第129話 孝死す
この回は残酷な描写が含まれていますので、ご注意ください。
息を切らし、必死に睨みを効かす孝。それに対し、異の主は淡々と攻撃を続けるのみ。あまりに無慈悲な連撃は、直視するのもためらわれる。
「大人しくしていた方が身のためだ。さすれば、苦しむことなく一思いに逝かせてやろう」
「結局は殺されるんなら、抵抗した方がマシってもんだ」
それを実証するかのように、あの嫌な音を響かせる。さすがの異の主もこれには怯む。そこを角により掬い上げる。天を舞う異の主。落下地点を尻尾で迎撃するという、あの黄金パターンか。
目論み通り、異の主が落下していく。左に軸足を定め、回転を加えようと右足をあげる。が、ここで予想外の異変が起きた。
なんと、異の主が重力に逆らい、空中に留まっているのだ。浮遊術を使えるなんて、超能力まで習得しているのか。
そうではないということは、やつの背中に視線を移した瞬間はっきりした。そこからは二対の翼が生じており、幾多の羽をまき散らしながら飛空しているのだ。
「翼。宙であればろくに抵抗もできないと踏んだのだろうが、それは甘い考えだ。対空手段など腐るほど有している」
俺が持つ能力まで駆使できるのか。一体、何種類の力をその身に宿しているというのだ。
孝は攻撃に使用しようとしていた尻尾を伸ばし、異の主の足に絡ませる。無理やり攻撃範囲、それも角にまで引き下ろそうという魂胆か。
すると、異の主は激しく翼をはためかせた。高度を下げられるどころかその逆、どんどんと上昇していく。孝の方は尻尾を伸ばし続けることで、地に足をつけているが、それがいつまで続くかは怪しいところであった。
そして、剛腕で強化された腕で尻尾をつかむと、無理やりそれを手繰り寄せたのだ。これにはたまらず、孝は自身の尻尾で宙ぶらりんにされることとなった。
傍観していると間抜けな光景ではあったが、孝にとっては笑いごとではない状態に陥ってしまっている。遠距離攻撃可能な主力武器が掌握されたまま、無防備に吊るされているのだ。
異の主はそのまま高速で壁へと飛行する。こんな局面でただ自爆するだけなら、余程の阿保であるが、もちろんそんな愚行を犯すはずはない。激突寸前で異の主は方向転換し、真逆の位置の壁へと向かう。
しかし、方向転換した際に、宙吊りの孝には振り子の法則が適用され、壁と激突するはめになる。異の主は壁直前まで全力で飛び、衝突する前にとんぼ返りするといった航路を繰り返した。尻尾を掴まれ、戻すこともできない孝がどうなっていったかは明らかだ。
あまりに一方的な嗜虐に、聖奈は震えながら顔を伏せていた。繰り返し「やめて」と呟くその姿はあまりに痛々しい。俺とて、すぐさま介入したいが、異の主の飛行速度は常識を逸脱していた。瞳の力で動体視力を強化しないと直視することすら不可能なのだ。出しゃばったところで、無益な鬼ごっことなるのは自明だった。
やがて、異の主は地上へと降り立ち、ようやく剛腕を解除する。捕縛から解放された孝ではあるが、その姿は筆舌に尽くしがたい残酷さであった。全身から流血しており、衝突の衝撃で、体の節々があらぬ方向に捻じ曲げられている。特に、直接ぶつかったのであろうか、顔面は痛々しく腫れあがっていた。
「孝」
聖奈が必死で呼びかけるが、その声に応えることはない。
「そろそろ終わりだ。最後はそなたの自慢のこの能力で決めてやるとするか」
そう言うと、異の主の腰回りから、細長くうねった器官が出現した。今日だけで何十回と目にした異質な存在。俺もつい先刻手にしたばかりのあの能力だった。
「尻尾」
うならせた尻尾は、確実に孝の首を狙っている。これ以上ダメージをくらったら、完全にアウトだ。
「やめろ」
俺は脇目も振らず、異の主へと突進する。しかし、いとも簡単に尻尾により阻まれ、弾き返されてしまう。
「死に急ぐな、少年よ。そなたは後にじっくりと調理してやる。まずはしかと眼目に焼け付けよ。我ら異人に逆らったものがどのような末路を辿るのか」
尻尾は幾重にも孝の首に巻きつく。万力のように締め付けたまま、孝の体を持ち上げていく。尻尾は首だけにとどまらず、腹、腰、脚と、全身を浸食していく。
孝の口からこの世の物とは思えないほどの絶叫が発せられる。ボキリとしか形容しようがない嫌な音が響く。それは、全身の骨という骨が粉砕されている音に他ならなかった。首の骨を折られた時点で勝負は決まったも同様である。しかし、それに飽き足らず全身をいたぶる執拗さ。
人道を大きく外れた蛮行を前に、俺の喉から不快な液体が込み上げてくる。たまらず、その場に嘔吐する。聖奈もまた、顔を覆って号泣するばかりだ。
「愚者の魂よ、永遠に眠れ」
それが手向けと言わんばかりに、一気に尻尾の拘束を解く。落ちてきた「それ」は、全身の関節があり得ない方向にまがり、瞳孔を全開にし、舌を垂らした惨たらしいものだった。
「嘘でしょ、孝」
嗚咽でまともに言葉を発せないまま、聖奈はそっと孝の腕に触れる。俺も、口の中に残った胃酸を吐き捨て、孝の胸を触る。
冷たい。信じたくはないが、温かみが一切感ぜられないのだ。それに、俺の手が置かれている場所では、絶え間なく脈動するあの器官があるはず。なのに、その鼓動が全く伝わってこない。
凄惨な姿を前にしても、唯一の可能性にかけ、彼の体を揺さぶる。しかし、一切の反応がない。冗談じゃねえ。目を覚ませ。
だが、事実に抗おうと、彼の体に触れる度、俺は抗いようのない事実に直面するばかりだった。こんなことって、あってたまるかよ。
「嘘だと言ってよ、孝」
聖奈があらん限りの声で叫ぶ。これが、これが異人のやり方だっていうのか。俺は瞳から溢れ出る涙をこらえることができなかった。
聖奈の恋人、孝の命は異の主によって幕を下ろされた。あまりに残酷な事実が俺たちの前に突きつけられてしまったのだ。