第162話 異の主の提案
「油断したぞ。まさか、その力を持っていたとはな。ここに来るということはブラッドを突破したということだろうが、こんなことになっているとは予想外であった」
異の主は本気で動揺しているようであった。さっきから執拗に頬をさすっている。俺は呼吸を整えながらも立ち上がり、冬子もそれに倣う。
「まだやるつもりか。面白い、ますますそなたらを迎え入れたくなったぞ」
突拍子のない発言に、俺は目を細める。そういえば、ちょっと前にも倒すのは惜しいみたいなことを言ってなかったか。すぐさま攻撃しようとしている冬子を押し留め、俺は訊ねる。
「さっきから不可解なことを言ってるけどよ。もしかして、俺たちを仲間にしたいとかそんなこと思ってないよな」
「馬鹿じゃない。あいつがそんなこと考えてるわけないでしょ」
冬子が怒鳴りつけるが、反面、異の主は静かに頷いた。
「その物分かりの良さも魅力的であるな。その通り。そなたらはここで消すには惜しい逸材。もし、我らに協力する意思があるのならば歓迎しよう」
「ふざけるな。誰がそんなこと」
すぐさま俺は否定する。すると、異の主は哀愁さえ漂う顔つきになり、肩を落とす。
「そうか。非情に残念だ。特に翼。そなたは我らが王になる素質さえあると思うが」
「俺が……王だと」
予想の斜め上のその遥か先を行く発言に、俺はたじろぐばかりであった。仲間にするというだけでも信じられないのに、そのうえ王になるだと。戯言にしても、もっとマシな言い方があるだろ。
「翼よ。ここまでの戦いで、翼、瞳、爪、鮮血と四つの能力を使用していたな。それ以上の能力を持っているかもしれんが、どちらにせよ、それは普通の人間ではありえぬことだ。
我らが持つこの力は、本来人間が駆使するには身に余る代物。単一の力だけでも許容できず、その身を崩壊させてしまう者も珍しくない。ましてや、複数能力の持ち主ならなおさらだ。我が経験則からして、常人が異人の能力に耐えられる限界はせいぜい三つであろう」
このことは、俺としても目の当たりしたから納得できることではあった。学校で榊が上位種異人に変貌してしまったのも、身体が力に耐え切れなかったとすればそれなりに説明がつく。渡が暴走してしまったのもそのせいかもしれない。
「しかし、そなたはその限界をとっくに突破している。それにも関わらず、変調の兆しがない。つまり、我と同じく特異体質の可能性が高い」
「俺がお前と同じだって」
嫌悪感が湧き出てくるが、異の主は更に続ける。
「数十種類の能力を同調させてはいるが、裏を返せばそれだけ身体が変調を犯すリスクをはらんでいるということだ。だが、我は一度として暴走したことはない。それは翼、そなたも同じではないのか」
指摘されてみれば同意できることではある。合計五つの力を手に入れたのはつい先刻のことである。しかし、能力を同時に持つことのできる限界がせいぜい三つというのなら、細胞注射された直後に暴走なりしていてもおかしくはない。けれども、あの時以来、俺の体に特に目立った変化はない。
もしかすると、最強の力を得るのに足る体質かもしれない。そうであれば、魅力的な提案ではあった。世界最強の力を与えられると言われ、それを嫌悪する輩はまずいないだろう。
でも、力を手に入れた後どうなる。あいつのことだ。力を与えるといっても、自分を打ち倒さない程度にとどめておくに違いない。そうすれば、異人内のナンバーツーとして俺を指揮できるからだ。
もし、そんなことになったとしたら、俺が為すべきことはどうなる。現在進行形で異人たちがやっていることか。人間たちを残らず駆逐し、屈服させるまで破壊の限りを尽くさなければならないのか。
そう考えると、この提案への返答は決まり切っていた。
「どうだ。力を受け入れるというなら、すぐさま施してやってもいいのだぞ」
「そんなの余計なお世話だ。お前の配下となって働くのがオチなんだろ。そんなの反吐が出るぜ」
「その根底を見透かすとは、それなりに利口であるようだな」
異の主は両手を組み合わせる。その指先が変質する。それが爪によるものというのは火を見るより明らかだ。
未だ俺の手よりしたたり落ちる鮮血。もちろん、この技を試したことはない。でも、有効打があるとしたら、こいつぐらいしか思い浮かばない。
俺もまた左手の爪を伸ばす。
「爪には爪を。趣向としては悪くないな。しかし、無意味だ。そなたと我では格が違うということを忘れたか」
その通りだ。身体能力が格上の相手に同能力で挑んだところで勝機がないのは分かり切っている。そもそも、そんな愚策を試そうなんざ思っちゃいない。
俺は爪で右の手のひらを一気に傷つける。大量の血流が奔流してくるが、決壊寸前で必死に押し留める。そのせいで右手に錘をぶら下げているような感覚に陥る。あの野郎、こんなのを堪えながら戦っていたのか。
「どうやら企みがあるようだな。しかし、それを待っているほどお人よしではない」
異の主がスタートを切る。迷いなく、正面からの斬撃。それを迎撃せんと、俺は蓄積していた血流を解放する。
コンクリートを破壊するほどの威力を発揮した光線。それを真っ向から浴びせかける。どんなに能力を重ねたところで、この直撃はさすがに防ぎきれまい。
しかし、血流の光線は異の主を包むことはなかった。軌道直線上では確実にやつを捉えていた。だが、やつに到達した瞬間、その流れは真っ二つに両断。異の主を迂回して二方向に別れ、それぞれカメラへと直撃したのだ。スタンドが崩壊し、レンズの割れる音が響く。
ブラッドの秘密兵器だったこの技。それが効果なしだって。そもそも、あの野郎、どんなカラクリを使ったんだ。その真相は冬子が見破っていた。
「まったく、規格外すぎるわ。あいつ、爪を超高速で振るうことで、自らの周囲に風圧のバリアを発生させていたのよ」
「正確には、超高速で血流を振り払っていただけであるがな。さすがに我とてバリアは使えん」
謙遜するが、それに近いことをやってのけた時点で充分脅威だ。つまりは、目にも止まらぬ速度で腕を振るっていたことで、血流を掻き分けたってことだろ。それがよもやバリアだと錯覚させられるなんて。
これでも異の主は倒せないのか。否、全く効果なしというわけではなさそうだ。腕先に染みついている俺の紅の血液に混じり、人間ではありえない色の液体が滲みだしている。それは蒼。ブラッドと同じく、蒼き血流を顕わにしていたのだ。
「一度ならず、二度までも我に傷を負わせるとは。だが、死刑を先決した以上、それを覆すことは我が誇りが許さん。消えてもらおう、翼」
爪を掲げ、異の主が肉薄してくる。終わりだ。持ちうる限り最大の攻撃が効果なしとあっては、もはや対抗策はない。観念した俺は目をつむる。異の主は袈裟懸けに俺の首を両断しようとする。