第37話 冬子の両親の馴れ初め
全身に毛がない、のっぺらぼうのマネキン人形。一目で人間ではないと分かる者がブリザードと対峙している。彼女が父の叫び声に気を取られた隙に、その化け物は飛びかかってきた。
不意を突かれたか。否、化け物が到達する寸前、手のひらから氷の礫が放たれた。迎撃された化け物はブリザードの足もとに這いつくばる。彼女は無言でそれを蹴り飛ばし、氷の玉で追撃した。二段攻撃を受けた化け物はうめき声を発しながら霧散する。
「どういうことだ。あの化け物は一体」
「ついに、あの存在のことを知ってしまったわね。いい機会だから教えてあげる。やつは異人アブノーマル。この世界への反逆を企む者たちの末端兵士よ」
「この世界への反逆だって。そんな夢物語みたいなことを本気で言っているのか」
「やつらは本気よ。その証拠に見たでしょ、あの化け物を」
現実に出現したアブノーマルの存在を否定しようとする父だったが、あの容姿は脳裏に深くこびりついていた。
「やつらは、人間に知られることなく仲間を増やし、一気にこの世界へ攻め込もうとしている。私もかつては同じようにそうしようと思っていた」
「お前も、あいつと同じってことなのか」
父が身構えるが、ブリザードは「話を最後まで聞いて」と遮る。
「人間は憎むべき存在。私たちの信念は常にそれ一つであった。私はそれを疑いもしなかった。けれども、あなたと初めて会ったあの日から、あなたのことが頭から離れなくなった。この人は本当に倒すべき相手なのか。身を呈して私を守ったこの人が。
それを知るためには、あなたをもっと観察する必要がある。私は、人間世界に仲間を増やすふりをして、幾度とあなたに会いに行ったわ」
「最近、やたらと出会うと思ったら、意図して会いに来ていたのか」
しかも、神出鬼没で人気のない場所を狙って現れるのだ。彼女が異世界からワープしてきたのなら不可能ではない。陰湿なストーカーとも考えたが、探偵である自分が尾行に気が付かないなどプライドが許さなかった。
そして、人気がない場所を選んだのは、「決して人間社会一般に存在を認知されてはいけない」という掟があるからだという。
「けれども、一向に仲間を増やそうとしない私に、仲間は疑念を抱くようになった。当然のことね。
このことが異の主に伝わり、主は私の動向を探るために、密かにスパイを遣わせていた。結果、私があなたと出会っていることが知られてしまい、あなたを介して異人のことを人間に広めようとしているのではないかという結論が下されてしまった。
結果、私は裏切り者だとされ、異の世界を追放されることになった」
「あの化け物は、君を倒しに来た刺客ということか」
現実離れしてはいるが、彼女の話からするとそういうことになる。ブリザードもまた肯定した。
「アブノーマルレベルなら、問題なく退けることができる。けれども、やつらが本気で私を殺しに来た場合、あなたも命の危機にさらされるかもしれない。だから」
彼女が言わんとしていることは察しがついた。おそらく、最期の別れでも告げようとしているのだろう。
ブリザードが口を開きかけるより前に、父はその手を掴んだ。
「異の世界とやらに帰れないのなら、俺たちの世界で逃げ続けることになるのだろう。行くあてはあるのか」
「ないわね。けれども、自分の面倒くらい自分で見るわよ」
「よかったら、俺の家を隠れ蓑にしてもいいんだぞ」
これは予期せぬ言葉だったらしく、ブリザードは肩を引くつかせた。その顔がどことなく赤らんでいる。
「やつらには、人間に存在を知られてはならないという掟があるらしい。ならば、単独で逃げ回るよりも、人間として俺たちの社会で暮らしていた方が見つかる可能性が低い。まさか、あんな化け物を町中に放り込むなんてバカはしないだろうからな」
その推理には説得力があった。異人はその掟ゆえに、人間の生活圏内で大っぴらに捜索活動を行うことができない。最後に逃走を図った場所に留まり続けるリスクはあるが、むしろ、相手の裏をかく結果になるかもしれない。
なにより、ブリザードは心の中で、この男と一緒に居たいという想いを募らせていた。
こうして、異人からの隠れ蓑とするという名目で同居を始めた2人。それにあたり、父は「ブリザードって名前じゃ暮らしにくいだろう」ということで、「怜子」という名で呼ぶことにした。最初は居候だったつもりのブリザードこと怜子も、一緒に暮らしていくうちに、胸中に秘めた想いを強くしていくのだった。
そんな両者が夫婦関係となるのも時間の問題であった。かくして、2人は結ばれることになったのだ。
「それが、お父さんとお母さんの馴れ初めだったわけ」
初めて聞いたのだが、これは人前で明かせるような内容ではなかった。とにかく、私が異人と人間の間に産まれたというのは間違いないようだ。
人間社会に紛れるという父の案は功を奏したようで、一度引っ越したのみにも関わらず、母が異人に襲撃されるということはなかった。たとえ見つかっていたとしても、返り討ちにしていた可能性もある。
だが、私たちの平穏はそんなに長く続くわけがなかった。