第148話 瞳の説得、ノウズの本心
ノウズは、一直線にこちらへと向かってきます。その手は着実に下半身へと迫る。あなたの目的なんか知れてますから。私は、スカートを抑え、とっさに後ずさります。
「なんだよ、せっかくパンツをチェックしてやろうと思ったのに」
「そんな親切要りません」
こんな緊迫した事態なのに、何やってるんですか。
「じゃあ、これはどうかな。日本一高い山は愛宕山」
それは、千葉県で一番高い山です。なんて、ツッコミは野暮ですね。この後どうなるかは分かっているんです。
案の定、ノウズの鼻が一気に伸ばされ、私のわき腹をかすめていきます。そのまま首を振り回すのに合わせ、延長された鼻がしなりつつ襲い掛かります。私は、瞳の能力を使い、なんとか回避していきました。
「その瞳の能力もやるもんだね。単純な攻撃じゃすぐにかわされちゃう」
「お褒めに預かり光栄です」
皮肉を込めて一礼してみました。すると、ノウズは一旦鼻を引っこめます。
私の隣では、すさまじい覇気が発せられ、ヘアーが変貌していくのが確認できました。まさか、ノウズもまた本気を出すつもりじゃないでしょうか。それならば、こっちも腹をくくらなければいけません。できれば穏便に済ませたいのですが。
「ヘアーのやつ、躍起になっちゃってるな。翼とかならともかく、あんなやつらに本気になることないのに」
そう言って、つまらなそうに、頭の後ろで手を組みます。けだるげな態度で油断させるつもりでしょうか。その手には乗りません。私は、あくまでも臨戦態勢を保ちます。
「もしかして、君、本気で僕とやりあう気かい。辞めといた方がいいのにな。でも、殺されたいっていうのなら、望み通りにしてあげるよ」
軽い口調でしたが、軽くステップを踏みつつ、鼻をこすっています。やっぱり、相手もやる気満々のようですね。このまま、本気で戦いあうしかない。結局はそうなるんでしょうね。
でも、もしかしたら、一縷の望みがあるかもしれません。あまり血なまぐさいことは好きじゃないので、できればこの方法で解決したいです。
私は、肩の力を抜き、戦闘態勢を解きました。その行動を意外と思ったのでしょう。ノウズは胡乱げに目を細めます。
「ダメ元でお話しますけど、どうしても私たちの町を攻める気ですか」
「今更そんなこと聞いてどうするんだよ。当たり前だろ。主はそうお決めになったんだ。人間たちに復讐するために、この町を征服するってね」
当然とばかりに、両手を広げます。従順する主の命令は絶対ってわけですか。その気持ちは分からなくはありません。
「あなたたちは、本当に異の主を信頼してるんですね」
「信頼? うん、そうかもしれないね。っていうか、逆らおうと思ったこともなかったよ」
なぜでしょう。前半、言葉を濁したような。どことなく、表情も曇ったように思えます。これは、もしかすると、突破口があるかもしれません。私は逡巡したうえで、ある疑問をぶつけてみます。
「あなたたちの事情はどうだか分かりません。でも、あなた個人の感情として訊ねたいことがあります。あなたは、本当にこの町を壊したいって思っていますか」
この詰問に、ノウズは息をのみました。前々から思っていたことなのですが、異人たちは主を絶対君主として、その意向にただただ従っているだけのようです。でも、目の前にいるノウズのような最上位種の異人たちは、それぞれ独自の意思を持っています。それならば、この質問の答えだって、十人十色であるはずなのです。
しかし、すぐさまノウズはあっけらかんとして、
「そんなの当然だろ。ぶっ壊すって決めたから、ぶっ壊すんだ」
おちゃらけて笑みまで浮かべています。やはり、洗脳でもされているんでしょうか。いえ、まだあきらめるわけにはいきません。
「本当の本当にそんなこと思っていますか」
「う、うるさいな。主の命令は絶対って言ってるだろ。同じこと繰り返させるなよ」
「それはこっちのセリフです。私は、あなた自身の意思について聞いているのです。主の命令? そんなのはどうでもいい。あなたはどうなんです」
つい熱が入り、柄にもなく怒鳴ってしまいます。私の必死の形相に、ノウズはたじろいでいきます。「僕の意思だって……」と呟き、目を泳がせる始末です。
そして、ついには頭を抱えだしました。どうやら、うまくいきそうです。私は胸をなでおろし、一歩踏み出します。
「琵琶湖は池みたいに小さい」
突如、明かな嘘っぱちがノウズの口から飛び出します。それと同時に飛来する鼻。間一髪体を反らせたものの、なおも襲撃は続きます。
「主の命令は絶対なんだ。主張したところでどうなるってのさ。主は聞き入れるわけがないよ。そんな無駄なことしてどうなるんだよ」
喚きながらも、鼻の勢いが衰えることはありません。でも、この一言で、私もまた吹っ切れました。動体視力を強化し、低姿勢になります。
前方から無尽蔵に放たれる刺突。その間隙を潜り抜け、一気に距離を詰めます。ノウズは吃音を洩らし、伸ばしていた鼻を元通りにしました。
互いの息が直に感じられそうな距離で、私はノウズの肩に手を置きます。
「だからって、言われるがまま町を破壊し、人間を襲うなんて間違っています。そんなことをしていては、誰もあなたの相手をする人がいなくなりますよ」
「もしかして、お姉ちゃんも遊んでくれなくなるの」
「そうですね。自分の意見も言えないような弱虫さんとは遊ぶ気はありません」
そう言ってそっぽを向きます。すると、ノウズは一気に私の上着にしがみついてきました。
「そんなの嫌だ」
これまでよりもひときわ大きな声。そう、それがあなたの本心なのですね。私は優しく、ノウズの頭を撫でてやります。
「あなたたち異人が、人間を毛嫌いしているってのは知っています。でも、それって異の主の考えであって、みんながみんなそうじゃないって気がするんです。私も、そんな異人を知っていますし」
「それってブランクのことかい。あいつは変な奴だったな。でも、本当に人間ってひどいやつじゃないの」
「そりゃそうですよ。ひどいやつって思ってるなら、どうしてそこまで私にこだわるんですか」
なぜだか、ノウズの顔が真っ赤になります。突然大暴れして、私の袂から離れていきました。そして、ちらちらとこちらを窺っています。こうしていると、なんかおませさんな弟ができたみたいです。
なんてこの場に不相応なぐらいにほのぼのとしていた時でした。私たちに差し迫ってくる、強大なる悪寒。その正体は、体のあちこちに傷を負った異形の化け物でした。異常なまでに伸びきったボサボサの髪の毛を垂らし、酔狂者のようにふらつきながら歩み寄ってきます。
「ヘアー、どうしたんだい、そんなに……」
そこで、ノウズは絶句します。ヘアー、あの異人のなれの果てでしょうか。そいつが一斉に髪の毛を伸ばし、ノウズの全身を絡み取ります。髪の毛の檻へと幽閉されてしまったノウズ。一体、何がどうなってるんですか。