第36話 冬子の両親の邂逅
そこから先は、父の体験談へと話が移る。私が生まれる5年前。駆け出しの探偵だった父は、依頼のため、とある工事現場を訪れていた。日が暮れ、夜空には満天の星々が輝いている。人々が夢の中にいるころ、父は一人寒空をさまよっていたのだ。
工事現場から夜な夜な変な声がするので調べてほしいというのが依頼だった。正直、探偵ではなく霊能力者に頼んでほしいと思ったのが本心だったそうだが、せっかくの仕事を無下に断るわけにはいかない。古風な探偵よろしく、ルーペ片手に現場を捜索するのだった。
変な声の原因自体はすぐに分かった。近くにネズミが住みついていて、夜中に運動会を繰り広げているのだ。どうしても気になるならネズミ取りでも設置しておけばいいとアドバイスしようと思い、父はそのまま帰ろうとした。
すると、突然気配を感じた。ネズミにしては大きすぎる。当のネズミたちも突然の来訪者に慌てふためき逃げ惑っている。その時、体を刺すような冷気を感じたそうだ。この悪寒は間違いなく、本物の幽霊。
父は並の男よりも肝が据わっていた。それを示すかのように、臆することなく、その気配の方に近づいたのだ。
「こんな時間に誰かいるのか」
答えはない。たちの悪いいたずらか。首を傾げ、踵を返す。
すると、首筋に得体のしれない冷たいものが密着する。それは氷の塊だった。しかもそれは、人間の手のひらより生じている。
声を上げようとすると、その口を防がれた。
「騒ぐな。大人しくしなさい」
死装束としか思えない服を着た黒髪の女。その目は透き通る蒼の色をしていた。
氷の術を使ったこともあり、父は雪女が迷い込んだのかと思ったそうだ。
「君は何者なんだ。どうして、こんなことをする」
「喚いて逃げ出すかと思ったけど、意外と勇気があるようね。いいわ、教えてあげる。私の名はブリザード。あなたに恨みはないけど、一族の悲願のために協力してもらうわよ」
ブリザードは爪を首筋に押し当てようとする。だが、父はその身を屈めると、すかさずそこから離脱した。ブリザードは手のひらに蓄えていた氷を発射した。父がそれをかわすと、狙いのそれた氷はクレーン車を直撃した。
それにより、クレーン車の支柱が破損し、ワイヤーが落下する。それはまっすぐにブリザードのもとへ吸い寄せられていく。
「危ない」
父はヘッドスライディング気味に、ブリザードの懐に飛び込んだ。彼女は一緒に押し倒される。間一髪のところでワイヤーの直撃は免れた。
「よかった。無事だったか」
「あんた、どうして私を助けたの」
「そう聞かれると困るな。とっさに体が動いたのだから」
スーツについた砂埃を払いながら立ち上がるのにつられ、ブリザードも腰を上げようとする。だが、顔をしかめ、すぐに崩れ落ちてしまう。めくれ上がった裾からのぞく膝は赤く擦りむけていた。先ほど突き飛ばした時に怪我をさせてしまったようだ。
父が手を差し出すと、「余計なことしないで」と弾きかえされる。それでも、苦しげに傷口を押える彼女をそのままにはしておけなかった。
父はブリザードの手をとり立ち上がらせる。
「私をどうする気」
「応急処置ぐらいしかできんが、俺の家で手当てをする。こんな時間じゃ病院も開いてないからな。せめて、それぐらいはさせてくれてもいいだろう」
「あんた、おかしなやつね。私は手から氷を出せるのよ。それを前にしたら、『化け物だ』と逃げ惑うのが普通じゃない」
「確かに、あんなことをしでかすんだ。化け物には違いない。けれども、そうだからって、怪我をしている人を放っておくわけにはいかない」
「私が……人」
「そんなハトが豆鉄砲を食らった顔をすることなかろう。あんたはどう見ても人間じゃないか」
異人の最上位種であった私の母、ブリザードは人間に限りなく近い姿をしていたという。そもそも、異人という存在を知らなかった父は、そんな母を「信じられない技を使う人間」だと認識していたわけだが、それが母にとっては意外だったらしい。
こうして、手を引かれるままに父の家まで赴くことになったその女、ブリザード。彼女は手当てを受けると礼を言うことなく去って行った。
しかし、それからたびたび、父が人気のない場所を通るたびに、ブリザードは姿を現した。「別に、あんたの顔が見たいと思ったからじゃない。たまたま、こっちの世界に接触したらあなたがいただけ」と、毎回ツンデレとしか思えない挨拶を交わされたそうだ。
こうして、幾度と出会いを重ねていった時だった。仕事をこなし、人気の少ない通りを歩いていると、いつものようにブリザードを発見した。まったく、よく会うなと思いつつも、父は声をかけようとする。
だが、その様子がどうにもおかしい。真剣な顔で何かと向かい合っている。喧嘩でも仕掛けられたか。
彼女がいる空地へと足を踏み入れると、父は驚愕の声をあげた。
そこには、明らかに人間社会には存在しえない者がいたのだ。