第163話 異人の誕生
ところが、いつになっても、痛覚が襲ってくる気配がない。痛みを生じさせることなく一気に葬られたか。恐る恐る俺は瞼を開ける。
そして視界に映ったのは異の主。ではなく、あまりにも意外な人物であった。それは異の主も同じらしく顔をしかめている。
爪が振り下ろされるまさにその瞬間に割り込んできたらしい。俺のちょうど目前に、白い長髪の少女が庇うようにして立ちふさがっていたのだ。
俺は呆然としていたが、すぐさま我に返り、冬子の傍へと退避する。その少女、百合はまっすぐに異の主と対面していた。
あの位置ならば、確実に爪の一撃が入っていたことだろう。しかし、それは効果なしというのは先刻承知であった。百合の持つ能力「空白」。それは、異人の能力を土台に放たれるいかなる攻撃を無効化する。当然、異の主の技であってもその例外ではないはずだ。
「ブランク、貴様我に刃向うというのか」
顔を歪め、般若の形相で睨みつける異の主。百合はそれに怖気づくことなく、まっすぐその瞳を見つめる。
「これ以上の争いは無意味。あなたはここで私が止める」
「戯言を。異人の能力が効かぬのは厄介だが、それを除けば貴様はただの女子に過ぎん。あの時は耄碌のジジイのせいで処刑し損ねたが、今度こそ始末させてもらおう」
「そうやって気に入らないものを排除し続ける。あなたもやはり、人間と同じ」
「我が、人間と同じだと」
拳を握り、迷うことなく百合へとぶつける。崩れ落ちる彼女に、更に手を上げようとする。
それより先に、冬子は火の玉を放つ。それはまさに百合の体へと到達せんとしていた腕に命中した。長袖を焦がし、やがてその白肌に焼け跡を残した。それを庇いつつ、異の主はこちらを睨む。
「なあ、聞きたいことがあるのだが」
二人の間に介在せんと、俺は問いかける。
「異の主、お前は人間を憎んでいるみたいだが、どうしてそう思うんだ。まさか、理由もなく忌み嫌っているわけじゃないだろ」
あまりにも直接的すぎる疑問。それに素直に答えるなんて望みは皆無だった。でも、これだけはどうしてもはっきりしておかなくてはならない。そうでないと、この戦いで犠牲になったあいつらが報われなさすぎるから。
しばらく押し黙っていた異の主だが、やがてゆっくりと口を開いた。
「訳もなく人間を襲い続けるのなら野蛮と思うのも道理か。我からすれば、貴様ら人間が異人に対してしでかした所業を知らぬというのが腹立たしいが、それは仕方のないことでもあるからな。よかろう、貴様らに教えておいてやる。人間が異人に対していかに狼藉を働いたかということを」
ほとんど叫び散らしているかのように宣告し、俺たちを指差す。そして腕を組むと声音を落ち着かせ語り出した。
「人間たちの歴史に換算するなら、数百年前となるだろうか。その頃、平和ボケした現代とは違い、世の中は諍いに満ちていた。その理由も大小様々であった。ある者は領地を巡り、ある者は食料を巡り、絶え間ない争いが続いた」
「数百年前というと戦国時代辺りかしら。あの時代であれば現代と比べれば争いが多いというのは確かね」
俺はあまり歴史に不案内ではあるが、あの時代は領土覇権をめぐって著名な武人たちが戦を続けていたぐらいのイメージはある。よもや、織田信長や武田信玄が潮流していたころに異人が存在していたとか言うんじゃないよな。
「そこで求められていたのは圧倒的な力であった。強者が広大な領土を支配し、食糧を掌握し、民を統べる。度重なる戦の勝者が歴史を築き上げてきた。その理は現代でも変わらぬであろう」
それは少し想像すれば肯定するしかない理論であった。たとえば、市場で流通している種々多様な商品。その中でもロングセラーと呼ばれる定番ものがあるが、あれは数ある類似品の中から「売上」という競争を勝ち残ってきた猛者と定義づけることができる。そんな回りくどい例題を示すまでもなく、学校の入試は単純に成績上位者から順に合格できると考えれば、理解できそうな話ではあった。学力に置きかえれば、頭のいい奴が生き残っていわゆる「いい学校」に入り、そうでないバカは「底辺校」に集まるしかないってことだろう。
「そんな理があるのなら、人間は誰しも強き力を追い求めようとする。それは当然のことであろう。異人の能力の開祖、我らは異の祖と呼ぶが、彼もまたその一人であった。
そやつは元々一介の武人に過ぎなかった。それも仕えているのは、現代では名も知れぬ武将。本来であれば、凡人として歴史に名を刻むことなく消えてゆく定めであった。
しかし、その男は、向上心、野望とでもいうべきか、それは軒並み強大であった。いずれは絶対君主として頭角を現したい。だが、己の力ではそれを成し遂げるのは不可能。理想と現実との乖離に悩むそやつは、日々力を求めていた。それこそ、神にさえもすがるように。
その願いが成就したのか、ある日男は常人とは違う力を手に入れていることに気が付く。それは我らからすれば他愛のないものであった。身体能力が向上しているだけ。アブノーマルと同等の力を得ているだけだった。
しかし、常人相手であれば、十分脅威の力となる。一騎当千という言葉があるが、それまで無名と思われた男が、まさにそれを現実にやってのけたのだ。いかなる猛者が立ちふさがろうと、まともに張り合うことはできなかった」
能力を手に入れた経緯は不明であるが、はるか昔に異人、正確にはその力を持った人間が存在していたというのは間違いないようだ。しかし、強くなりたいと思ってその願いが叶ったのなら、それはそれで問題がないはずだ。そこから人間を憎むなんてお門違いのような気がする。ただ、そこに至るまでの経緯は、この後明かされるのであった。
「その男のおかげで戦に勝利し、男は英雄として讃えられるはずであった。しかし、彼に貼られたレッテルは『化け物』であった。人間としての能力を超えた力を駆使するその男に、周囲の武人どもは恐れ、慄き、挙句忌み嫌った。物の怪に心を売ったという心なき暴言を吐く輩もいた。
その男は激しく苦悩した。さもありなん。圧倒的な力を手に入れた者であれば、賞賛されるべき。それが邪険にされるなど許されるべきことではなかった」
あまりにも人間とはかけ離れた力を持つ者に対し、異質だとみなして排斥する。それは俺も少し前に目の当たりにしたことだった。学校でのあの出来事がその典型例だろう。
まして、冬子は胸を押さえてさえいた。彼女にとっては心当たりがある以上の話である。そのオッドアイ、そしてその能力のせいで、過去に受けた仕打ち。それが深く心に刻み込まれているというのは想像するに難くない。
「そして、ついに男の仲間たちは決定的な行動へと出た。その当時、今よりも神仏に対する信仰が厚かった。なので、武人たちは必至に祈ったのだ。『この世界から男を討伐してください』と。
期せずしてその願いは成就することとなった。ある日、男は不可思議なもやに襲われることとなる。それに抗う術もなく、男はもやへと取り込まれていく。
そして、男が目覚めた先は見知らぬ荒野であった。そこは生まれ育った野山とは似ても似つかぬ、それどころか、自国であるかどうかも疑わしい場所だったのだ」
そこは人間の手が及ぶことない原風景が広がっていたという。あまりに文明からかけ離れたその場所を、俺は一つだけ想起することができた。他でもない、異の世界だ。
一時的に訪れただけではあるが、異の主の話に出た「男が飛ばされた場所」と特徴があまりにも酷似していた。
「のちに男は、その世界に幽閉されたのだと知る。お前は人間の世界で生きるには不適応な力を持ってしまった。だから、戦乱を巻き起こさぬためにも、この世界に隔離したと聞かされたのだ。
男は嘆くと同時に憎しみを抱いた。あまりにも理不尽な判断を下した人間たちを。そして復讐を誓ったのだ。人間とは異なる存在、異人として、人間たちを鎮圧せんことを」
強さを求めすぎたがゆえに排斥された存在。それが異人。そうであるなら、人間を殊更に拒む訳や、強さに拘る訳も納得がいく。
しかし、まだ疑問点も残っている。幽閉されていたはずなのに、どうして俺たちの世界にやってくることができるようになったのか。とはいえ、それについて明かすつもりはなさそうだ。