第168話 能力共有と竜巻
「チンケな企みなど、我には通用せんぞ。大人しくひれ伏すがいい」
「威張ってられるのも今のうちだぜ。いくぞ、冬子」
「これは仕方なしにするんだからね」
身構える異の主。だが、それに反し俺たち二人は互いの体を密着させた。
そして、両者、その唇を重ね合わせたのだ。
ほんの数刻ではあったが、この行為に異の主は愕然としたはずだ。実際、眉をひきつらせている。
そして、俺たちの体内では激しい変化が起こっている。全身に湧き出る力。身体を焦がさんとする熱気に襲われているかと思いきや、すぐさま身が縮むかと思われるほどの冷気に包まれる。
冬子の方は俺以上に激しい悪寒に襲撃されているようだ。無理からぬことだ。あの一瞬で、「あまりにもリスクが高すぎるがゆえに試してこなかったこと」をやってのけたからな。
すぐさま平生を取り戻した異の主は、腕力と爪を同時に強化する。
「この局面で反撃を試みるなら当然の手法ではあるな。だが、忘れたか。我はすでに十以上の能力を身に着けている。そんな付け焼刃ではどうにもならんぞ」
「どうかな」
それだけ言うと、俺は右手を広げた。周囲を渦巻く大気がそこに集中するのが感ぜられる。それに干渉するように全身を沸きあがらせる。すると、俺の眼前で火の気が上がり、テニスボールぐらいの火の玉が発生した。
投擲の挙動に対応し、火の玉が一直線に異の主へと放たれる。異の主は顔を歪めたが、すぐさまそれを片手で払いのける。
間髪入れず、別方向から氷の玉が飛来する。それもまた腕で防御するが、その直後上空から鋭利な爪が襲い来る。もちろん、俺が仕掛けたわけでもないし、異の主は防戦一方だ。そうなると繰り出した人物はおのずと絞られるだろう。冬子である。
あの一瞬で俺と冬子が交わした行為。それはほかならぬ細胞注射であった。それも、持っている能力すべてをお互いにコピーしあうという離れ業であった。
正直、これはかなりの賭けだった。そもそも、複数能力を一気に複製できるのかという懸念もある。それ以上に、力をその身に受け継ぎ過ぎて暴走する恐れもあったのだ。
異の主から直々に特殊体質だと判断された俺はどうとでもなるかもしれない。しかし、冬子は異人から産まれたという出自があるとはいえ、一度に複数能力をその身に受けたらどうなるか想像もつかなかった。増して、俺が二つの能力を得るのとは対照的に、彼女は五つの能力を得るのだから。
とはいえ、現状ではそれは杞憂だったようである。俺が炎と氷を操ることができるようになったのと同時に、冬子は俺が受け継いできた能力すべてを駆使している。翼で異の主を翻弄し、尻尾をしならせやつを打つ。異の主は尻尾を切り裂いて反撃するが、そこから流れ出した血液が弾丸となって放たれる。
俺もまた飛行しつつ、炎と氷で責めたてる。異の主が常識外れの力を持つなら、最大限にまで能力を高めた二人で同時に全力集中攻撃するのみ。活路を見出すなら、その戦法しかなかった。
戦況としては攻め手に回っている俺たちの方が優位のはずだった。しかし、異の主は甲殻を中心にあらゆる能力を展開し防御に徹している。そのせいで、なかなか決定打を与えることができない。
「うざったいハエどもだ。一気に駆逐してやろう」
異の主もまた翼を広げる。空中戦を挑もうというのか。
だが、数メートル浮き上がったところで停滞し、そこで急速に回転を始めた。いきなりフィギュアスケートの真似事なんてどういうつもりだ。
すると、異の主の体を空気の渦が纏っていく。やつを中心として竜巻が発生しているようだ。踏ん張りがきかない空中ではそれに呑まれる危険があるため、俺たちは地上へ退避する。
竜巻はカメラや撮影用の小物を巻き添えにし、疑似的なポルターガイスト現象を引き起こしている。あれでは無闇に接触できない。そのまま体当たりしてくるだけでもかなりの痛手となりそうだ。まさに攻防一体の荒業である。
しかも、それだけに飽き足らず、やつを囲む奔流に炎が混じる。その炎の渦は異の主を守るかの様に立ちふさがっている。
「貴様らでは思いつかぬことであろうが、翼と灼熱を組み合わせるとこのようなこともできるのだよ」
能力が限られていては、それをどう組み合わせるかなんて考える余地がない。すべての能力を使えるからこそ編み出すことができたコンボ技というわけだ。
おそらく、台風の目に当たる部分は無風なので、そこから攻めることもできるであろう。しかし、そこに達するには、激しい炎の奔流が吹き荒れる中、高度数十メートルまで上昇しなくてはならない。空中戦は不利と判断して地上に退避してきたのに、また飛び上がるなんて愚策でしかなかった。
ならば、どうすればいい。竜巻を打ち消す方法なんてあるのかよ。
「相手が竜巻で来るなら、こっちも竜巻を使えばいいのよ」
うろたえる俺を尻目に、冬子は自信満々に言い放った。
「目には目をじゃないんだからさ。そんな方法でうまくいくのか」
「竜巻とは逆方向の風を起こせば、その流れを打ち消すことができるって本で読んだことがあるわ」
さすがは読書家。そんな豆知識があるなら試してみるしかない。
徐々に迫りくる竜巻。及び腰になるのを必至で耐え、俺は瞳を発動し、その渦をじっと凝視する。時折カメラの破片のようなものが見え隠れするが、それはやつの周囲を一定方向で回っているようだ。その向きは反時計回りだ。
ならば、時計回りに高速回転すれば対抗できるかもしれない。しかし、空中でフィギュアスケートの真似事ならやったことがあるが、それで竜巻なんてもちろん初の試みだ。正直再現できる気がしない。
それでも成功させなければ、このまま異の主の竜巻によって全員お陀仏だ。意を決し、俺は空中へと舞い上がる。そして、右肩を引き、それに合わせて体をねじる。すると、すんなりと全身が曲がっていく。ちょっと前は全体のバランスを取るのに精いっぱいだったのに、地上で回転するのと感覚がさほど変わらない。全体的に身体能力が上がっている恩恵か。
あとはとにかく早く回ることさえ考えればいい。理屈の上では簡単そうだが、これを維持するのにあたり、とてつもなく神経をすり減らすことになる。最大速度で稼働する遊園地のコーヒーカップに長時間乗っているようなものだ。瞳を習得していなければ、激しい吐き気ですぐにリタイアしていただろう。
そして、高速回転を継続していると、それに伴い周囲の大気がまとわりついてきた。それは渦を形成し、俺の前に立ち上って来る。
「貴様らの作戦は筒抜けであったが、よもや本当に竜巻で対抗するとはな。だが、我は炎を付加している。このままぶつかれば押し負けるのは貴様らの方だ」
「そう思うだろ。でも、俺が回っている間、冬子が傍観しているなんて考えちゃいないだろうな」
竜巻に阻まれ、互いの表情は窺うことはできない。だが、異の主が焦燥を抱いていることは察せられた。それは、異の主の竜巻に発生している異変が物語っていた。