第18話 地下のプロレスリング
「異人の能力に慣れるまでしばらくそうした方がいい」という聖奈のアドバイスのもと、俺は背中に冷却シートを貼り続けるという爺臭い生活を送ることになった。体育の時にネタにされそうだが、羽を生やしているとばらされるよりは数倍マシだ。
「異人ってのは、こういうはた迷惑な能力を人々に植え付ける侵略者ってわけだろ。なら、なおさら野放しにできないじゃないか。それこそ、警察とかに協力を求めた方がいいと思うぞ」
「だから、それが一番困るの。何度も言わせないで」
「それはこっちのセリフだよ。警察とかに話して不都合があるのか」
「あの、お嬢さん。もしかして、彼にちゃんと説明してないのではないですか。一般に異人の存在が知れ渡ってしまったらいかなる不都合が生じるかということを」
冬子が気づかされたように半分口を開ける。そうだ、そもそも、ちゃんと警察に話してはいけないという説明を受けていない。それなのに、一方的に殺されかけたのだ。
「異人の能力を有していない状態のあんたには話しにくいってのもあったかもしれないな。けれども、あんたも私たちと同じく、異人と関わってしまった以上、これから話すことは肝に銘じておくべきね」
聖奈からも釘を刺される。冬子は嘆息すると説明を始めた。
「警察なり自衛隊なりが異人の存在を把握した場合、国家規模で駆除に乗り出すのは間違いないわ」
「それでいいんじゃないか。あんな化け物は一気に排除するべきだろうし」
「対象があの化け物だけなら、問題はないわ。問題は、私たちもまた、異人と同じような能力を持っているってことよ。別に、この力を使ってテロを起こそうなんて思ってないけど、その気になれば国家組織を脅かすぐらいの力は発揮できるわ。そんな存在を国が放っておくと思う」
段々と、冬子が危惧していることが読めた。人外の力を手に入れてしまった俺たちは、そうでない人間にとっては異人と同じくらいの脅威というわけだ。
「最悪の場合、即刻殺害。そうでなくとも、一生研究所でモルモット生活ね。そうなりたければ、さっさと警察に自首しなさい。もちろん、私たちを巻き込まないでね」
冗談ではない、誰が話すか。これでようやく、冬子が俺を抹殺しようとしてまで口封じを謀ったのかが解決できた。それにしても、かなり難儀な仕事をしていることになる。一般人に知られることなく秘密裏に異人という化け物を退治し続ければならないなんて。
「いつまでも悩んでいても詮無きことだ。現時点で化け物が人間を侵略しようとしているなんて報告しても、夢物語で終わらせられるのがオチ。正直に警察に話して、取り合ってもらえると思う」
聖奈の指摘も最もだった。能動的に話そうとは思わないが、異人の存在が知れ渡っていない現時点で通報したところで、虚言癖と始末されるに違いない。ただ、異人が本格的に人間を制圧しようとでもしたら話は別だ。その時は、冬子が危惧しているモルモット生活が現実味を帯びてくるかもしれない。
「現状は、異人のことを知られるかどうかで悩むよりも、どう異人と戦うかで悩んだ方が現実的よ。あなた、羽を生やしたはいいけど、自分がどんな能力を持っているか分かっていないでしょ」
それは図星であった。ついさっき能力に目覚めたばかりなのに、その力を把握しろというのも土台無理ではあるが。
「それなら、ちょうどいい場所がありますよ。久しぶりに、あそこを借りるとしますか。僕は先に行ってボブに話をしてきますから、みなさんは後で来てください」
所長はそう言い残し事務所から出ていった。
「いい場所って、一体どこなんですか」
「行ってみれば分かるさ」
釈然としないが、俺は冬子と聖奈の後に続いて事務所から出てエレベーターへと向かった。もちろん、上半身裸で出歩くわけにはいかないので、気休め程度にしかならないが、ボロボロになったシャツを羽織る。冬子たち以外に目撃されないように祈るしかない。
探偵事務所以外は普通の居住区となっているらしく、渡り廊下に面している扉には表札がずらりと立てかけられていた。その渡り廊下の突き当りにエレベーターがある。
それに乗り込むと、聖奈は迷うことなく地下1階を押した。このマンションは5階建てで、事務所は3階にあるようだ。ご丁寧に「夏木探偵事務所当マンション3階」という張り紙がしてある。
「このマンションは商用利用可能だから、漫画家の職場になっていると噂もあるわ」
張り紙を眺めていると、冬子からそう教えられた。ひょっとしてジ○ンプとかの作家かと胸を躍らせたが、「そんな大物がこんなところに住んでいるわけないでしょ」と一蹴された。
地下1階まで下りると、またもや渡り廊下がお出迎えした。ただし、今度は壁一面にドアではなく、ガラス窓が並んでいる。その向こうは薄暗いが、リングらしきものが見える。まさか、マフィアの地下ファイト場。金持ちの道楽で超人たちが戦闘を繰り広げるという漫画を読んだことがあるが、それをやらされるんじゃないよな。
入り口には「牧野台プロレスジム」との看板が立てかけられていた。早朝ということもあってか、俺たち以外には来客はいないようだ。中に入ると、所長と並んで、やたらと肉付きのいいスキンヘッドの男が白い歯をのぞかせていた。上半身裸で黒のパンツ一丁。プロレスラーでなければ、男の貞操を奪いそうないい男であった。
「ヘイ、ユーが新しく仲間になたヒトね」
「オ、オー、イエス」
「日本語は理解できるから、普通に話せばいいわよ」
冬子に横やりを入れられた。日本語が片言なのは、来日して間もない外国人だからということか。
「紹介するよ。こちらがこの牧野台プロレスジムのオーナーであるボブさん。彼はもともとアメリカでプロレスラーとして活躍していたんだが、わけあって来日して、このジムを経営しているんだ」
「ミスター青山とはフレンドね」
ボブは所長の肩を抱くが、傍目からすると首を絞めているようにしか見えない。所長さん、窒息しないかな。
ようやく解放された所長はせき込みつつも説明を続ける。
「普段はレスラーたちの練習所となっているんだけど、そうでないときは、君たち異人の能力の持ち主たちのトレーニング場として解放しているんだ」
トレーニング場まであるなんて、ずいぶん本格的だ。部屋の半分をプロレスのリングが占領していて、残り半分のスペースにサンドバッグやらダンベルやらのトレーニング器具が設置されている。
「さて、翼君のトレーニング相手だが。お嬢さんと聖奈さんのどちらがいいかな」
「私はパスよ。昨日の異人との戦いで、まだまだ本調子じゃないから」
どうやら、ウィングを葬り去った際、持てる大部分のエネルギーを消耗してしまったらしい。とはいえ、一般人なら焼き殺せるぐらいの威力は出せると物騒な自慢をされた。焼き殺さなくていいから、素直に休んでなさい。
そうなると、相手は自動的に聖奈に決まる。
「私か。別にいいわよ」
二つ返事で聖奈はあっさり承諾した。