第14話 探偵事務所所長とそのバイト
気まずいまでの沈黙が流れる。互い未知との遭遇を果たしたみたいだ。どういうことだ、これは。なぜ、冬子は下着しか身に着けていない。
「こ……」
先に口を開いたのは冬子だった。両手で下着を隠しつつ、顔を赤らめる。
「このへんたーーーーーーーーいっっっっ!!!」
けたたましい絶叫が響き渡る。いや、変態って、そもそも、なぜお前はそんな姿なんだ。俺は、なんらやましいことはしていないぞ。
「朝っぱらから堂々と下着観察って、どういう神経しているわけ」
「アホか。いきなり訳の分からないところに連れてこられて、立ち上がろうとしたらお前が勝手に下着姿になっていただけだろ。それに、お前の方こそなんでそんな恰好なんだよ」
「朝だから着替えようとしていただけよ。当たり前のことをして悪い」
寝間着から普段着に着替えるのはごく普通の行動ではある。問題は、見ず知らずの場所で、なぜそんなことをしているかということだ。
それに、先ほどの一言に違和感があった。朝、だと。俺たちがウィングに襲われたのは学校が終わった後だった。ならば、時間帯としては夕方、遅くとも夜でなければつじつまが合わない。いつの間にそれを通り越して朝になっているのだ。
いきなりワープしてきたことといい、全くもって状況が分からない。やはりこれは夢の続きじゃないのか。
「……で、あんたはいつまで凝視してるのよ」
「してねえよ。つーか、目のやり場に困るから、着替えるならさっさと着替えてくれ」
俺がそっぽを向くと、すぐさま布切れがこすれあう音が聞こえてきた。俺を殺そうとしていた相手とはいえ、すぐそばで同年代の女子が生着替えをしているのだ。胸がざわめいて仕方がない。仕返しにじっくり拝んでやろうかと思ったが、そうしたら今度こそ殺されかねないので、ぐっと我慢する。命だけは助かったのだから、これ以上いたずらに危機にさらすのはやめておこう。ただでさえ、抹殺されるフラグが立っているのだから。いや、それなら見たところで変わりはないか。
などと一人で問答していたところ、「終わったわよ」と声がかかった。視線を戻すと、そこには私服に着替え終えた冬子が膨れ面で机に寄りかかっていた。
黒のセーターに白のシャツ、膝までかかる赤のスカート。背の低さも相まって、ミステリアスなお人形さんといった印象だ。とはいえ、普段制服姿しか見たことがない女子の私服姿というのは、それだけでも強烈なインパクトを与えた。馬子にも衣装とからかってやろうかと思ったが、元がなかなか美人なので、普通に似合っている。
「まったく、異人と戦って疲れているのに、欲情した男子の相手をしなくちゃいけないなんて、最悪の朝だわ」
「すごい言われようだな。言っておくが、こっちもいきなりこんなところに誘拐されて訳が分からないんだがな」
「命拾いしたくせに文句を言うなんておこがましいわね」
これには口を紡ぐしかなかった。至極まっとうな指摘ではある。
「っていうか、なぜにこんなところで着替えていたんだよ」
「昨日いろいろあって、結局お風呂も入らずに寝たのよ。それで汗をかいて気持ち悪かったからさっさと着替えたかったの。どうせ、あんたは起き出してこないだろうと高を括ったのが間違いだったわ。あれだけの傷を受けて立ち上がってくるなんてどういう体力してるわけ」
「回復したのにこうも責められるなんて心外だな」
こいつ、俺が再起不能だと信じ切っていたのか。そうでなければ、同世代の男子の前で堂々と下着を晒そうなんて思いつかない。
ともあれ、死亡という最悪の結末は免れたのだから、これくらいのご褒美は許されるのではなかろうか。あとで、冬子から地獄の鉄槌が下されそうではあるが。
「朝から痴話喧嘩なんて元気だな」
気まずい雰囲気が流れる中、1組の男女が入室してきた。そのうちの女の方がポニーテールをかき分けて声をかけた。
「死んだように眠っていたから心配してたけど、朝から欲情する元気があるなら問題なさそうね」
お前もかよ。初対面の人間に対して失礼すぎやしないか。
憤ったものの、その容姿を前に反論する機会を失ってしまった。スラリとした長身。胸元を強調するタンクトップ。ミニスカートからのぞく生足。瞳はいたって普通だが、夜の繁華街を支配する女帝という雰囲気がある。正直、年頃の男子高校生にとっては刺激が強すぎる。
「聖奈さん、初対面の相手に失礼ですよ」
俺に代わってその女をたしなめたのは、一緒に入ってきた男の方だった。四十半ばぐらいの柔和な紳士といったところか。背広を着こなし、眼鏡をかけて、人の良さそうな笑みを浮かべている。もちろん、その眼鏡はぐるぐる眼鏡ではなく、どこにでも売っていそうな度が入ったやつである。
この2人は何者なのであろうか。年の差はざっと見たところ20は離れている。夫婦。いや、ないな。でも、年の差婚もありうる。男が怪しい店で女をひっかけてそのままゴールイン。だとしたら、あの男も意外とやばいんじゃないか。これは、一刻も早く脱出したほうが良さそうだ。
俺の警戒心を見え透いているかのように、男は軽く一礼した。
「君も災難でしたね。いきなり化け物に襲われたかと思ったら、こんなところに連れてこられて。別に僕たちは君を取って食おうだなんて考えてませんから、安心してください」
「あ、あの、ここはどこなんですか。それにあなたたちはいったい」
「ここですか。ここは夏木探偵事務所。僕の仕事場です。冬子お嬢様の自宅と言い換えてもいいでしょう」
「所長、その呼び方はやめてよね」
冬子が頬を膨らませる。所長と言われた男はあっけらかんと笑い飛ばす。とにかくよく笑う人だ。
「申し遅れましたが、僕の名は青山幸喜。この探偵事務所の所長をしています。みんなからは所長と呼ばれているので、えっと、翼君だったっけな、君もそう呼んでいいですよ」
「そんで、私は尾崎聖奈。この探偵事務所でバイトしてるんだ。一応、大学生でもあるけどな」
「こら、一応って。君の本業は学業なんだから、前から言っているようにもっと真剣に取り組みなさい。そりゃ、うちの事務所を手伝ってくれるのはありがたいですけど」
「親じゃあるまいし、固いことは抜きにしよ。ほらほら、翼君も困ってるし」
いきなり夫婦漫才を披露されたらフリーズするしかない。艶めかしい女性聖奈は女子大生だったのか。大人びているからオーエルかと思った。
「えっと、ここが冬子の自宅ってどういうことですか。あなたが冬子の父……にしては、そもそも名字が違いますし」
「もっともな疑問だね。この事務所はもともとマンションだったところを改装しているから、隣の部屋は居住区になっているんだ。お嬢さんはそこで暮らしている。
探偵事務所については、お嬢さんのお父上が創業したものなんだ。彼と僕は古くからの友人でね。そのよしみもあって、冬子さんのことはお嬢さんと呼んでいるんだ」
「お嬢さん」と呼ばれるたび、冬子はむずがっている。ひょっとしたら、冬子の弱点を手に入れたかもしれない。ただ、「お嬢さんか~」と冗談めかしてつぶやいたら、殺気のこもった瞳で睨まれた。連呼すると間違いなく抹殺されそうなのでやめておこう。