第13話 混沌とする意識と目覚め
R15に引き上げたのは、この話のラストシーンに保険をかけたからです。
「まずいわ、東雲……くん。そいつは細胞注射をしようとしてる。早く逃げないと異人になってしまう」
「ああ、そうみたいだな」
「そうみたいって、あなた状況を分かってるの」
「分かってるさ。ただ、本気で細胞注射されそうになるとは予想外だったけどな」
「大体あんたバカよ。どうせ、ウィング相手に逃げ切って、私が力を回復するまでの時間稼ぎをしようとしてたんでしょ」
作戦が伝わっていたか。そう、ウィングを倒せるのは冬子しかいない。ならば、彼女が回復するまでの時間を稼ぐのが、俺も生き残るための唯一の方法だった。もっとも、彼女が俺を殺そうとしている限り、生き延びる時間が少しだけ伸びるだけだが。それでも、あんな訳の分からない化け物によって殺されるよりは数倍マシだ。
注射針が俺の喉に迫る。そのまま首を貫通されそうなぐらいの迫力があった。妙にゆっくりと接近してくるのは、やつなりに獲物を狩る楽しみを味わっているとでもいうのだろうか。悪趣味すぎるぞ。
「この局面では、私が力を振るった方があなたも助かる可能性が高いのは確か。それは分からなくはないけど、けれどもどうして私なんかを助けたの。私は、あなたを殺そうとしたのよ」
もっともらしい疑問ではある。それに対する答えなんて決まっているじゃないか。
「目の前で苦しんでいる人がいれば、助けるしかない。お前が俺を助けたのはそんな理由じゃないのか」
冬子は瞼を見開いた。そのまま棒立ちになり、呆然としている。
「助けたなんて。私は、異人を排除しただけよ。あんたに感謝される覚えはないわ」
「お前にその気がなくても、結果的に俺は助けられたんだ。それに、お礼を言われて悪い気はしないだろ」
サムズアップしてみせると、冬子は「バカ」と呟き、そっぽを向いた。我ながら、らしくない、キザすぎる行為ではあった。けれども、どんなに罵倒されようとも、一言お礼を言っておかないとどうも気持ち悪かったのだ。とはいえ、それで殺されることをよしとするほど、お人よしではないが。
ただ、冬子以前に、こいつに殺されそうになっているという事実は変わりない。悪趣味な注射針が急速に落下してくる。ああ、終わりか。観念した俺はついこんなことを口走ってしまった。
「あと、殺されるのなら、こんな化け物よりか、おまえみたいな可愛い子に殺されたかったぜ」
注射針が俺の首筋に突き刺さる。全身に激痛が走る。特に、首周りに高圧電流を流されているかのような強烈な痺れが襲ってくる。柱が崩れ落ちんばかりの絶叫をあげる俺。首と胴体が乖離しているかのようだ。手足の感覚が薄れていく。別人の体が接続されているのか。あまりの痛みに思考までおかしくなったようだ。
瞼が重くなっていく。気分が悪い。腹の中のものを軒並み吐瀉したい。
薄れていく意識の中、唯一、あの化け物に直撃せんとする足音を捉えた。肌に突き刺さる生ぬるい気流。炎。いや、氷。まさか、その両方か。
俺が気を失う直前に目撃したのは、跳躍してウィングの顔面に炎と氷のエネルギーを直接叩き込んだ冬子の姿だった。そして俺は、意識のカオスへと沈んでいった。
ここはどこだ。果てしなく広がる蒼空。頬をなぜる風。体中が軽い。注射されてから首から下の感覚がマヒしているのだが、不思議と今は苦痛がない。むしろ心地よい。このままどこまでも流されていきたい。
まったく、どうしたことだ。俺は、廃ビルにいたはずだ。それなのに、いつの間に空中遊泳しているのか。そもそも、これは現実なのか。現実だとしたら、本当にどうかしている。俺のすぐそばに雲がいるのだ。決して蜘蛛ではない。水蒸気でできた方の雲だ。
俺は思い切り頬をつねった。痛くない。なんだ、夢か。
いや、あからさまに夢だと分かると逆に怪しくなる。なぜなら、あんな極太の注射器を突き刺されたのだ。普通に考えれば即死だろう。三途の川がどこにあるか知らないが、そこまで導かれていく途中というわけだ。ああ、高校生で死ぬなんて、なんて儚い人生だったんだろう。
それに、死に際の一言は恥ずかしすぎる。あれが辞世の句って末代までの恥だ。そもそも、子供がいないが。
結局、冬子ではなく、化け物に殺されたわけか。世間的にどう公表されるんだろうな。廃ビルで変死体発見といったところか。犯人は不明。それはそうだ、この世の存在ではないのだから。
ふと、進んでいく先に光が差し込む。御仏の後光か。優しく暖かい。全身から力が抜けていく。永遠の安寧という名の毛布にその身を包まれる。もはや、眠っているのか目覚めているのかさえはっきりしなかったが、俺はその光に身を任せようとした。
すると、急に体が後方に引っ張られる。
「その光に触れてはいけない」
誰だ。誰が語りかけている。
「お前はまだ死ぬべきではない。人の世においてなすべきことがある」
その言葉を発する者はどこにもいない。しかし、頭に直接言葉が流れ込んでくる。どういうことだ。なすべきことがある、死ぬべきではない。柔らかな光と蒼空の狭間で俺は板挟みになる。どうすればいい。もしや、生きるか死ぬかは俺の自由意志にかかっているのか。ならば、こう答えるまで。
「死ぬべきもくそも、俺はまだ死ぬつもりはねえよ」
途端、先ほどまで漂っていた蒼空に、俺の体は急激に吸い込まれた。体に触れていた光のぬくもりが薄れていく。けれども、少しも口惜しくはなかった。
混濁していく意識の中、俺ははっきりとした一言を捉えた。
「翼!!」
その声は……冬子か。
空中を漂っていたはずなのに、わき腹が弾力のある物体に触れている。ゆっくりと薄目を開ける。そこに飛び込んできたのは漆黒だった。おい、一気に地獄堕ちか。
いや、それは既知の物体であった。応接間によく置いてある、黒色の高そうな長椅子。体にはいつの間にか毛布が掛けられている。どこだ、ここは。廃ビルにこんなところはなかったはず。そもそも、ここは廃ビルなのか。
それにしては、整理整頓されていて小奇麗だ。ガラス張りのテーブルに置かれている灰皿。うっすらとたばこのにおいが漂っている。
視線を移すと、職員室でよく見かける机が3つほど並んでいた。ホワイトボードに観葉植物。ここは学校か。いや、どちらかというと、会社の事務所といったところか。なにせ、近くの机の上に「事業計画書」なる書類が置いてある。こんなのを無造作に置いておくとは、運営方法にいろいろと問題がありそうな会社だ。
試しに俺は頬をつねる。……痛い。ならばここは現実世界か。まったく、変な夢を見ていたみたいだ。それにしても、いつの間にあの廃ビルから移動したのだろうか。それに、あの化け物、ウィングはどうなった。そして、冬子は。
体を動かそうとしても、鉛のように重い。別に拘束されているわけではない。ひどい倦怠感が襲ってきているからだ。それに、首を動かすと痛みが走った。無理はない。あんな注射器を挿入されたからだ。
痛みをこらえつつ、ゆっくりと体を起こす。とりあえず、もっと状況を調査しないと、今後の行動を決められそうにない。
ふと顔を上げた俺の視線が捉えたのは……。
純白の下着姿で佇む夏木冬子だった。
タグの微エロありとはこういうことです。