第135話 禁断の話題
「あのマネキン人形、人を襲うらしいわよ」
「え~、でもあんなナリでしょ。正直、雑魚そうじゃない」
「そうそう。あんな雑魚、私でも勝てそうじゃん」
「榊~、それは言い過ぎだって」
他愛のない冗談。あいつらの本当の恐ろしさを知らないからこそ、成り立つ会話だった。けれども、あいつらの残虐性を痛いほど承知している冬子がそれを聞き流せるか。その答えは言わずもがなだった。
「あいつらを甘く見ないほうがいいわよ」
あまりにも意外な人物からの横やり。そもそも、能動的に発言すること自体が稀な人物が、あろうことかクラスの中心格に喧嘩を売ったのだ。
対し、不意打ちにうろたえはしたが、榊はすぐさま噛みついてきた。
「あんた、私たちと議論しようっていうの。それに、その言い草じゃあいつらのこと知ってるみたいじゃない」
すごまれた冬子は、自らの失言に気付いたようだ。疑惑の眼差しを向けられ、そっぽを向く。
「とにかく、痛い目を見たくないなら、深入りしない方がいい」
「やっぱり、あんた何か知ってるわね」
発言するたびドツボにはまっていく。それに、榊の威圧に屈しない傲慢な態度が、彼女の琴線に触れてしまったようだ。
榊と取り巻きは、冬子の席を囲むように立ちふさがる。険呑な雰囲気に、口々に騒ぎ立てていた一同は、推しはかったかのように同時に口をつむぐ。
「あんたさ、前から気に入らなかったのよね。そのお高くとまった態度っての」
「そうそう、そんな変な眼鏡かけちゃってさ」
榊の友人が、にやけながら冬子の眼鏡を突こうとする。すると、冬子は素早くその手を払いのけた。彼女にとっては無意識に蚊を払うような仕草だったのだろう。だが、この無意識というのが曲者だ。俺も、翼の能力を手に入れてから、無意識にコップを破壊してしまったことがある。冷静さを失いかけている彼女が、予期せず手を出してしまったらどうなるか。
「ちょっと、痛いじゃないの」
涙目になりながら、叩かれた女生徒が抗議する。手の甲は赤く腫れていた。冬子は「しまった」と口を半開きにしていたが、これが榊の逆鱗に触れてしまった。
「あんた、いい加減にしなさいよね」
激昂して、冬子に手を上げる。いつもの冬子なら、十分反応できる挙動であった。しかし、今の彼女は、為されるがまま、硬直してしまっていたのだ。
榊は、あろうことか、冬子の眼鏡をわしづかみにし、無理やり外しとった。
顕わになった冬子の瞳に榊は息をのむ。冬子としても、既知の間柄とはいえ、こんな不特定多数の集団の中であの瞳を晒すのは初めてであろう。
「あんた、その目どうしたのよ」
明らかに日本人離れした、いや、人類全体からしても類がないその配色に、榊はおののく。冬子もまた、自分がされた仕打ちに頭が追い付いていないのか、ただただ愕然している。
行動に出たのは冬子の方だった。机を叩くと、勢いよく手を伸ばす。眼鏡を取り返そうとしているのだが、榊は反射的にそれを更に高く掲げてしまった。
「それを返しなさい」
「ち、調子に乗るんじゃないわよ。そうか、あんた、いつもこんな変な眼鏡かけていると思ったら、それを隠すためだったのね」
「これはさすがにバレちゃ恥ずかしいものね」
あろうことか、榊は冬子を挑発してしまっている。更には、取り巻きもそれに便乗して囃し立てる。この流れはまずい。こんなことをされて泣き寝入りする性格じゃないことぐらい分かっている。そして、冬子が我を失ってしまったらどうなるかということも。
俺はとっさに冬子と榊の間に割って入ろうとした。だが、一歩遅かった。冬子は榊の目の前で右手を広げた。
そして、そこから火の玉を発生させてしまったのだ。
直後、冬子は慌てて右手を握りしめ、火の玉を消滅させる。出現したのはピンポン玉程度の子供だましに留まった。もちろん、それで物理的被害はない。だが、そんなのは問題ではない。人間が火の気のないところから火の玉を出現させた。それがどういう意味を持つか。
「あ、あの、これは……」
「ば、化け物よ!!」
冬子の弁明は榊の悲鳴に上書きされた。あまりにも現実離れした出来事を前に、教室内は色めき立つ。
「嘘だろ。夏木のやつ、炎を出しやがったぞ」
「変な眼鏡をかけてるだけじゃなくて、あんな手品まで使うなんて」
「いや、あれが手品だと思うか。種や仕掛けなんてありそうにないぜ」
「じゃあ、魔法だっていうのかよ」
異人についての論争は、即座に目前で発生した不可解現象についての議論に塗り替えられてしまった。手品だという意見もあるが、大多数の流れは「人知を超えた能力を使った」という結末に収束してしまっていた。それは、冬子がオッドアイという世間一般ではありえない瞳を有しているということも尾を引いているからだろう。
「冬子さん、大丈夫でしょうかね」
こっそりと、心配そうに瞳が声をかけてくる。このまま放置なんて酷すぎる。
「魔法なんてバカなこと言うなよな。手品に決まってるじゃん」
騒然となる教室内に響くよう、ひときわ大声で宣言する。これにより、一瞬ではあるが沈黙が訪れる。よし、後はうまく弁解すれば。
しかし、その直後、榊が一番やってはならない反論をしてしまったのだ。
「手品ね。それにしてはできすぎてると思わない。それに、こいつの瞳を見たでしょ。完全に人間離れしている。ひょっとしたら、ネットで噂になっているマネキン人形の仲間なんじゃないの」
それを聞いた瞬間、冬子は机を蹴飛ばし、一直線に教室を飛び出していってしまった。
「冬子」
俺は瞳と連れ立って、彼女を追おうとする。あの発言は冬子にとって最も御法度となるものだった。俺も投げかけてしまったから痛いほど分かる。冬子が最も忌諱すること。それは、異人と同一視されることであった。