜり合いに持ち込まれる。
拮抗しているように思われたが、すぐさま力の差が露呈してくる。悔しいかな、女である私では、単純な力比べでは劣るということを認めざるを得ない。私が片膝をつくや、ブラッドは更に踏み込んでくる。
しかし、このまま素直に競り合うほど、私はお人よしではない。自由になっている左手で氷の玉を作り、それをブラッドへと放つ。
押し合いに夢中になっていたのか、氷の玉はあっさりと命中した。体勢を崩したところを私は一気に押し込んだ。
つららの先端がブラッドの右腕に突き刺さる。そこから更に流血する。やったか。
「痛い、痛い。けれどもありがてぇ」
したたり落ちる血液が固まり、新たなサーベルへと変化する。それを左手でつかみ、つららへと叩き付けた。その衝撃でつららが寸断される。
呆気にとられていると、先ほど傷つけた右腕を振り上げた。未だ流血しているその腕から血しぶきが舞う。それは弾丸へと変貌し、私のもとへ飛来した。
なんとか両腕で防御するも、激痛が全身を駆け巡る。至近距離で短機関銃を発砲されたぐらいの威力はあるか。大げさな表現ではあるが、異人の力で身体能力が強化されていなければ、両腕が吹き飛ばされていてもおかしくなかった。
最上位種だけあって厄介な敵である。半端なダメージで流血させれば、相手に武器を与えて逆に強化させてしまう。それならば、能力を発動させる暇を与えず、一気に倒すしかない。それが達成できるとしたら、至近距離で打ち込むエネルギー変換。
接近戦を挑むとするなら、あのサーベルを攻略しなければならない。しかも、あの技を発動するなら、つららは使用不可。つまり、丸腰でサーベルに突っ込むしかないのだ。
ブラッドは二刀流となったサーベルを交差させ、私に迫ってくる。自ら接近戦を挑んでくれるのは好都合だが、サーベルの攻略法が見いだせない状態では脅威でしかない。
仕方なく護身用につららを発生させようとする。しかし、先ほどの攻撃で被った傷口が痛み出した。つい、顔をゆがめる。
それにより挙動が遅れたのが命取りだった。刺突され、私は身を屈める。
わき腹が妙に生暖かい物質に触れる。それが血液により形成されたサーベルだと確認するのに時間はかからなかった。それは私のシャツの脇を貫通し、そのまま墓石へと突き刺さっていたのだ。
画鋲で固定された画用紙のごとく、それは私を墓石へと縛り付けていた。無理にはがそうとするなら上着を犠牲にするしかない。
ブラッドは笑い声をあげながら、私の喉にもう一方のサーベルを突きつけた。
「楽には殺さねぇよ。裏切り者はじっくりなぶり殺しにしねぇとなぁ」
「そういうこと。趣味が悪いわよ」
「減らず口はいつまでたたけるかなぁ。さぁ、どこを切り落とそうかなぁ」
やつは、カエルを解剖するような気でいるのだろう。生理的な嫌悪感がそれを告げている。私は身をよじると、地面へと転がった。上着が引き裂かれる音がする。胸元を隠しつつ上半身を起こす。なおもじわりとサーベルが迫ってくる。