第34話 能力の発現
両親に怒られる。それはもちろんある。それに加えて、優香という親友の存在も大きかった。大多数の級友がこの眼鏡を嘲笑する中、彼女だけは「似合ってるよ」と褒めてくれたのだ。
もしかしたら、お世辞だったのかもしれない。優香は、私が幼稚園に入ってからずっと親友だった。私がこの眼鏡でからかわれている時も、彼女だけは庇ってくれた。
「その眼鏡は、お母さんとお父さんがくれたものでしょ。だったら、大切にしなくちゃ」
そう言って、いつも慰めてくれたのだ。
当然、先生たちも「変な眼鏡しているっていじめちゃダメでしょ」と私たちの味方をしてくれた。ところが、それが、男子たちの気に食わなかったらしい。日増しに彼らの不満は溜まっていったのか、ついに決定的な出来事を発生させるまでになってしまう。
お弁当の後の昼休みの時間。私は優香と遊ぼうとグラウンドに出かけて行った。すぐに彼女の姿を発見する。声をかけようとするが、どうにも様子がおかしかった。
その日、彼女は真っ赤なリボンをしていた。「昨日、お母さんに買ってもらったの」と得意げに私に自慢してきた。私は、日ごろの感謝を込めて「すごい、似合ってる」と精いっぱい褒めた。その時の彼女の笑顔は今でも印象に残っている。
それが、最後の彼女の笑顔だったからだ。
あれほど自慢していたリボンを今はしていない。彼女が自ら外すはずがない。どうしてほどいているか。理由は明らかだった。
私の眼鏡をからかっている男子の連中が、無理やりリボンを外して取り上げたのだ。優香は目に涙を浮かべながら、取り返そうと必死になっている。だが、男子連中はキャッチボールをするかのように、リボンを投げあっている。
「ちょっと、やめなさいよ」
私はすぐさま止めに入った。男子連中はすかさず睨み返してくる。
「あんたたち、なんでこんなことするのよ」
「うるさい。こいつ、いい子ぶってお前の味方するんだ。そのせいで俺たちが怒られるのがむかつくんだよ」
「冬子のマネして、変なリボンしちゃってさ」
「変なリボンじゃないもん。ママからもらったリボンだもん」
ついに優香は声を上げて泣き出した。
「あー、泣かせた」
「冬子、お前が来たからだぞ」
「私は関係ないでしょ」
優香を慰めるため、私は前かがみになる。しかし、その隙に横から手が伸ばされた。
それにより、私の眼鏡は取り払われた。
「そうだった。冬子は変な目してるんだった」
「眼鏡のせいで忘れてたぜ」
私の友達が少なかったのは、左右で違う目の色も起因していた。生まれついた時からのオッドアイ。右が赤で左が青。日本人、いや、人類全体として珍しいその瞳を、私は公にしていた。
「ヘンテコおめめの冬子ちゃん。悔しかったら、リボンと眼鏡を取り返してごらんなさい」
男子の一人がお尻ぺんぺんしながら挑発する。それに同調して、周りの男子はゲラゲラと嘲り笑う。優香はただただ泣くばかりだ。
この時、私の胸の奥から、ふつふつと沸きあがる何かがあった。その身が焦げるような、熱い何かが。それは怒りか。それにしては熱すぎる。体中から汗が噴き出す。熱い。苦しい。
ちょうど少し前に、高熱を出して寝込んだことがあった。その時も苦しかったけど、これはその比じゃない。骨の髄までオーブンで焼かれている気分だ。
「おい、暑くないか」
「暑い、暑い」
その異変は男子たちにも伝わっているようだ。彼らの方は、上着を煽っているだけ。汗ばむ陽気によくやる行為だ。私のそれはそんなレベルじゃない。
段々と気分も悪くなってくる。そんな中でも、私の意思ははっきりとしていた。
「それを」
私は手のひらを広げた。
「返しなさい」
気合と共に、私の手のひらから、この世ならざるものが放たれた。
それは、火の玉だった。
驚いた男子は、反動でリボンを手放してしまった。火の玉はそのリボンに命中し、一瞬で燃やし尽くす。
「冬子ちゃん、これはどういうこと」
騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた先生も唖然とするばかりだった。彼女もまた、私が火の玉を発射した場面を目撃したのだろう。
私も信じられなかった。幼稚園児でも、人間が火の玉なんか出せないというのは分かる。そんなのはテレビの中だけの話だ。でも、私が撃ちだしたのは紛れもなく火の玉だったのだ。
「ば……」
しばらく言葉も発することができなかった男子の一人が、ようやく口を開いた。
「化け物だぁぁぁぁぁぁ!!!!」
それをきっかけに、皆号泣する。園の中から、続々と園児が群がって出てくる。「危ないから近寄っちゃいけません」と先生が制止する。
すぐさま消火器により、リボンの炎は消し止められた。そこには赤いリボンの面影はどこにもなかった。ただの黒い燃えカスが転がっているだけだ。
炎は鎮火したが、騒動は鎮静する見込みはなかった。私が炎を出したというのは、すぐさま園全体に伝わってしまったのだ。
混乱しつつも、とにかく、優香は無事か声をかけようとする。
「優香、ちゃん」
「来ないで」
はっきりとした拒絶だった。その目は私の心の中に深く刻みこまれている。この世ならざる者を見る目。
彼女が私を拒むのは尤もである。不慮の事故で片づけられるかは不明だが、彼女のリボンを燃やしてしまったことは事実なのだから。けれども、彼女がそれで私を拒んでいるのではないことは明らかだった。
彼女に触れようと手を伸ばす。しかし、彼女は嫌がり、先生の足にしがみつく。それでも追いすがろうとする私に、彼女は大声で言い放った。
「化け物」
化け物。そう、私は化け物だったのだ。自然と涙が流れてくる。男子たちと同じく慟哭する。
けれども、私を慰めてくれる人はいなかった。
小さな町というのが私に追い打ちをかけた。
「夏木さんの家の娘が火の玉でリボンを燃やした」「あの娘は人外の力を使う魔女だ」「人に危害を加える化け物だ」「関わると呪い殺される」「悪魔の生まれ変わり」「けだもの」
私のみならず、一家そろってあらぬ罵詈雑言を浴びせられた。
あの事件の日、私は家に帰るとひたすら泣いていた。約束を破ったうえ、あんな騒ぎを起こしてしまったのだ。ものすごく怒られるに決まっている。
けれども、なぜか両親は私を叱責することがなかった。それどころか、母もまた涙を流し私を抱きしめた。
「お母……さん」
「冬子は悪くないのよ。偉かったね。友達を助けようとしたんだね」
事の顛末は耳に入っていたようで、母は「偉かったね」と繰り返しながら、私を抱き寄せた。私はひたすら泣き喚いた。ぽっかり空いた心の間隙に、そのぬくもりは隅々まで染みわたっていった。
その後、私たち一家は住み慣れたこの町を後にすることになった。人間はコミュニティから疎外されては生きていけないか弱い存在だ。それは私たちにとっても例外ではなかった。
新しい街。今住んでいるこの牧野台に越してきてからは、私はいかなることがあろうと、この眼鏡をとることはなかった。まして、この瞳を晒すなど論外だ。
そして、極力友人を作らないように努力した。つっけんどんな態度を揶揄されることなんて、日常茶飯事だった。けれども、それをつらいなんて思うことはなかった。
あの日、優香から突きつけられた「化け物」という言葉。それに比べれば、こんな孤独くらいどうということもないのだから。