第169話 異の主との決着
燃え盛っていたはずの炎が次第に鎮静化していっているのだ。それもそのはずだ。俺が起こしているのはただの竜巻ではない。気象用語でいうところの冬将軍。激しい冷気を伴った暴風をぶつけているのである。
さすがに竜巻を発生させるほど高速回転しながら「氷結」を使用できるほど俺は器用じゃない。でも、この能力の持ち主なら他にいる。そう、冬子だ。彼女は俺の竜巻に外から干渉し、巻き起こす風の温度を引き下げていたのだ。しかも、勢い余って大気中の水分にさえも影響を及ぼし、もはや吹雪と化していた。
炎の渦と吹雪。相反する属性の竜巻が真正面からぶつかり合う。これなら打ち消せるか。いや、予想外の事態に発展しようとしていた。
少し前に異の主へスポットライトを落とした時の一撃。それは、炎と氷の温度差を利用し、留め具を脆くしたものだった。それが大規模に再現されようとしている。するとどうなるか。
犠牲になったのは、二つの竜巻の接点となっている地面だった。
「ちょ、あんたら冗談でしょ」
冬子が悲鳴を上げる。無理はない。竜巻を中心として、そこから一気に亀裂が走っているのだ。俺と異の主は空中に逃れているので影響はない。しかし、着地している冬子は崩壊しつつある地面に足を取られそうになっているのだ。
そして、突如として響く爆音。それと共に、一気に床が底抜けした。
「翼!」
爆風に体を流されそうになるが、その直前に何者かに抱きしめられる。顔面に叩きつけられる強風のせいで視野がはっきりしない。ただ、二つの竜巻が消滅し、俺たちは一つ下の階へと叩き付けられそうになっているってことだけは分かる。俺はすぐさま翼を広げ、どうにかして落下の衝撃を和らげようとする。
なんとか視界が晴れてくると、冬子もまた翼をはためかせていた。俺たちは必至に羽ばたくが、その身に受けた衝撃は予想以上に甚大で落下速度を弱めることしかできない。それでも、まともに落下し、背中を強打という事態は避けることができそうだった。転がるようにして受け身を取ると、どうにかして腰を上げた。
竜巻の傍で援助していた冬子であれば、自力で着地することは十分可能だ。でも、竜巻の中心にいて、まともに爆風に呑まれた俺がそんなに被害がないというのは妙であった。
しかし、その答えはすぐに判明した。あの瞬間、俺の胸に飛びついてきて、しがみ続けている少女。それは百合であった。
「まったく、無茶します。私の空白がなければ確実に死んでいましたよ」
諌められ、俺は「すまねえ」と舌を出す。とっさに百合が能力を使って竜巻の威力を軽減させたのだろう。
一つ下の階も同じく撮影用の大広間となっていた。上階から降り注いだ精密機器の破片が散乱する。そして、俺たちと同じように落下した異の主はどうなった。百合の干渉を受けていないので、まともに墜落しているはずだ。もしかすると、それで再起不能な傷を受けたか。そんな楽観論を抱きながら周囲を観察する。
「死に晒せ!!」
絶叫とともに、いきなり頭上に影が現れる。それは鋭利な剣先を剥き出しにし、上空から俺たちを串刺しにしようとしていた。まさか、あれでも倒せないのか。爪での急襲を仕掛けてきたのは、異の主であった。
まさに不意打ちであったため、防御なんて間に合うわけがない。それに、大分体の傷が蓄積している。そんな中、あの爪の一撃をまともに受けたら耐え切る自信はない。もうこれまでなのか。
「死ぬのはあなたよ、異の主」
声を張り上げたのは冬子だった。異の主を迎え入れようとするかのように、両手を広げる。そこに集まる、冷気とも熱気ともつかない大気の潮流。あいつ、もしや。冬子の意図を異の主も感じ取ったらしく顔のしわを寄せている。
「落下直後で安心している隙を狙ったんでしょうね。竜巻の中心にいた翼ならそれで倒せたかもしれないけど、私はそうはいかないわよ」
「貴様、これを狙っていたのか」
「竜巻から解放された直後に攻撃するなら、不意打ちを仕掛けるしかない。中途半端なあんたの攻撃なら、十分すぎるほど迎撃可能だわ」
「馬鹿な。貴様は援助していただけとはいえ、崩落からの生還を安堵するはずでは」
「お生憎様だけど、あんたを始末するまでは気を抜くつもりはないわ」
仇となる異の主を討ちたいという執念。それが冬子にこの常識外れの一撃をもたらしたというのか。仲間ながら末恐ろしくなる。
異の主の爪が冬子に振るわれる。そのまさに直前、冬子の手の内からエネルギーの爆発が巻き起こった。それは異の主の体を跳ね返し、十メートルほど先の地面に叩き付けた。冬子最大の攻撃手段であるエネルギーの爆発。それをまさかカウンターに使うとは予想だにしなかったであろう。
倒れ伏す異の主。それを俺と冬子が冷やかに見下す。
「これで勝ったつもりか。まだだ、まだ終わるわけにはいかん」
「往生際が悪いわよ。あんたがこれ以上戦えるわけないじゃない」
「そうだ。もうチェックメイト同然だ」
それは決して根拠のない虚言ではない。なぜなら、冬子のあの一撃で異の主の体に決定的な異変が起こっていたのだ。
身体能力を大幅に上昇させた冬子の必殺の一撃は伊達ではなく、異の主の両腕をあとかたもなく吹き飛ばしていたのである。
両腕が寸断されていては、まともに戦うことはできまい。それが分かっているのか、異の主は負け惜しみを発する。
「両腕がないから負け、か。だが、まだ攻撃手段がないわけじゃないぞ」
「角やら足やらがあるからか。でもな、満足に防御もできない状態でこれを防げると思うか」
俺と冬子は異の主の胸に両手をあて、とどめの一言を浴びせかけた。
「このままエネルギーを直接撃ったらどうなると思う」
冬子最大のあの技は、今や彼女固有の必殺秘技ではない。灼熱と氷結を会得した俺もまたこいつを使用することができる。
そして、人間を超越した攻撃手段を持っているといっても、身体そのものの耐久力が著しく上昇しているわけではなさそうだ。実際、冬子の一撃で腕を飛ばされているわけだし。なので、俺と冬子が同時に心臓にあの攻撃を仕掛ければどうなるか。
異の主もそれを悟ったのであろう。激しい憎悪を浮かべたかと思いきや、一転して大笑いする。それも気が狂ったかのような下賤な笑い声であった。
「なるほど、これで詰みというわけだ。異人である以上、身体の治癒能力も向上している。チンケな傷であれば、即座に完治させることも可能。しかし、腕そのものを吹き飛ばされれば、さすがにそれを再生させることはできない。そして、至近距離より放たれる貴様らの一撃を腕なくして防ぐ手立てはない。敵ながら天晴れと言うべきか」
それは事実上の敗北宣言であった。だが、命乞いをして泣き喚くでもなく、あくまで高圧的な態度を貫いている。この期に及んでも王たる威厳を維持しようとしているのはこちらとしても、敵ながら天晴れと賞賛するしかない。
ともあれ、これにより勝敗は決したのだ。体勢を崩すことはなかったが、俺と冬子はそっと微笑みあった。