第170話 最後の切り札
「それにしても誤算であった。唯一無二にして絶対たる力を持つはずの我が敗れるとは」
「おそらくだが、そのうぬぼれがお前の敗因だと思うぜ」
瞠目する異の主に、俺は語り掛ける。
「もし、俺一人でお前に挑んでいたら絶対に勝てなかっただろう。あの竜巻を押し返すことは無理だったし、万一相討ちになったとしても、爆風でお陀仏だった。冬子と百合がいてくれたからこそ、あれを打ち破ることができたんだ」
「それを言うなら、私も翼に同意するしかないわね。あのエネルギーの波動を過去に何度も使ってきたけれど、腕を吹き飛ばすなんて威力を出せたのは初めてだった。これは、翼から能力をもらったおかげだし、それ以前に彼がいなければとっくの昔に倒されていたってのは分かっている。ようやく両親の仇が討てるのも、彼の協力あってこそよ」
面と向かってそんなことを言われると気恥ずかしいが、顔をひきつらせている異の主に、俺はとどめとなる言葉を浴びせた。
「異の主。お前のやり方は間違っていたんだ。力を追い求めたがゆえに、力を絶対としたという理論は分からないでもない。でも、だからって自分の思い通りにならないやつを力でねじ伏せ、挙句切り捨てるなんて絶対におかしい。そんな力だけの支配では、誰もお前の事なんか信用するわけないんだよ」
これまで戦ってきた異人は異の主に忠誠を誓っていた。でも、その忠誠心は本物だったのか。どちらかというと、洗脳され、盲目的に従っているように思えたのだ。その様はまるでカルト宗教のようであった。
うなだれていた異の主であったが、ふと息を吐き捨てた。
「なるほど。力だけでは民を統括することはできぬか。なかなか面白い教示であった。ならば、力より尊いものがあるということを我に証明して見せよ」
そう言って発動したのは「牙」だった。まだ反撃する意思が潰えていないのか。顔を見合わせ、エネルギーの放出に入ろうとする。
しかし、その直後異の主はあまりに意外な行動に出た。俺たちに対して長い舌を突き出したのだ。気色悪く蠢くそれを前に、俺たちは挙動を躊躇する。やがて、舌と牙を引っこめた異の主は宣言した。
「我はこの後、牙によりこの舌を噛み切る。それがどういう意味か分かるな」
「そんなことしたら、噛み切った舌がのどに詰まって窒息する。まさか、あんた」
冬子が声を荒げたのも無理はない。俺だって信じられないのだ。この場で唐突な自殺宣言。全く持って意図がつかめなかった。
「翼よ。ブラッドから能力を受け継いだ時、やつは命を犠牲にしていなかったか」
図星だったため、俺はゆっくりと首肯する。それを確認すると、異の主はほくそ笑んだ。
「ならば、やつは我が配下の中でも特に忠誠心に厚かったというわけだ。普通の人間では身に余る力を一気に与え、暴走させることを狙ったのだろう」
そんな理屈であれば、あの局面でブラッドが俺に能力を託したことに辻褄があう。仮にあの場面で俺が暴走してしまっていたら、渡と共に冬子を倒していた可能性がある。その逆だとしても、異の主へ対抗できる戦力は大幅に落ちる。そうすれば、異の主の野望を阻止できるものは皆無。まさに、命がけで異の主の理想を支持したということか。
「そして、我も同じく貴様らに細胞注射を施すとしたらどうなると思う」
それを聞き、俺たちは慌てて両腕に力を込める。だが、もう遅かった。
「たとえこの身はここで朽ち果てようと、我が意思は不滅。貴様らの体を根城に、我が成就を達成しようぞ」
再度牙と舌をのぞかせ、一切の躊躇なく長い舌を噛み切った。飛び散る鮮血。声にならない喚きを発し、芋虫のごとく悶える。白目をむき、全身から血の気が引いていく。あまりにおぞましい姿に、直視することも阻まれ、俺と冬子は脱力して顔を覆う。
そして、異の主の足もとが白い粒子状のもやに変化していく。それは塵のごとく空を舞い、俺たちを選別しているかのように漂っている。やがて、異の主の体は消え去り、完全にもやとへと変貌してしまった。
あれを取り込めば、とんでもない力が手に入る。しかし、一切の見返りがないとは思えなかった。むしろ、力を手にしたが最後、ろくでもない事態に陥るということは自明であった。
だが、もやは俺たちが逃亡する暇も許さず、急速に迫って来る。
その矛先となったのは俺であった。異の主は俺が王たる器みたいなことを宣言していた。ならば、俺を狙うのは道理か。
しかし、俺の体に吸い寄せられるように接近してきたもやは、ふとその進行を止めた。その理由が分からなかったが、いつの間にか肩に寄りかかっている人物がいた。どういうわけか、百合が俺と体を密着させているのだ。
「翼であれば完全なる王として蘇生できると思ったのでしょうが、そうはさせない。このまま突入すれば、私の能力で大幅に弱体化させられたうえで、能力を移すことになる。そうなれば、翼の自我を奪うこともできず、あなたは無意味に消滅するも同じ」
百合と体を触れてさえいれば、細胞注射でさえも防ぐことができるらしい。それならば、冬子もまたこちらに呼び寄せ、あいつが勝手に消滅してくれるのを待てばそれで終わりだ。
だが、冬子がこちらに到着するより早く、異の主は彼女の全身を瞬く間に囲い込んだ。
「冬子、早くこっちへ」
「無理よ。このもやが視界を覆って、どっちが前だか分から……」
そこで言葉は途切れ、代わりに絶叫が響いた。あのもやが冬子の体内へ突入を開始したのだ。