第128話 異の主
謎の異人は静かに口を開く。
「テイルよ。腑抜けな貴様に任せておくのは心もとないから様子を見に来てみれば、敗北した上に人間へと堕落するとは愚かであるな」
「くそ、まさか、嘘だろ」
聖奈の腕の中で、孝は必至にもがく。そんな彼を追いつめんとするかのように、謎の異人はゆっくりと接近していく。
「孝、あいつのことを知っているのか」
「知ってるってもんじゃねえよ。あいつの存在は脳にこびりついて離れやしない」
身震いしながら少しずつ片手を上げる。そして、謎の異人を指差し、孝はとんでもない事実を告げたのである。
「あいつは、異人を統括する王。異の主だ」
異の主だって。その名を耳にし、俺たちもまた衝撃に襲われることとなった。
その名は嫌でも記憶に残っている。もう数か月も前のことになるが、冬子の両親が異人に殺されたという話を聞いたことがあった。その異人は、白装束を纏い、金色の長髪をした長身の男だったという。
俺たちの眼前で威圧しているこの男。そいつは、冬子の回想の中に出てきた異人と特徴が酷似していたのだ。それも、似ているというレベルではない。もはや、同一人物としても差し支えないぐらい、特徴が一致している。
もちろん、実際に冬子の両親を殺した奴を目撃していないので、空似ということもありうる。しかし、それにしてもこの男から発せられる覇気はただ気圧されるばかりだ。気弱な小動物ならば、触れただけで即死させられそうな圧倒感。彼が王を称するのであれば、有無を言わさずそれを信じ込まされるほどの威厳が満ち溢れていたのだ。
「汝らがどんな小細工をしたかは知らぬが、人間の心を取り戻してしまったか。それならば、異人としては死んだも同然。そうでなくとも、貴様のような木偶人形は我が計画には不要。用無しは早々に始末させてもらう」
言い放たれたのはあからさまな死刑宣告だった。一切表情を変えることなく、残酷なる宣言を施した異の主。それに対し、孝は顔をゆがめながらも、やっとの思いで立ち上がる。
「あくまで刃向うというのか」
「素直に殺されるほど俺はお人よしじゃないんでね。聖奈、下がってろ」
その忠告が最後だった。あまりにも増大な気配に比べると、雀の涙ほどではあるが、新たな異人の気配がその場に加わった。
孝が咆哮するや、腰の辺りから人間とはかけ離れた器官がその姿を現す。それは今更説明するまでもない。先ほどまで、俺たちを散々苦しめてきた尻尾だ。
それの出現に触発されるかのように、額から角も生じる。雄たけびも段々、耳をつんざくほど苛烈になっていった。
「完全には異人の力は失ってはいないか。再教育するのも一考ではあるが、貴様の場合は、それが無駄だと証明されているからな。我が判決に変更はない」
「たとえ主だろうが、本気で殺そうとするのなら、こっちも容赦はしないぜ」
孝はそう言うや、尻尾をぶつけようとする。しかし、異の主はそれが到達する寸前に片手を払った。ハエを追い払うかのような挙動だったが、それにより尻尾は弾き返されてしまった。
主力武器を片手であしらわれたことで、孝は顔をゆがめる。ボブのように筋骨隆々とした男ならまだしも、ひ弱な印象さえ与える細腕であの尻尾を受け流したのはとても信じられなかった。
しかし、すぐさまそのカラクリが判明した。異の主の腕はいつの間にか隆起した筋肉で覆われていたのだ。
「剛腕。見ての通り、腕力を強化する能力だ」
まさか、ボブと全く同じ能力を持っていたのか。だが、驚嘆するのはまだ早かった。
「俊足」
今度は、あっという間に孝との距離を詰める。そして、防御姿勢へと移行する暇も許さぬまま、彼の胸に強化された腕で拳を打ち込む。
孝は尻尾により踏ん張りを効かせ、どうにか転倒を免れる。そこをすぐさま、異の主は額を突き出したまま追いすがってくる。単純な頭突き。いや、そんなものを放ってくるはずがない。
「角」
異の主の額が変化し、カブトムシのような一本角が生成される。それは孝の胸に直撃し、ついに地へと伏せさせることとなる。
いったいどうなっているんだ。このわずかな攻防の中でも、すでに数種類の能力を発動させてきている。おまけに、立ち上がった孝がやけになって殴りかかっても、漂々と回避し続ける。それどころか、攻勢に出るわずかな隙を狙い、カウンターまで決める始末だ。