第153話 本気のブラッド再来
しかし、ブラッドは悲観する様子がなかった。むしろ、その表情に浮かんでいるのは笑み。己の身に降りかかった事態を歓迎さえしているかのようだった。
「やっぱここまでやってくれねぇと、倒しがいがねぇよなぁ。やっぱりおめぇと戦うのは楽しいぜぇ」
「こっちにとってはありがた迷惑なんだが。っていうか、どうしてお前は俺にこだわるんだ。強いやつなら冬子とかいるじゃないか」
「さぁな。強いやつを求めるのは異人の本能みてぇなもんだ」
「それともうひとつ言いたいんだが、単に戦いたいなら殺し合いする必要性なくないか。相手を殺してしまったらそれで終わりなんだし」
ここらで降参してくれれば苦労はしないという楽観論ではある。しかし、それとは別に、やつへのアンチテーゼを含んでいた。戦いそのものを楽しんでいるなら、相手を徹底的にぶちのめす必要性はないはずだ。そこを攻めれば、もしや考えを改めてくれるかもしれない。
すると、意外にもブラッドは言葉を詰まらせている。もしや、このまま説得も可能か。期待を込め、俺は続ける。
「スポーツマンシップなんて、しゃれたこと言うつもりはないけどさ、単に戦いたいだけなら命を狙う必要はないだろ。喧嘩だと野蛮な感じがするけど、とにかく殺し合いなんて無意味だ。だから……」
「うっせぇんだよ」
俺の言葉を打ち消さんと、ブラッドは声を荒げた。心中の迷いを払拭せんとしているかのような怒号だった。
それとともに、ブラッドから放たれる悪寒が一段と強烈になっていく。こいつはどうあっても懐柔できないのか。
「一丁前に説教してんじゃねえ。虫唾が走るぜぇ。戦うのが楽しい? 当たり前だろうがぁ。敵を情け容赦なくぶっ潰し、血肉臓物を粉々に粉砕する。完膚なきまでの蹂躙、これこそが勝利の醍醐味だろうがぁ」
あまりにも野蛮すぎる主張に身の毛がよだつ。絵空事でしか狂戦士という存在を知らないが、それが実在するとしたら、まさに目の前にいるこいつだろう。
そして、ブラッドは本気であることを示さんと、ついにその体さえも変質させてきた。ぐしゃぐしゃになったはずの翼が復活し、額には二対の角。全身の骨格が盛り上がり、双眸は蒼く染まった。
その姿は過去に一度目撃したことがある。異の世界に強制的に拉致された際、ブラッドが披露した本気の戦闘形態。しかも今回は、心なしか両手と翼が更に肥大している。追加された能力もその姿に反映されているのか。
こうなってしまっては、やつは自我を失うはずだ。獣のそれを思わせる咆哮とともに、今にも飛びかからんとするその様は、もはや人間とは遠くかけ離れていた。それに、発せられる悪寒、今や威圧感と言った方がいいか、それは先ほどとは比較にならないほど増大していたのだ。
慄き、怯む俺をよそに、変貌したブラッドはいきなり右手で叩き潰しに来た。爪での斬撃だったかもしれないが、あの巨躯から放たれているのだ。掌底でペシャンコにされたとしても、何ら不思議ではない。
その恐るべき一撃はどうにか回避できたが、地面には亀裂が入っていた。コンクリートを粉砕できるって馬鹿力にも程があるぞ。
それだけに飽き足らず、ブラッドは近くに駐車してあった乗用車を片手でつかむと、易々と持ち上げたのだ。まさか、嘘だろ。
身の危険を感じ、俺は急速上昇する。間一髪、先ほどまで俺がいた場所に乗用車が投擲される。飛空するそのすぐ真下で爆音が轟く。車を武器にしてくるなんて、規格外もいいところだ。
更に、別の車体に手を伸ばそうとする。この駐車場にある車をすべて投げ捨てるつもりか。俺は、やつの手が車へと到達する寸前に、尻尾で払いかける。すると、ブラッドはにらみを利かせ、血反吐を発射してくる。速度は大したことないが、すれ違っただけでも風圧で体が煽られる。図体がでかくなったので小回りが利かなくなったが、その分技の威力は増しているのか。
車を武器にされたら尋常ではない被害となるので、それを阻止するためにも、適度に打撃を加えながら縦横無尽に飛び回る。前回は不意打ちで胸を貫いたことで勝利できたが、今回もそんな戦法が通じるかどうか。とりあえず、僅かでも相手に傷を蓄積させていくしかない。そうして、どうにか反撃の機会を見出すんだ。俺はヒットアンドアウェイで、やつの体の至る所に打撃を加えていく。
しかし、そんなチンケな攻撃がいつまでも通じるはずがなかった。ブラッドは雄たけびをあげると、両手の爪を掲げる。反撃を恐れた俺は、一旦やつから離れる。またも切り裂かれるか。否、やつはとんでもない行動に出た。
なんと、強化された爪で自らの体をまんべんなくかきむしり出したのだ。全身に蕁麻疹を発症しているかのような、気の毒な有様であった。しかし、こんな時に自暴自棄になるなんて不可解にも程がある。このまま自害してくれるのであれば助かるが、そんな間抜けを犯すような阿保ではない。
そして、すぐさま奴の意図が判明した。全身のあちらこちらの切り傷からは、うっすらと血が滲みだしている。それはずっと垂れ下がっていき、全身に蒼のストライプ模様を形成していた。そんな状態でブラッドは軽く飛び上がり、空中で一回転したのだ。
通常であれば全く無意味な遊戯であろう。しかし、血を垂れ流している中、そんなことをしたらどうなるか。回転の際に流血が飛び散り、周囲へと舞う。それはすぐさま凝固し、回転の勢いに合わせて一斉に放たれた。
全方位への血しぶきの弾丸。死角ゼロという反則技の前では回避行動など意味をなさない。せめてもの抵抗は、腕を組み合わせて防御態勢をとること。だが、矢継ぎ早に降りかかる血しぶきの前に、耐え忍ぶのが精いっぱいになってくる。もはや、飛行するのが億劫とさえ思い始めている。
そしてその時、ブラッドの容赦ない二発目が襲い掛かった。単純な爪での一閃。いや、違う。太く、鋭い爪と共に、異質な物体が重なり合っていた。指先の切り傷から一直線に伸びる蒼い物体。あの野郎、指先に血液のサーベルを生成し、爪と重複させているのか。
瞳で動体視力を強化していたからこそ、見切れた所業であった。そうでなければ、訳も分からないうちに深手を負っていただろう。だが、結果論としては瞳を使わなくても問題はなかった。
なぜなら、「訳が分かって」深手を負う羽目になったのだから。
手刀を見切ることはできたものの、体の反応速度がそれに追いつくことができなかった。まともに直撃するのは回避したものの、体を反らせたせいでそれは右翼を両断した。