第155話 ブラッド、最後の餞別
ブラッドは焦げた臭いを放ちながらも、その体を収縮させていく。さすがにまともに電線の電流を帯びてしまっては、強化形態を維持することは無理だろう。普通の人間だったら即死間違いなしの一撃だからな。
「まったく、やってくれるぜぇ。こんなのを喰らっちまったら、まともに戦うことができねぇじゃねぇか」
横たわったままのブラッドを一定の距離を置いて見下ろす。なおも帯電しているはずなので、迂闊に近づくことはできない。でも、とどめの一撃なんて殊勝なことをしなくても、こうなってしまっては勝負が決したも同然だろう。
「残念だなぁ、翼。おめぇとはもっと戦いたかったぜぇ。おめぇが異人だったら、いい相棒になれたかもしれねぇのによ」
「毎日殺しあう仲だったらご免だが、単純な相棒っていうのなら悪くはないぜ」
「減らず口叩くんじゃねぇ」
そう吐き捨てるや、激しく全身を痙攣させ、声にならない悲鳴を上げる。心なしか、足元が徐々に消え去り始めている。仇敵ではあるのだが、いざこんな光景を目の当たりにすると、どうにもやりきれなかった。
「なあ、翼ぁ」
かすれる声で、ブラッドはどうにか呼びかける。
「このまま単純に消えるのも癪だ。おめぇに餞別を送っといてやるよぉ」
「餞別だって」
首を傾げている間にも、ブラッドの下半身は完全に粒子へと化そうとしている。もはやまともに動けるはずもないのに、何をしようというのか。
「別に最後っ屁でも仕掛けようというつもりはねぇ。むしろ、おめぇにとっては喜ばしいことだろうよ。まあ、長話できねぇからとっとと種明かしするとだなぁ、おめぇに細胞注射してやんよ」
「細胞注射だと」
あまりにも意外すぎる提案に、俺は驚愕した。どういう風の吹き回しだ。敵に塩を送ってどうするんだ。
「それに、ただの細胞注射じゃねぇ。これは、異人たちに伝わる最終奥義みてぇなもんだ。あまりに使用者にメリットがねぇから、今まで使うやつはいなかった。でも、こうなっちまったら、どうのこうの言ってる場合じゃねぇ。
通常の細胞注射は、能力だけを相手にコピーするんだぁ。だがなぁ、俺が今からやろうとしてんのは、持ちうる能力すべてをコピーさせた上に、急激に身体能力まで上げることができるんだぜぇ」
「とどのつまり、通常の細胞注射の上位互換みたいなもんか」
能力が増えればそれだけ身体能力も向上するが、その向上の度合いを大幅に上げるってことだろう。
「ただ、これにはとんでもねぇリスクがあってなぁ、これを実行するためには、俺たちが消滅するときに発生する粒子を対象者に纏わりつかせなければならねぇ。この意味が分かるかぁ」
「おい、それってまさか」
とある結論に行き当たり、俺は息を飲む。その事実を受け入れがたく思っていたが、それには構わず、ブラッドは決定的な一言を発する。
「要するに、俺の命を引き換えにして、能力を移し換えるんだよぉ」
命を懸けて能力をコピーするだって。それならば、秘技中の秘技には違いない。しかし、なおのことやつの意図が分からなかった。このまま放置していても、その命が尽きることは明白。だから、命を犠牲にする技を使おうという理屈は分かる。でも、それで俺を急激に強化させようだなんて。
「お前、どういう風の吹き回しだよ。いったいどうして……」
「細けぇことは気にすんな。まぁ、どうしても理由が必要ってんなら、おめぇの強さにほれ込んだってことにしとけぇ。おめぇは雑魚そうに見えて、とんでもねぇ方法で戦ってきやがる。正直、異人のやつらと単純に殺しあうよか、数百倍面白かったぜぇ。だから、そのお礼みてぇなもんだ。つべこべ言わず、受け取れ」
もはや、ブラッドの半身が霧散しようとしていた。螺旋を描き舞い上がるもやのような粒子。これは、言ってみればブラッドの力の根源のようなものか。
躊躇いもあったのだが、俺は決断を下した。あまりにも話がうますぎるかもしれない。でも、こいつよりもはるかに強大な力を持つ主に勝つには、少しでも力がほしい。それに、消えゆかんとするブラッドの想いをにべもなく固辞するわけにはいくまい。
「分かった。やってくれ、ブラッド」
その一言を待っていたかのように、ブラッドは一気に全身を粒子へと変換させた。
元ブラッドである白い粒子状のもやが俺の全身を覆う。それは、鼻は当然として、口の間隙、耳の穴、果ては毛穴と、ありとあらゆる体表の穴から体内へと侵入してくる。あまり気分の良いものではなかったが、その直後、かつてないほどの昂揚感に見舞われる。
体がうずいて仕方ない。全身の筋肉が震え、今にも駆け回りたくなる。それに飽き足らず、蓄積された力を一気に発散したい。暴れ出しくてうずうずする。
その欲望を体組織が受け取ったようで、思わぬ変化が訪れた。満身創痍だったはずだが、至る所に生じていた傷がたちどころに塞がっていく。更には、欠けた右翼さえも元通りになっていく。まさか、自己治癒能力も激しく上昇しているのか。
堪え切れず、俺は近くにあった街路樹に回し蹴りする。すると、その幹はきれいに切断され、そのすぐそばの大木にもたれかかった。以前の俺だったら、こんな芸当はできないと自信をもって断言できる。戯れに放った蹴りで出せるような威力ではない。どうやら、恐ろしいほど身体能力が上がっているのは嘘ではないかもしれない。
ふと、遠方から悲鳴が上がった。この声は、まさか、冬子か。すぐさま駆けつけようとするが、俺はすっと立ち止まる。振り返り、電線が立ちきれ、地面に残された黒焦げに視線を合わせる。そこへ静かに黙とうをささげると、それからは振り返ることなく、この近くで繰り広げられているもう一つの戦場へと急行したのだった。