第21話 翼と冬子の痴話喧嘩
勉強会と銘打ってあるとはいえ、あまりにも遅くなりすぎると両親に心配をかけるだろうということで、今日のところはこれでお開きとすることにした。半日ちょいの間にいろいろありすぎたので、俺も早く休みたい。駅まで送るという所長の好意に甘え、車に乗り込もうとした時だった。
「ちょっと待って。所長さん、牧野台の商店街の方に向かってくれない」
「商店街ですか。まだお店は開いてませんよ」
「買い物なわけないじゃない。かすかだけど、やつの気配がするの」
「そういうことですか。東雲君、悪いけれども、少し事務所で待っていてくれませんか」
「トラブルですか」
「トラブルというか、お嬢様が異人の気配を感じ取ったみたいです」
気配を感じ取るって、そんなことできるのか。
「私は感じないけどな。でも、すぐ近くに異人が出現した場合、なんとなくその存在は感じ取れる。距離が離れていても感知できるのは冬子ぐらいじゃないかな」
冬子のやつ、異人センサーでも隠し持っているのか。アホ毛でも立っていたらそこがくるくる回るだろうなと想像がつくが、あいにく彼女の髪にそんな部位は存在しない。体内にそういう器官でもあるのだろうか。
大人しく待っていようとも思ったが、これはいい機会じゃないのか。
「あの、俺もその現場に同行していいですか」
「却下」
一瞬で断られた。まずは、「どうして」とか理由を聞くべきだろう。
「えっと、どうしてですか」
申し訳程度に所長がフォローしてくれたので、俺は返答した。
「せっかく異人の能力を手に入れたんだ。あの化け物相手にどれくらい通用するのか試してみたくて」
「やめときなさい。さっきの試合を見たけど、あんたの実力じゃ護身するのが精いっぱい。上位種が相手なら間違いなく死ぬわよ」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃないか。それに、さっきのは能力に慣れていなかっただけだ。今度はうまくやれる」
「根拠もなしに生意気な」
「まあまあ、こんなところで不毛な争いをしていても仕方ないじゃないですか」
所長がなだめるが、俺と冬子はにらみ合ったままだ。こうなったら、テコでもここを動かないぞ。
「別に同行してもいいんじゃないか。習うより慣れろというし。アブノーマル相手なら翼に任せて、やばくなったら、冬子が葬り去ればいいと思うわ」
意外にも聖奈が助け船を出してくれた。冬子は不満げに頬を膨らませたが、そのままため息をついた。
「聖奈が言うなら仕方ないわね。行ってもいいけど、私の足を引っ張らないでよ」
同行の許可が下り、俺はガッツポーズをする。初めて会った時は一方的に締め付けられたが、今度はそうはいかない。あの時の屈辱を晴らしてやるぜ。
ボロボロの制服で町を出歩くわけにはいかないということで、所長のスーツのお下がりを借りることにした。自宅まで直帰する場合でも借りようと思ったものだ。なぜスーツかというと、「制服で泊まりに行ったのに私服で帰ったらおかしいでしょ」という理由だ。さすが探偵、抜かりはない。ただ、今から戦闘しに行くのにこの恰好というのは申し訳ない気もする。
着替え終わった俺は、所長が運転する車の後部席に乗り込み、商店街へと繰り出した。冬子は助手席に陣取っている。ちなみに、「どうせ暇だろうけど、居留守にするのはまずいでしょ」ということで、聖奈は事務所で留守番することになった。
国道沿いに車を走らせ十分ほどだろうか。牧野台駅に隣接する商店街に到着した。世間的にはまだ朝食を終えたぐらいの時間ともあり、まだシャッターを閉じたままの店が多い。ただ、駅を利用するためか、それなりに人通りはある。休日だから、どこかに遠出するのだろう。
異人を探すにあたり、徒歩で慎重に気配を探りたいという冬子の意向で、所長とは一旦別れることにした。異人退治が終わるまで、喫茶店でお茶でもして待っているそうだ。そこは、モーニングセットを販売しているため、早朝から開店していた。司令官みたいな位置にいるのに呑気なものであるが、異人と戦う力がない所長が同行しても仕方ないというのが冬子の論だ。こればかりは俺も同意するしかない。
駅に向かう人の群れとは逆方向に商店街を歩んでいく。冬子はたびたび立ち止まりながら、あたりを伺っている。異人の気配を探っているみたいだが、俺には特に感じるものはない。それでも冬子は、あちこち寄り道しながらも、黙々と進んでいく。
それにしても、妙に人々の視線が集まっている気がする。そんなに挙動不審な素振りはしているつもりはないのだが。逡巡した後、その原因は冬子の容姿にあると分かった。いつの間にか例のぐるぐる眼鏡を着用していたのだ。まったく、抜かりがない。あれで街中を歩いていれば注目されても仕方ない。
すると、ふとその足が止まった。早くも異人を見つけたか。ただ、そこは交差点の手前だった。そんなに車が通らないのか、信号機は設置されていない。現に、店舗を運営しているであろうおばちゃんが車道を掃き掃除しているくらいだ。
「もしや、異人を発見したのか」
声をかけると、露骨に嫌そうな顔をされた。
「気が散るから、話しかけないで」
「そんなつっけんどんにしなくてもいいだろ。っていうか、お前朝から機嫌悪いぞ」
「朝から下着見られて機嫌がいいわけないでしょ」
まだあのことを根に持っていたのか。完全に事故なのに。けっこうしつこい性格をしている。
「それよりも、おまえのその眼鏡はどうにかできないのか。それのせいで、注目されまくって困るのだが」
言われっぱなしじゃ悔しいので、反撃してやった。オッドアイもぐるぐる眼鏡も晒すとしたら、羞恥具合は変わらないと思う。
「この眼を隠すために、昔から愛用してるの。あんたに指摘されたぐらいで取る気はさらさらない」
「そうだとしても、目立ちすぎだろ。俺まで変な目で見られるじゃないか」
「あんたは変態だから、そういう目で見られても仕方ないんじゃない」
これには堪忍袋の緒が切れた。こうもはっきり「変態」と断言するか、この女は。
「俺からすれば、常時その変な眼鏡をかけてるお前の方がよほどの変態だぞ」
「変態に変態と言われたくない、変態」
「変態と言った方が変態なんだぞ、変態」
「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」「変態」
「バカと言った方がバカ」みたいなノリで「変態」を連呼しあう男女。遠巻きだと二人とも変態に違いないということに、この時の俺は気が付いていなかった。
「大体、変態じゃないって証明したいなら、その眼鏡を取って見せろよ」
「嫌よ」
「やけにはっきり断言しやがるな」
憤慨してみせると、冬子は肩を落としたのち、こちらを睨みつけてきた。そして、あらんかぎりの大声でとんでもないことを口にしたのである。
「私にとっては、この眼を見られることは、パンツを見られるより恥ずかしいことなのよ!」
間違いなく、この交差点一角が凍り付いた。えっと、冬子さん、氷の技は使ってないですよね。けれども、通行人が軒並み立ち止まり、冷たい視線を送っているのはなぜでしょう。
さすがに冬子も失言に気が付いたようだ。挙動不審に、その場をうろちょろしている。俺は頬をひくつかせるしかなかった。いや、こんなのどうやってフォローすればいいんだ。
「そ、そうなのか、悪かったな」
訳も分からず謝っておくことにした。「朝から痴話喧嘩なんて嫌ねぇ」と奥様方が内緒話している。とんだ公開処刑だが、一番ダメージが大きいのは間違いなく冬子だろう。
慰めてやろうかと手を伸ばすと、さっと、払いのけられた。
「ど、同情なんかしなくていいわよ、バカぁ」
つっけんどんにしているつもりだろうが、いつもの覇気がない。そして、それっきりスタスタと歩いて行ってしまう。一応なじられたのか。そんな気がしないのだが。