第17話 翼を生やした翼君
とにかく、家の方は心配なさそうだ。ただ、あまり遅くまでお暇していても失礼になりそうだ。早々に帰宅すべき……とは思っていても、どうしても気にかかることがあった。無論、それは異人についてである。
冬子からある程度説明を受けてはいるが、まだまだやつらのすべてが分かったわけではない。知ってどうすると言われればそれまでだが、世界侵略を企んでいるかもしれないやつを野放しにしておくわけにもいかないだろう。
「えっと、所長さん。所長さんは、その異人ってやつのことはご存知ですか」
「『こととびと』のことかい。もちろん、知っているよ。そもそも、ここに集まっているのは、みんなその異人に関わったことがある人ばかりだからね」
「もしかして、俺以外みんな、冬子みたいに超能力を持っているとか」
「いやいや、僕はそんなもの持っていませんよ。能力が使えるのはこちらのお嬢様方だけです」
謙遜するように紹介されたお嬢様方二人は、どことなく不服そうだった。
「この力は望んで手に入れたものじゃないからね。尻尾が生えるなんて、はた迷惑な能力を植え付けてくれたもんだわ」
ビルの2階にジャンプできる能力は便利だが、日常生活においては、確かに尻尾は無用の長物かもしれない。利用できるとしたら、薄い本の即売会で売り子のコスプレをするぐらいか。
「いっておくけど、私にはオタクの趣味はないから、コスプレはしないわよ。どうしてもしてほしければマネープリーズってね」
その筋のマニアだったら、数万くらいポンと渡すんじゃないだろうか。俺は、そこまでする気にはなれないが。
「異人については、僕たちもまだ分かっていないことが多いのです。確かなのは、人気のない場所に現れ、秘密裏に人間を襲っていること。そして、細胞注射という行為を通して人間を異人化させようとしていることぐらいですね」
それはすでに冬子から説明を受けた通りだ。
「私たちは、そんな異人の活動を阻止しようと日々戦っている……なんて言うとかっこいいけど、本当はこんな体にされた憂さ晴らししているだけだけどな」
「あんたにも言ったけど、別に世界平和のために戦うとか、そんな大げさなことは考えていないわ。異人によって人生を狂わされた。その恨みを晴らすために戦っているようなもんよ」
ここは普通、「世界の平和は君たちに託された!」みたいな展開だろうけど、なんでこの人たちは冷め切っているんだろうな。
「僕も、変身ヒーローの司令官になったつもりはありませんしね」
いや、あんたはそもそもその役目を担いきれなさそうだと思います。この人が所長で、よくこの事務所は経営し続けられたな。
異人について詳しく聞けるかと思ったが、どうやら専門家の間でも謎とされている部分が多いらしい。でも、今はあれこれ考えていてもらちが明かない。とりあえずは、命が無事だったことをよしとしようか。幸い学校は休みだ。今日はもう羽を伸ばそう。そう思って、思い切り伸びをしたときだった。
背中がむず痒い。特に肩甲骨のあたりがうずうずする。虫でも入り込んだか。引っ掻こうとすると、急に背中が引っ張られるような感触に襲われた。そして、ボロボロになったカッターシャツの背を突き破り、人間の物とは思えない器官が顔を出した。
俺は、本当に羽を伸ばしてしまった。
その場にいる一同は、一様に固まった。無理はない。人間が羽を生やしているのだ。それも白くて透き通ったそれはそれは美しい羽だ。白鳥の羽だろうか。天使の羽とするには畏れ多い。だが、まあ、これだけは叫んでおこう。
「なんじゃこりゃあああああああ!!!!」
羽を伸ばそうと思って、本当に羽を生やすってどんな洒落だよ。おまけに少し羽ばたいてみると、足が宙に浮いた。
「危惧はしていたけど、本当にそうなってしまうとはね」
冬子が頭を抱える。そうしたいのは俺の方だ。いきなり羽が生えるって、別に悪いものを食べた覚えはないぞ。そして、これによってカッターシャツが背中から千切れさったのが地味に痛い。これ、どうやって母さんに報告しよう。
「俺の体はどうなったんだ。この羽は一体……」
「それが細胞注射の効果よ。異人は細胞注射することにより、特異な能力を人間に移し替えることができる。聖奈に尻尾があるのもそのせいね」
「じゃあ、あの時、ウィングとやらに注射されたから、俺の背中に羽が生えたってことか」
翼を広げて飛行してくるのが印象的な奴だったから、そいつの能力を受け継いだのなら羽が生えてきてもおかしくはない。
「それで、これはどうやったらしまえるんだ」
「あんたの体のことなんて知らないわよ」
そりゃそうだろう。俺は聖奈に助けを求める。尻尾を生やすという似たような能力を持つ彼女なら、助け舟になるかもしれない。
「そうだな。私の場合は、この能力を使えるようになってから長いから、ある程度自由意志によって出し入れできるようになったけど。そうなるようになるまでは……、えっと、その……」
なぜか聖奈は顔を赤らめている。この力を抑える方法があるのなら、それを言いよどむ必要がどこにある。さあ、早く教えてくれ。さあ、さあ。
突然、後頭部に激しい痛みが走った。それは、冬子がフライングチョップを叩き込んだのだと分かるのに数秒かかった。いきなり殴られる覚えはない。
「下着を凝視したのに飽き足らず、まだ変態行為を続ける気」
「前から言おうと思ったけど、おまえは説明不足なんだよ。どうして、能力を抑える方法が変態行為になるんだ」
「あんなこと、女の口から言わせられるわけないでしょ」
「その内容が分からないから、こうして聞いているんじゃないか」
「まあまあ、二人とも落ち着いてください」
言い争っている俺たちを見かねて、所長が止めに入った。
「所長、口で説明するより、実際にやった方が早いんで、お願いできますか」
「仕方ないですね。まあ、いいでしょう」
そういうと、所長はなぜか冷蔵庫へ赴いた。ネギでも喉に巻く気か。それは、喉が痛いときの民間療法か。
やがて取り出してきたのは、「冷○ピタシート」という冷却シートだった。俺は風邪を引いているわけではない。どこも怪我をしている訳でもないし。体に異常があるとするなら……この羽ですね。
所長は冷却シートのフィルムを剥がすと、「失礼します」と断りを入れ、俺の肩甲骨に貼りつけた。ちょうど、羽の根本となっている部位だ。途端、背中からひんやりと冷気が押し寄せてくる。冬子の氷の玉と比べると断然心地よい。
すると、広がっていた羽が見る見る間にしぼんでいった。急に地面へと引っ張られ、ようやく地に足をつけることができた。どうにかして仕舞おうと思っていた羽は、あっさりと体の中に収納されたのだ。いや、体の中って、普段どこに収納されてるんだ。レントゲンを撮られたら恐ろしいことになっていそうだ。
とにかく、まさか冷却シートを背中に貼るだけで解決できるとは思わなかった。
「なぜか知らないけど、私みたいに体の一部が変質してしまう能力の場合、その部位を隠せば能力が発動することはないの。私の場合、それを確かめるために、その」
「お尻に冷却シートを貼ったとか」
それを口にしたとき、聖奈と冬子の両者から張り倒された。こんなことを言わせるのはセクハラには違いなかった。ただ、聖奈から殴られるのは分かるが、冬子から殴られる筋合いはない。「便乗しちゃったのよ、悪い」って、悪いに決まっているだろ。
なんで、主人公の名前が翼なのかは、こういう理由です。