第29話 異人への勧誘
暑苦しそうに何度も汗を拭うその男に連れられ、どことなく見覚えがある道を進む。この道はもしや。
俺の予感は的中した。連れてこられた先はあの廃ビルだったのだ。これはなんという因縁か。俺が異人と化したあの現場に、再び赴くことになろうとは。
驚愕の表情を浮かべる俺に、男は感心したように言う。
「ほぉ、この場所が気にかかるのか。前に、ここで異人になったやつがいるって噂を聞いたが、もしやおめぇじゃねぇだろうな」
完全に図星である。俺たちが騒ぎを起こしたせいか、あの後しばらく警察とかがこの周辺を見回りに来ていたらしい。けれども、最近はこれといった騒ぎがないためか、以前のように人気のないただの廃ビルと化している。
むき出しにされた入口には厳重にキープアウトの規制線が貼られていたが、男は手刀で難なくそれを切断する。そして、「入れや」とあたかも自分の家に招待するかのように俺を促す。今更ながら足がすくんできた。ここであえて逃げ出すのも手であった。けれども、正体がつかめないとはいえ、異人の仲間で、人間に対し謀反を考えているのなら、敵前逃亡するわけにはいかない。覚悟を決め、俺はその男に続き、ビルの中へと足を踏み入れた。
ビルの内部は前にもまして悲惨だった。主に、あの階段のせいだろう。踊場まで崩落したらしく、完全に使い物にならなくなっている。聖奈ぐらいの跳躍力がないと、二階まで移動するのは無理だろう。
「やはり、ここは落ち着くなぁ。干渉されるこたぁねぇ。すがすがしいよなぁ」
俺の警戒心をよそに、男は完全に羽を伸ばしているようだ。
「さてと。オレの仲間が増えるかもしんねぇんだ。名前が分からねぇんじゃ不便だろ。オレはブラッドって言うんだ。てめぇは」
「東雲翼」
「ツバサァ? 変わった名前だなぁ」
変わっているのはお前のしゃべり方だと思うが。語尾にいちいち独特のアクセントが入っている。
ブラッドということは、外国人であることは間違いない。ドラキュラの恰好をしているからヨーロッパ、それもイギリスの出身だろうか。ただ、変な訛りがあるとはいえ、外国人がしゃべっているような片言の日本語という印象を受けない。年少の時から在日していたという可能性もあるし。
「確認するまでもなく、おめぇは異人で間違いねぇ。あん時、オレはおめぇの肩に力を入れていた。貧弱な人間だったら脱臼するぐらいのなぁ。おめぇ、なんともねぇだろ」
ちょっと痛いが、脱臼するほどじゃない。それでも疑念の目を向ける俺に、ブラッドは木くずを拾い上げた。そして、それを一瞬の後に握りつぶしたのだ。
「本気を出せば、肩の関節ぐらい、外せたかもなぁ」
そういって、牙をのぞかせる。あの握力を前にして、こいつがただの人間と思うのはよほどの阿呆だ。
「俺をこんなところまで連れてきて、一体どうするつもりだ」
「おめぇが異人ってのを見込んで、いい話があるんだ」
ブラッドはコートをはねのけるようにして両手を広げた。その勢いでコートが宙を舞う。
「オレたちの仲間にならねぇか」
コートが地面に落ちる音だけが響いた。
仲間になれ、だと。あまりに予想外の言葉に面喰った。全く持って意図がつかめない。そもそも、あいつの正体がよく分からないだけに、幾通りかの解釈ができるのだ。
とりあえず、俺はもっともリスクが少ない解釈をして訊きかえした。
「仲間ってことは、俺たちと同じく異人を倒す手助けをしろということか」
あいつが、俺と同じように異人によって能力を得ていると仮定しての質問だ。異人が化けの皮を被っている可能性も捨てきれないが、これが最も現実的な想定のはずであった。
だが、あいつはいきなり口を押えて噴き出した。必死に笑いをこらえているようだったが、しまいには豪快に笑いだした。
「な、なにがおかしい」
頭にきて声を上げる。
「おめぇ、すげぇ勘違いしてるな。オレが異人を倒すだと。使えねぇゴミくずは排除したことあるけどよぉ、能動的にぶっ倒そうなんざ考えてねぇぜ。むしろ、オレの目的はその反対だ」
「異人を倒す反対」
思わず奴の言葉を反芻する。倒す、消し去る。それの反対と言われたら、小学生でも想像がつく。
「異人を増やそうというのか」
「ピンポーン。正解でぇす」
クイズ番組の司会者よろしく、俺を指差す。それが目的ならば、最も安易な想定は消え去ることになる。もはや、こいつが人間であるという望みは薄い。
こいつは、人間の化けの皮を被った異人だ。
異人には未知の部分がある以上、変身能力を有していてもおかしくはない。それに、異人であることが確定的ならば、衝撃的な発見がある。やつらは、俺たちと同じく、言語によるコミュニケーションが可能だったのか。今まで出会ったやつらが、まともに言語を発していないので、不可能とばかり思い込んでいた。
こいつらの仲間になるのは御免だが、せっかく言葉が分かると判明したのだ。うまくいくかどうかは博打だが、異人について情報を引き出しておくのも一手だ。
「どうして異人を増やそうとしてるんだ」
「仲間になるかどうか分からないやつに、みすみす教えるかよ、バーカ」
思い切りコケにされた。眉をひそめるが、ブラッドは構わず続ける。
「だが、それで判断したいってんなら、簡単に教えてやろう。オレたちはなぁ、おめぇらの世界、そして神への反逆を企んでんだ」
「反逆だって」
「そう。おめぇらの世界から疎外された恨み。それは、幾年のうちに溜まりに溜まってんだ。それを晴らさせてもらう。そのためには、異人の仲間が必要なんだよぉ」
正直、訳が分からないが、俺たちの世界への謀反を計画しているということは確かのようだ。過去に異人に何があったかは知らないが、俺たちの世界を蝕もうとしているのなら、それに協力する義理はない。
「さぁ、どうだ。仲間になるか」
「お断りだな。要するに、俺たちが住んでいる世界を破壊する手助けをしろってことだろ。自ら進んで、住んでいる世界を壊そうだなんて、とんだ酔狂者ぐらいしか考えそうにないぜ。答えはもちろん、ノーだ」
「……そうか」
お調子者っぽい口調から一転して、身の毛もよだつような低音を発した。うつむいて、細目をこちらに向けている。俺の生物としての勘が、命の危険すら察知している。
「ならば、口封じで死んでもらうしかねぇみたいだな」