第39話 冬子の両親の死
残酷な描写注意
「そなたをここまで堕落させたあの人間の男も重罪に値する。まずは、あやつから処刑する」
それが執行の言葉であった。男の手から放たれた針は一直線に父の首根に吸い込まれていく。
「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
母と私の絶叫が重なり合う。しかし、超高速で飛空する針の侵攻を阻害できるはずがなかった。
ガマがつぶれたかのような醜い声をだし、父の首筋から鮮血が流れる。体から力が抜けうつぶせに倒れる。あの衝突の時、すでに虫の息だったことは想像に難くない。そして、あの一撃。もはや、父が事切れていることは確かめるまでもなかった。
「お父さん」
私は喚き、父の亡骸へと駆け寄る。その体を揺さぶるが、なんら反応を示さない。
「お父さん! お父さん!!」
いくら呼びかけても、その口から返される言葉はない。嘘よ。嘘に決まっている。ただ眠っているだけ。そうよ。そう……。
とめどなく流れる涙。母もまた四つん這いになり嗚咽をもらしていた。
「解せぬな。弱者は淘汰され、強者の糧になる。それが我ら異人の世界。たかが一個体の死でそこまで絶望するとは、人間とは儚き存在よ。そして、それに毒されし裏切り者ブリザード。そなたこそ真の愚者」
男は母の髪をつかみ、起き上がらせる。吹き込んでくる冷気。母が抵抗してくれているのか。しかし、やけに冷たい。それも、身体的な冷たさではない。身体だけでなく、体内にまで侵略してくる冷気。母が私たちを守った時に発せられたものとは異質であった。
その正体はやがて明らかになった。男が母の首筋に向け、氷の玉を撃ちこもうとしているのだ。
「氷結。せめてもの手向けだ。そなたの能力にて葬り去ってやろう」
このままじゃお母さんが殺される。けれども、どうすればいい。私にできることなんて。
いや、ひとつだけある。この力は使いたくなかった。これのせいで、私はかつての友を失った。今度もまた、どんな悲劇が起こるか。
けれども、もはや迷っている暇はなかった。力を使わないことで母を失うぐらいなら、どんな結果になろうともできる限りを尽くした方がいい。
私は無意識のうちに眼鏡を外していた。凍える体を融解せんと、胸の奥より炎が沸きあがってくる。まただ。あの時と同じく気分が悪い。それでも、あの男に狙いを定め、右手を広げる。
「この力……まさか」
初めて男が動揺した。私は叫びながら炎の玉を投げつけた。
お母さんを放せ!!
男はすかさず、発射寸前だった氷の玉を発射する。炎と氷。相反する二つの力がぶつかり合う。そんな、防がれた。
全身から血の気が引く。私にできる唯一の対抗手段が効かなかった。それに、今の攻撃によって、男は私の方へ近寄ってくる。嫌、来ないで。
脳髄から爪先までが冷えわたっていく。身の毛もよだつとはこのことか。いや、それとは違う気がする。身体を吹きすさぶこの冷気。母やあの男が発したものと酷似しているが、それらとは微妙に違う。いわば、外からもたらされたのではなく、内より沸き起こってくる。
「く、来るな!!」
叫喚し、あふれ出てくる冷気を手のひらに凝縮させた。男が開眼する。
その冷気の塊は呆気なく男の胸に命中した。自分でもやったことが理解できなかった。これは、母と同じ力。
「冬子、あなた、そんな力まで」
これには、母さえも驚きを禁じ得なかったようだ。私は、炎だけでなく、氷まで操ることができるのか。
しかし、それが分かったところで、男をどうにかできるわけではなかった。
「紅と蒼。双璧する二色の瞳を持つ娘。そなたには情けをかけようと思ったが、その必要性もないようだ」
服に付着した霜を払いのけ、私へと歩み寄ってくる。逃げようとしても完全に腰が抜けてしまっている。男は「氷結」と唱え、氷の塊を発生させる。それは手のひらのうちで瞬く間につららを形成した。あの氷の刃により、私を突き殺すつもりなのだろう。
つららが振り上げられる。もう、ダメだ。私は目を閉じてうずくまった。
その身に降りかかる、生暖かい液体。これは、血か。私は体を貫かれたのか。それにしては、どこも痛くない。じゃあ、この血は……。
薄目を開けると、信じられないものが飛び込んできた。
「お母さん!!」
透き通った氷に、生々しい紅のペンキが塗りたくられている。それは見事なまでに胸を貫通していた。そう、私を庇うように立ちふさがった母の胸を。
「愚かな」
つららがその体内から抜かれる。支えを失ったその体は地面へと伏すこととなる。
「お母さん!! お母さん!!」
幾度となく呼びかけたが、それに応答することはない。その顔は苦悶で歪んでいた。
ありえない。どうして二人して寝ているの。それも、こんなに苦しそうに。悪い夢でも見ているの。ならば、さっさと起きてよ。だってこれじゃ。
悪い夢を見ているのは私の方じゃない。
力の限り慟哭する。どれだけ体を揺さぶろうが、二人が目を覚ますことはない。けれども、それを無駄なことだとは思いたくなかった。私はただただガムシャラに、二人を揺さぶり続ける。
「残るはそなた。だが、これ以上の長居はできぬか」
男は亡骸には目もくれず、崖の上を見上げている。はるか彼方よりサイレンの音が近づいてくる。あんな騒ぎがあったのだ。誰かが救急車や警察を呼んだのだろう。
「裏切り者ブリザードの娘よ。今日のところは見逃しておいてやろう。だが、一つ警告しておく。そなたのもつその力は、この人間界においては疎まれし力。遅かれ早かれ、我らと志を同じにすることだろう。
だが、我らに刃向おうとするなら、容赦はせぬ」
そう告げると、指を鳴らした。すると、たちまちもやのようなものが男を包んだ。それは数十秒の後に晴れ、先刻までいたはずの男の姿を消し去っていた。
正直、最後に男が言い残した言葉はあまり頭に入ってこなかった。ただ、この時から、ある感情が私を支配するようになった。
あの男は、両親を殺した憎むべき相手。あいつを倒すためなら、異人だろうとなんだろうと、この力で根絶やしにしてやろう。
「その後、駆けつけたレスキュー隊によって私は救助された。両親は殺されたと主張しても、事故のショックで幻覚を見たのだろうと相手にされなかった。挙句の果てには、車から脱出した先で野獣に襲われたなんて結論付けられたわ。無理もないわね。日暮れに谷底をうろつく人間がいるなんて考えにくいもの。
世間的には、交通事故によって両親が死亡し、私はその中で奇跡的に生き残ったと報道された」
「そして、身寄りがないお嬢さんを養子として引き取ったのがこの僕というわけです。それはまた、お嬢さんの両親の遺志でもありました」
所長が机に広げたのは一通の手紙であった。そこには、他言無用との断りがなされたうえで、冬子の母が異人という別世界の人間であることや、彼女が命を狙われていることが記されていた。そして、「もしもの時は冬子を頼む」という一文で締めくくられていた。