第35話 冬子の母の正体
冬子のぐるぐる眼鏡に隠された真実を前に、俺はあの眼鏡のことを揶揄したことを恥じた。まさか、彼女があの眼鏡に拘泥するのに、こんな理由があったなんて。
「お嬢さんたちがこの街に引っ越してきて開業したのが、この探偵事務所というわけです。お嬢さんのお父上と久しぶりに再会したのもちょうどこの時期でした」
「小学校に通う間は、特にこれといった事件はなかったわ。相変わらず、私の眼鏡をからかうやつがいたけど、そんなのは大した問題じゃない。
私にとって大きな出来事は、中学に入学してしばらくしてから起こったの」
幼稚園の時の話でもお腹いっぱいなのに、更に同じようなことがその身に降りかかっているのか。聞いているだけでも胸が苦しいのに、実体験しているとなると、その胸中は計り知れない。
そして、冬子に降りかかった二度目の大きな出来事。これこそが、異人について知る重要な手掛かりとなるのであった。
あの出来事が起きる少し前。私はかねてより気になっていたことを母に尋ねた。無論、それはあの炎のことだ。
私の目が左右で違う色をしている理由。そして、手から炎を出した理由。それを訊いても「冬子がもっと大きくなったら教えてあげる」と諭されるだけだ。あの事件から炎を出したことはないが、私がそんな力を持っているという事実は消すことができない。どうしても納得いく説明がほしかった。だから、ことあるたびに質問してきたのだ。
そして、ついにその時が訪れた。
「怜子。冬子も中学生になったんだ。そろそろ、あのことを教えてやってもいいだろう」
中学に入学して1週間ぐらい経った後だった。中学での様子を尋ねられ、相変わらずこの眼鏡を話題にされるという話になり、そこからふと「なんでこの眼鏡をつけなくちゃならないのかしら」とぼやいた。それに対し、父が話を促したのであった。
「そうね。いつまでも、あのことを隠しておくわけにはいかない。そろそろあなたの秘密を教えておくべきね」
ついに、待ちに待った瞬間が訪れる。私は期待に胸をふくらませた。
「けれども約束して。これから話すことは絶対に誰にも話さないで」
そう釘を刺し、母は語り出した。
「単刀直入にあなたが炎を出せた理由を教えるわ。それは、あなたが完全には人間でないからよ」
そう告げられ、私は凍りついた。無理もないだろう。実の育て親から、いきなり「人間でない」なんて言われたのだ。
「私自身もそんな偉そうなこと言える立場じゃないけどね。なにせ、私は人間ではない。異の世界という平行世界より訪れた異人なのだから」
「こととびと? お母さん、そんなおとぎ話でごまかさないでよ。それに、こととのせかいってどういうこと」
「夢物語と思うのも仕方ない。父さんが怜子と初めて出会った時もそう思ったのだから。でも、これは紛れもない事実なんだ」
母は麦茶が注いであったコップを握った。すると、私は思わず身震いした。冬を過ぎ、春が訪れたはずなのに、季節が逆行したかのようだった。そして、コップにはありえない変化が起こっていた。
麦茶が凍っていたのだ。
手品にしては手が込みすぎている。なにせ、冷気の余波を受けて、サラダのレタスまで凍ったのである。
「私もあなたと同じく、人間世界においてはありえない力を持っている。こちらの世界に来てから今まで使う機会はなかったけれどもね」
「それじゃ、お母さんがそんな力を持っているから、私も炎を出せるようになったの。もしかして、お父さんも同じってわけ」
「いや、俺はそんな力は持っていない。こんな時に主張するのも野暮だが、俺はれっきとした人間だ」
「それは私も保証するわ。彼、敦は私が人間の世界にやってきて初めて出会った人間ですもの」
「それじゃあ、私はその異人っていうのと人間の間に産まれたの!?」
とんだおとぎ話だ。これを素直に信じろなんて、土台無理な相談だ。でも、逆に、そうでなければ人間が炎を出せるなんて現象を説明できないというのもまた事実なのである。
「そもそも、その異人っていうのはどんな存在なわけ」
「異人は、人間よりもはるかに優れた力を持つ者たちよ。ある者は身体能力に秀で、ある者は私と同じように超常的な力を扱える。この世の中にいる普通の人間たち相手だったら、まず太刀打ちできないわね」
母は先ほど凍らせたコップを軽く握る。すると、音を立ててそれは崩れ去った。握力だけであんな氷の塊を砕くなんて。まともに刃向って勝てないのは明白だった。
「私たちは強すぎる能力ゆえに、この世界から排斥されていた。私の仲間は、もちろんそれを善しとはしなかった。やがて、人間たちの住む世界への反逆を企むようになったの」
異世界からの侵略なんて、それこそ漫画の世界の話だ。それが現実にも起こっていたとでもいうのか。
「異人たちの王である異の主は、人間世界への復讐を強く願った。その結果、人間世界へと接触できる空間移動の術を手に入れたの。けれども、この術にはある制限があった。それは、人間たちに存在を知られてはいけないこと。これを破った場合、私たちが住んでいた異の世界そのものが消去されてしまう。
そこで、人間たちに存在を知られることなく復讐を遂げなくてはならない。私たちの仲間はざっと数百人。それで地球上に存在する70億人以上の人間に戦いを挑んだとしても勝てる見込みは薄い。時間をかければ人間を根絶やしにできるでしょうが、それより前に定められたペナルティにより、元の世界ごと消滅させられてしまう。
ならばと考え出されたのが、秘密裏に人間たちを連れ去り、無理やり仲間を増やすこと。そのために編み出されたのが細胞注射という能力よ。人間に能力を移しこむことで、異人にさせようとしているの。それを繰り返して、十分な戦力を蓄えたところで、一気に人間界に攻め込むつもりらしいわ」
母の話が本当なら、今も与り知らぬところで異人が侵略行為を進めているということになる。ふと、前に読んだ伝承に「神隠し」という話があったことを思い出した。人間がある日、忽然と消え失せる現象。一般的には神や妖怪が連れ去ったという説が流布している。しかし、もしかするとその一部は異人の仕業だったのかもしれないのだ。
「私もその一員、異人『氷結~ブリザード~』として侵略行為に及ぼうとした」
「その時に出会ったのがこの俺だったというわけだ」